「うーん」
と数度唸りながら見つめること既に数分。情熱的な色の果物を前に、フェリチータは思い悩んでいた。
「どうかしました、フェリチータ?」
「あ、……ルカ」
振り返ったフェリチータは、首を傾げている恋人を見て破顔した。
パーパから用事を遣わされていたルカは、朝早くからパーパと連れ立って出かけていたのだ。
「おかえりなさいルカ」
「はい。ただいま戻りました」
アルカナ・デュエロ後も、パーパは「まだまだ娘には、この座は渡せん」と現役発表をして以来、フェリチータは以前と変わらぬ剣の幹部として過ごしていたが、ルカの方は元々パーパの秘書であったため、最近はこうして駆り出されていた。
従者としてのルカは、もう、フェリチータの前から消えつつある。
秘書としても、護衛としても、優秀なルカだからこそ、フェリチータの前だけで燻らせておくにはあまりにも勿体無い逸材であることは、フェリチータ自身が自覚している。
そこは仕方ないのであるが、一緒にいられる事が少なくなったことと、ほんの少し相談したいときにそばにいないのは、やはりまだ慣れない。
「ルカ、これなんだけど」
「はい?」
視線の先には、情熱的な赤い果物。苺の山が盛られていた。
「苺……ですか。何か作るんですか?」
「うん。今日……街へ巡回に行った時に、市場の人からもらったんだけど」
「そうですか。よかったですね……!」
いつも、島のためにありがとう。
そう言われてもらったものである。
島の皆に認められたようで嬉しかったものの、手渡されたその量に、フェリチータは少し困惑していた。
厨房の作業台に乗っている苺は、数人で食べても食べきれないほどの量。酸味ばかりで甘味があまりないこの品種は、生で食べるにも限度がある。
そのため、フェリチータはその調理法を考えていたのだ。
「ねえ、ルカだったら何を作る?」
「……そうですね」
頤に手を当て、首を傾げて。
いつもの癖を披露するルカは、しばらくした後に数個、レシピの提案を出した。
「私でしたら、パンナコッタやティラミス、リゾット、あとは……酸味の事を考えたら、やはりジャムにしてしまうのもよろしいかと思うのですが」
「そうだよね……」
それはフェリチータも考えていた。なにせこの量なのだから、きっとジャムにしてしまったほうがいい。けれど、この量だからこそ、ジャムだけで終わらせてしまったら、勿体無いのではないかとも思ってしまったのだ。そうして結局、先程からどれにも絞れずに悩んでいたのだ。
「あとは……、クロスタータという手もありますね。少し手間がかかりますが、生地との相性も良さそうですし、もし残ってしまうようでしたら明日の朝食に出すのもいいかもしれません」
クッキーのようなサクサク生地に、苺の酸味、そして砂糖の甘味。これを合わせたら確かに美味しそうだ。
デビト辺りは、朝からあまり甘いものを食べるのが好きではないみたいだが、デビトは元々他の者よりも朝食の量が少ない。エスプレッソだけで終わりにしてしまう事もあるのだから、それならデビトの分は、別の物をマーサに用意してもらえばいいだろう。
ようやくメニューが決まったフェリチータは、目を輝かせて頷く。
「ありがとうルカ。それにしてみる」
さっそくお菓子作りを始めようと、作業着を羽織っていると、その隣でルカが当然のように、棚から鍋や深皿を出し始めた。
「フェリチータ、私にも手伝わせてください」
満面の笑みを浮かべるルカに、フェリチータも微笑み返して頷く。
こうして、料理の時間だけでも一緒にいられる。
そばにいたいと思っていたフェリチータには、願ったり叶ったりだ。
苺を洗い、手馴れた様子で苺のヘタを取っていくルカを見つめながら、ふと、フェリチータは懐かしさに駆られた。
互いに忙しい日々を送っているため、そもそも料理自体をあまり作らなくなってしまったが、昔はこうして肩を並べて料理をするのは、フェリチータにとっての日常だったのだ。
毎食とは言わなくても、ルカの料理作りを手伝える事がフェリチータには嬉しかった。
料理以外でも家事をこなすルカは、顔や仕草には出さないものの、いつも忙しそうにしていた。そんなルカを少しでも手伝えるから。
その思いのおかげで、フェリチータも料理ができるようになったのだが。
材料の軽量を終え、作り始めてしまえばあっという間であった。
それは、お菓子も含め料理を作ることに生きがいを感じていたルカがいてくれたからこそではあったが、作った生地を少し寝かせたり、苺にレモン汁とグラニュー糖を含ませ漬けていったりと、そうした時間を割いたくらいで、すぐに作り終えてしまった。
今は保温の微調整の済んだオーブンに入れ、その出来上がりを心待ちにしているだけだ。
手間がかかるといっていたけれど、実際に作ってみて手間などなにも感じられない。
(もう少し、ルカと料理していたかったな)
そう思ってしまうくらいに。
ぼんやりオーブンを眺めていると、手を休めていたはずのルカは、いつの間にか小さなミルク鍋を手にしていた。
「ルカ、……なにしてるの?」
「焼きあがるまでにちょっとした物を作ろうと思いまして」
「私も手伝ったほうがいい?」
「いえ、すぐに終わりますから、そこに座っていてもらってもいいですか」
「うん」
そうして包丁まで取り出したルカは、ザクザクと何かを細かく砕き始め、鍋に入れていた。
その間に用意していた熱湯の上に鍋を敷くと、すぐに甘い匂いが立ち込めていく。
「あ、これ……」
「はい、チョコラータです」
種明かしをしてくれたルカは、くすりと笑いながら湯煎から外し、鍋ごとこちらへ持ってきた。
チョコラータを溶かした鍋に、クロスタータでは使用しなかった苺をくぐらせ、それをフェリチータに渡す。
「チョコラータフォンデュです。はい、どうぞ。フェリチータ」
「わぁ、ありがとう。……でもルカ、チョコラータを勝手に使っちゃってもよかったの?マーサに怒られない?」
「ああ、これは大丈夫です。そのうちお菓子に使おうと、私が取っておいただけなんで」
「そうなんだ」
「はい。機会があれば何か作りたいと思っていたので。たまには私も料理をしないと、腕が落ちてしまいますから。ですが……まぁ、パーチェに目ざとく見つけられて、もうないのでは……とも半分思っていたんですが」
「ふふっ、そっか」
「あの嗅覚と食に対する執着に関して、いつも規格外ですから」
恐らく隠しておいたはずの食材が、いつの間にかパーチェの胃袋の中へ消えてしまったことも何度もあったのだろう。
苦虫をかみつぶたしたような顔をしていたルカも、感慨を吐き出すようにふっと息をついてから、フォンデュした苺をフェリチータへ渡す。
「はい、フェリチータ」
「え……?」
「口を開けてください」
「自分で食べれるけど?」
苺がささったフォークへ手を伸ばしてみたものの、それは辿り着く前にひょいと遠くに移動してしまった。不満そうにルカを見つめたものの、その顔は嬉しそうに満面の笑みだ。
「いいえ、それは私にさせてください」
「でも」
「久しぶりに昔みたいにしてみたいんです」
フェイチータがうんと小さかった頃みたいに。
甘やかす事に長けていたルカには、もう数え切れない程、食事を食べさせてもらったことがある。それを懐かしそうに語るルカを前にしてしまえば、ここで頑としてでも嫌。とは言いづらい。
「わかった」
仕方なく口を開ければ、すぐに口の中に苺が入ってきた。
ゆっくりと噛み締めれば、広がる甘味と酸味。チョコレートと苺の酸っぱさのちょうど良い組み合わせに自然と顔が綻んでいく。みずみずしいさとプチプチとした食感を楽しんで嚥下すると、たちまち幸せな気持ちが広がった。
「……おいしい」
「それでは、もう一つ」
「うん」
フォークに刺さった苺を差し出され、ぱくりとそれを含む。
「ふふっ……懐かしいですね。昔からお嬢様にこうして食事を食べさせてあげる事が、とても楽しみだったんですよ。雛鳥のようにいつも愛らしくて。でも昔とは同じやりとりでも、……その時とは違い、今の私の気持ちにも変化があるみたいですが」
楽しそうに微笑んだルカは、そっとかがみ込んでフェリチータの頬に触れた。
柔らかな微笑みは確かに昔と同じようではあるが、それ以外にも感情は芽生えている。
「……私も」
「そうですか。フェリチータと同じ気持ちでしたら、嬉しいですね」
唇が近づいてくる。
抱き合ってもいない、触れているのは頬だけなのに、徐々に加速する心音がルカへも聞こえてしまいそうな気がした。瞼を閉じていきながら、暗闇に隠れていく視界に触れていく。
「おんなじだよ。おんなじように……ルカが好き」
呟いてすぐ、ルカの口づけが落ちてきた。
触れるだけの優しいそれが離れていかないように引き止めるため、フェリチータはルカの腕を掴んだ。
それに応えてくれたのか、ルカの唇は再びくっつき、何度もフェリチータを求めていく。
「ふっ……っ」
脳裏が真っ白に染まり、ふわふわとした心地よさに、喉が啼いた。
掴んだ手はやがてすがるようにルカへと身を任せていく。
――ルカが欲しい。
そう僅かな想いが胸の中で疼き、そっと唇を開いてみたけれど。
期待していた口づけは、与えられなかった。
チュッとリップ音を響かせたあと、唇は離れていく。
そして、連動して高ぶった熱がゆるりと覚まされる。
吐息が触れる距離で、フェリチータはルカを睨みつける。不満をぶるけるように。
「これ以上はやめておきましょう?」
「……どうして?」
「こんなに可愛いあなたを前にして、これ以上してしまったら、途中で止められる自信がないんです」
「……ルカ」
確かにここは厨房で、誰が来るかもわからないところだ。
そんな所でこれ以上求めてもお互い困るであろうし、途中で止められないと言っているところから、理性を留めておきたいという気持ちがルカにあるのだろう。
「わかった」
互いの体温を上げつつも、そっと離れて距離をとる。視線だけでも焦れてしまいそうだと、フェリチータは視線外した。けれど、せっかく互いの冷静さを取り戻そうとしたのに、それをいともあっさり揺がしたのは、最初に離れた張本人であった。
無言で取られたのは、フェリチータの掌。
それをやんわりと握りこんだあと、ルカはそれを自分の口元に持っていった。
指先に触れたのはルカの唇。
チュッ。と、そこでもリップ音を響かせると、ルカは情熱的な視線をフェリチータに向けた。
「続きは……今夜、あなたの部屋で」
「……あ」
「それで、よろしいですか?フェリチータ」
問いかけたあと、再び指先を口づけられる。
指先が痺れていくような錯覚。
(今夜、ルカが私の部屋に……)
薔薇色に染まっていく頬、そして焦らされて身体は更に熱が増した。
甘い疼きを着実に孕んでいきながら、フェリチータはこくりと一つ頷く。
作っていたクロスタータの存在をすっかり忘れ、数分後に慌てたものの。
それからのフェリチータは、夜までのほんの数刻までがあまりにも待ち遠しくて、誰にも気づかれないように何度も溜め息をついていた。
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