哀想/book | ナノ





昨晩から変わり映えなく止むことのない天気は、いつものように葉月を女の子の姿に替え、その後も悠然と降り続けていた。

この雨は今日いっぱい降り続くらしい。


昨夜から万全を期すために、葉月たちは寮父であるハルキの家に泊まり、朝はちょうど女の子として皆と対面した。

休日なのにツイてない。空手の練習をしようとした五郎丸と冬馬が口々に呟いているのを近くで聞いていると、それなら「買い物に行こう」と提案してきた冬馬の発言で、並んで街へ出かけることになった。




この生活も長くなり、互いの生活に支障が出るからと、女の子の私服まで用意され、五人ともそれぞれ見合った服装で出掛けた。

葉月は細身のラインが綺麗に出るワンピースとパンプスが用意されていた。誰かに着てもらったら恐らくその服装が可愛いものだとわかるだろうが、今は女の子の姿だが所詮、自分は自分である。

これでいいものか?と着こなしに自信なく出掛けたが、冬馬から可愛いとOKが出たので、とりあえず安堵した。




それから、授業で使うノートや、女の子らしい物の探索を終え、これからお昼にしようと思った所で、前方から見覚えのある人がやってきた。葉月は目をこらして間違えが無いこと確認していると、横から円と五郎丸が「寮長がいる」と騒ぎ始めた。

何度か女の子の姿で会話を交わしているとは言え、葉月とていつも気がきじゃない。どう対応しおうか迷っていると、先に相手が手を振って声をかけてきた。

「やあ、月子さん」

「あ、こんにちは。北条先輩」

今の葉月の通り名である月子の名前を口にして、親しげに近づく北条を葉月以外のものは、遠巻きに凝視している。

「友達と買い物?」

「はい。日用雑貨とか洋服を」

「そっか。……あ、そういえば、私服は初めてだね」

「確かに。いつも私、制服でしたもんね」
いつもは厳しい顔しか見ていないが、こうして月子の姿をしている葉月には、頬を緩ませて笑みを浮かべる事が多い。

「私服もとっても似合ってるよ」

「あ、ありがとうございます」

男から見てもこれが女の子にモテるいわゆる『王子様』だと分かるのだから、本当の女の子は、きっと内心の喜びは計り知れないだろう。

「北条先輩は、これから叔父さんの所ですか?」

親に猛反対されたピアノを今も弾き続けている事を知っているのは、葉月だけの為、周りに分からないように、葉月は尋ねた。

「うん。そうなんだ」

「頑張って下さいね」

「ありがとう。……そうだ。もし月子さんさえよければ、聴きに来る?」

「え……?」

いきなり誘いを受けてたじろぐ葉月に、北条は冬馬達に目配せをして、ハッと気づいたようだ。

「ごめんね。友達も一緒だし、また今度誘うよ」

「え、あ、あの……」

北条のピアノが聴けるなど、またとないチャンスかもしれない。この女の子の姿も、もしかしたらこれっきりで終わってしまえば、二度とこうして声をかけてくれることはないのだから。

「じゃあ、そろそろ俺は行くから」

手を振って去ろうとする北条に、葉月は慌てて北条の腕を掴んだ。

「先輩、私も一緒に連れて行って下さい!」

気づいたら、そう叫んでいた。






あれから、冬馬達には『お前も少しは学習しろ』と言わんばかりのすごい顔で見られながら、その場を後にして北条の叔父宅へと着いて今に至る。

あとが大変だから、明日美には絶対内密に。と、念を押して叔父へ頼みこむ北条に申し訳ない気持ちを交えながら、葉月はピアノが置いてある防音室へと案内された。

「北条先輩、この間、北条先輩のピアノを聴かせてもらってから、私も少しクラシックを聴き出したんです」

「本当?それは嬉しいな」

「先輩のお薦めの曲とか、好きな曲とかあったら、今度教えて貰えますか?」

「いいよ。そうだな……じゃあ、この曲とかはどう?」

そう言って、北条はピアノに指を落としていった。深みのある音が、部屋に、そして葉月の胸に響く。
器用に鍵盤の上で踊る指はまるで魔法の類を思わせた。こうして目の前で聴いていなかったら、きっとクラシックなんて興味が一生わかなかったかもしれない。

まるで音の洪水が押し寄せるかと思えば、しっとりした温かみのあるような音も奏でられ、葉月は再び北条のピアノに酔いしれる。もっと聴いていたいと思っていた葉月の気持ちを汲み取るように、曲は数曲重ねられ、改めて北条の凄さに感動していた。

そうして、鍵盤から指が離れ、葉月が盛大な拍手で褒め称えると、北条は大袈裟だと笑いながら葉月に尋ねた。

「月子さん、どの曲が好きだった?」

「えぇ?!どの曲も素敵だったから、どれがっていうのは選べません」

「じゃあ、最初の曲からタイトルを言うけど……もしかして、CDとかで聴くの?」
「はい!どの曲も素敵だったから、今度図書館のCDコーナーへ言って探してみようかと。無かったらCDショップに行きます」

確か学校近くにあった図書館には、そういうコーナーもあったはずだ。万人向けなら無難にクラシックのコーナーもあるだろうと、葉月は目論んでいた。

「よかったら、家にCDがあるから貸すよ」

「本当ですか!?」

「うん。じゃあ、今度渡すから」

そう次逢う口約束をしてから、北条は自分が持ってきた鞄から、楽譜を数冊取り出した。
譜面台に広げられた楽譜に近寄り、葉月は屈んで覗きこむ。そこには、沢山の書き込みがしてある楽譜が置いてあった。


「すごい……色々書き込まれてますね」

「そうなんだ。叔父さんに聴いて貰って、――っ!」

こちらを振り向いた北条が、突然会話を閉ざした。

「北条……先輩?」

「え、あ……、叔父さんに聴いて貰って、詰めが甘いところを書き込んでいるんだ」

慌てて視線を反らされて、葉月はいぶかしみながら譜面台に置かれた楽譜を指差した。

「先輩、ここに書いてある演奏記号……でしたっけ?どんな意味なんですか」

「これは……『歩くような速さで』って意味なんだけど……、ごめん。そういえば、何も飲み物を持ってきてなかったね。少し待ってて」

「え?あ、お構いなく……って行っちゃった」

あっという間に背を向けて北条が出て行ってしまった扉を、葉月は呆然と見つめる。しばらく開かれた楽譜を眺めていたが、そういえば。と、携帯を開いてみると、冬馬からメールが来ていた。

『葉月の服、襟ぐりが開いてるから絶対に屈んだりするなよ』

そう忠告を促す文章にしばし考えてみた。

「……あ」

慌てて着ているワンピースを見てみれば、確かに首回りに布地がない。試しに屈んで見てみれば、ばっちり自分の下着と共にささやかな胸が覗いていた。

「まさか……!」

北条が慌てて出て行ってしまったのはこのせいか。こちらは別に男である北条を狙っている訳ではないが、相手側としては刺激が強すぎるだろう。

(……なんか、ヤバくないか)

ピアノ教室が休みのため、ここの家主である北条の叔父は、夕方まで奥さんと出掛けると家を出て行ってしまった。つまり、今この家には葉月と北条の二人しかいないのだ。


止まない雨は、みるみるうちに雨脚を強めていく。赤くなったり青くなったり忙しない葉月は、再び扉が開くのを恐れながら、冬馬になんて返信を返そうか、ひたすら悩んでいた。






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2011/01/31
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