今までパパとずっと暮らしていたとき、思えば自己流の料理の覚え方をしていて、ちゃんと教えてもらったのは学校での授業だった。鍋だって今はスーパーに行けば鶏がらからトマト鍋からと色んな種類のスープがあるし、朝日奈家に来てから今までの事を振り返ると、かなり楽をしていたと思う。
朝日奈家に来てから、わたしはその自己流を見直すこととなった。
右京さんは鍋でもちゃんとおダシを取る。今回は昆布とかつおぶしでダシを取りましょうと言っていたので、わたしも教えてもらいながら作っていた。黄金色の汁に野菜やお肉が浸かり、おダシもちゃんと取って作った鍋は、キョーダイみんなに好評であっという間になくなってしまった。
材料はまだまだあるけど、『それを言うと勝手に食材を使われてなくなってしまうので、聞かれても濁してください』そう前もって右京さんが言っていたほど。
侑介くんや弥ちゃんみたいに、育ち盛りの男の子達には少し足りなかったようで、それはあらかじめ炊いていたご飯でおじやを作ったり、急きょゆでることにしたうどんで我慢してもらうこととなった。
今回のご当地グルメ購入の功労者でもある風斗くんには、あらかじめ鍋の具材を別の皿に分けてよそっていたから、風斗くんの機嫌がいつもより良く見えた。これも右京さんの機転によるものだったけど、すさまじい勢いで鍋の中の具がなくなっていく様を見ていると、そこに風斗くんが加わるのは考えにくかったから。
(やっぱり右京さんは他のキョーダイ達をよく見ているなあ)
そう思いながら食器を洗っていると、まだリビングに残っていた要さんがキッチンに入ってきた。
「あ、要さん……なにか飲まれますか?」
「ん? ああ、いいよ妹ちゃん。キミはそのまま続けてて。美味しい鍋料理に舌鼓を打ったことだし、食後にワインでも飲もうかと思って」
「ワイン……でしたら、チーズが合うんでしたよね? 冷蔵庫にありましたっけ?」
「あー……うん、それならこっちにあるかな」
「……え?」
壁の四隅に置いてあるワインセラーから取り出したのは、赤ワインと袋詰めされた何か。丁寧に包装されたそれを要さんが剥がしていくと、そこからいい香りと共にチーズが顔を出した。
まさか、ワインセラーにチーズが置いてあったとは思わず、わたしはきょとんとしてしまう。
「そんなところに置いてあったんですか?」
「そうそう。チーズはワインセラーでの保存も大丈夫なんだよ。ワインに合うチーズを買うのはいいけど、俺が食べる前に弟たちの腹の中に納まりそうだからね」
「あはは。前にそういうことあったんですか?」
確かに、自分が食べるために買ってきたのに、いざ食べようとしたらなくなっている可能性もあるかもしれない。
既にそういうことも経験済みなのか、苦笑いが返された。
「うん、まー……結構頻繁にね」
食器を洗っているわたしの横に来た要さんは、まな板と包丁を取り出し、チーズを食べる分だけ薄く切っていく。その一枚をつまむと、私の口元に近づけてきた。
「はい、妹ちゃん。味見」
「あの……」
「チーズ専門店で買った結構いいチーズだから、味は保障するよ。それとも、こういったチーズは嫌い?」
「いえ、好きですけど……」
「それじゃあ、はいあーん」
唇をつつくようにチーズが押し付けられたので口を開こうとはしたが、いつの間にかわたしの腰に要さんの手が回ってきたことに驚いてしまった。大きな掌と共に要さん自身も距離を詰めてきたことにより、口を開くこともできずわたしは要さんをにらんだ。
「あれー、妹ちゃんどうしたの? もしかして、口移しの方がよかった? それなら」
「大丈夫です。自分で食べれますから」
「そんなに恥ずかしがらないで」
「恥ずかしがってません。……じゃあ、チーズはいただきます」
押し付けられたままのチーズを、唇ではなく濡れた手のままで受け取ったわたしは、要さんと距離を取りながらそのまま口に運んだ。
あーあ。と残念そうな要さんの声が聞こえたけど、気にず咀嚼を繰り返す。
「遠慮しなくていいのに」
絶対にからかっている口調で笑った要さんに呆れ顔を向けたものの、口の中で広がる濃厚なチーズの味に、気づけば頬が緩んでいた。
最初口に入れた時の香りも良かったけど、ほのかな酸味は噛みしめていくごとにコクとまろやかな甘みに変化していって、とてもおいしかった。
「……おいしいです」
「口に合ったみたいで良かった。妹ちゃんもあと数年したら一緒にお酒が飲めるようになるね。そしたら一緒にワイン飲もうか。大人になったお祝いとしてとびきりのワイン、用意しておくから」
「ふふっ、楽しみです」
「あと、せっかく大人になったお祝いもするんだから、もっと深い関係まで結んじゃおっか?」
「いえ、それはしなくていいです」
即答で拒否したにも関わらず、要さんは諦めた様子も見せずにわたしを見つめる。
「そ〜? 気が変わったらいつでも言ってね」
「…………」
話は変な方向に向かっていっちゃったけど、最初に成人のお祝いとしての約束をしてもらったのは嬉しかった。その誘い方は決してお坊さんには見えないけど、眼差しはとても優しげだったから、警戒をしつつも結局は私も笑みを浮かべてしまう。
お目当てのチーズをお皿に盛った要さんは、残ったチーズの塊をまたワインセラーに戻した。
そしてもう一度。
「はい、妹ちゃん……あーんして?」
懲りずにチーズを一切れ差し出してくる要さんに、また呆れつつも、おずおずと口を開いてチーズを受け取った。
さっきのチーズがおいしかったからというのもあるけど、一度食べたらかなり病み付きになる味かもしれない。
「餌付け成功♪ なーんてね。本当……妹ちゃんはカワイイね」
ウィンクをしながらリビングを去っていく要さんを眺めつつ、最後のお皿を洗い終わると、エプロンのポケットの中に入れていた携帯から、メールの着信音が鳴り響いた。
濡れている手をタオルで拭いて携帯を取り出すと『20:55』と、もうすぐ九時になるところだった。
メール画面を開いて確認すると、そこには『朝日奈棗』という文字。
(……棗さんから? どうしたんだろう)
連絡を取ってくる心当たりがなくて、首を傾げながらも、わたしはメールを確認することにした。
2014.05.06
芳しい香りとともに
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