少し気まずい雰囲気の中で椿さんを見送った後、わたしは自分の部屋へ戻り、気分転換にゲームをプレイし始めた。先月、棗さんから貰った新作ではなく、以前から何度もプレイしていたゲームソフト。少し難度は低いけど、短時間で一つの任務を終わらせることができて、時間のない中で気落ちしたときやストレス解消したいときにうってつけで、まさしく今わたしに必要な物だった。
夢中になってコントローラを握り、序盤に出てくるエリアのボスを二匹倒し終える。さくさくと進んでいくゲームに少しだけ気分は浮上していた。
ほっと息をつき、次のエリアへ進もうとしたとき、わたしは思い出した。
「あ、……洗濯物っ」
干しっぱなしだった布団と洗濯物の存在を思い出したわたしは、慌ててリビングへ駆け上がりそれをを取りこむ。もうすっかり乾いている洗濯物を見ながら空を仰ぐと、そこは分厚い雲に覆われていた。
「……っ!」
今にも雨が降り出しそうな黒い空に、わたしは更に慌てた。少し乱雑に全ての洗濯物をしまい終えたとき、息をつく暇もないくらいくらい、すぐにガラスに雨粒が当たった。
あ、降ってきた。そう思ってから一分も経たないうちに、それは大雨へと変わっていく。
外の景色を塞ぐような豪雨は、同時に家の中の音までも遮断していく。
今夜は雨の降る予報ではなかったはず。それなら、これはただの夕立ちかもしれない。
リビングに運んだ洗濯物の山を下ろし終え、アスファルトに叩きつけるような雨を眺めていると急に背後から声がした。
「俺のかーいい妹は、今度は何してるワケ?」
「っ! あ、椿さん」
手を伸ばせば触れられる距離に突然現れた椿さんに、わたしは背を揺らし振り向いた。
「ゴッメーン★ 驚かせた? 急に声かけるなんてさっきの祈織じゃあるまいし」
「いえ。雨の音で足音も聞こえなかったみたいですし、なによりわたしがぼんやりしてたので」
わたしがそう答えると、椿さんはあからさまにホッとした表情を見せた。それでも、そこからにじみ出るのは先程見せた切なそうな表情。
思わず見つめたまま口をつぐんでしまったわたしに、椿さんは窓へと視線を反らした。
「これってゲリラ豪雨ってヤツだよなー? 最近よくある」
「そういえば、今日は夕立ちになるなんて言ってませんでしたもんね」
「やっぱり? ……タブン、梓がそろそろ帰ってくる予感がするんだよね。濡れてないといーケド」
ふと時計を見てみる。『16:18』と表記された時間を見て、少し早いけど確かに梓さんが帰ってきてもおかしくない時間だと納得した。
『そうですね』相槌を打とうとした所に、更に声が掛かる。
「ただいま」
「おっ、やっぱり♪ 梓ーおっかえりーっ♪ そろそろ帰ってくると思ってたんだよなー★」
「うん、ただいま椿」
階下のリビングにいる私達を見下ろすのは梓さん。あまりにもタイムリーな話題をしている人の出現に、わたしは思わず言葉を失った。
「ただいま絵麻。……どうかした?」
「……お、おかえりなさい梓さん」
「もしかしてもしかしなくても、俺達の双子の神秘にまた驚いちゃったワケ?」
「あ、はい……ちょっと……びっくりしちゃって」
「何のこと?」
「梓がもう帰ってくるなーって、感覚でわかるってヤツ? こればっかりはなんでかって説明できるってのじゃないしー。強いて言うなら愛の力ってヤツ?」
「……ああ。……僕もさすがにそれは説明できないかな。なんとなくってやつだから。それより、外……すごいね。危うく雨に打たれるところだったよ」
梓さんはわたしが洗濯物をしまいおえたのと同じように、マンションに着いたと同時に雨が降ってきたようだ。
窓の外は、今も雨のせいでほとんど外の様子が分からないほどの豪雨だった。白く霞んだ中にうっすら浮かび上がる摩天楼。そんな中を駅から歩いて帰っていたら、梓さんもびしょ濡れどころじゃなかったはず。
「雨が降りそうだから、慌てて帰ってきたんだ。これに打たれたらひとたまりもなかったかな?」
「さっすが梓♪ でも、もし雨に打たれたとしても俺がぎゅーしてあっためてあげるけどなー。もちろん、絵麻も一緒に」
「えっ」
「絵麻。椿の言うことは真面目にとらえなくていいから」
「あ……はい」
「ブーブー、ひーきだひーきだ!」
「……これも、気にしなくていいから。そういえば、洗濯物たたんでたの? そこに出てるけど」
唇をとがらせてすねてしまった椿さんに構わず、梓さんは視線を洗濯物の山へと向けた。
本当ならもっと早く取り込んで、たたんでおかなくちゃいけなかったのに。わたしがゲームをして家事を忘れてたから。
乱雑に置かれた様子が気にかかったのだろうか。
「邪魔ですよね? すみません、すぐやりますんで……」
慌てて洗濯物の山へ向かおうとしたわたしを、梓さんは手で制して止めた。
「ううん、そうじゃなくて。…………これ、僕がたたむから」
「……でも、梓さん帰ってきたばかりで、お疲れですよね?」
「まぁ、それほどじゃないから大丈夫だよ。それより、……よかったらキミはコーヒーを淹れてくれないかな?」
そう提案されたのは思っても見ない事。気を使わせてしまったのかと少し焦ってしまったが、梓さんは笑みを浮かべてばかり。
少しの嫌悪もうかがえなかった。
「わかりました。じゃあ、お任せしていいですか?」
「うん。ほら、椿もたたんで」
「えー!? この量を?」
「文句あるの、椿?」
「……イイエ、アリマセン」
「ってことで、絵麻、お願いできるかな?」
「あ、はい! ブラックで大丈夫ですか? それともカフェラテで?」
「そうだな……じゃあ、カフェラテでいいかな。椿もそれでいいでしょ?」
「うん。俺のはミルク多めでおねがーい★」
「はい。わかりました」
「コーヒー作り終えたらキミは夕食の準備にかかっていいから。確か今日だったよね、風斗が全国ツアーから戻ってくるの。今日は確かそれをねぎらうって朝話してたから準備も大変だろうし」
「はい。同じ家にいるのに風斗くんと会うの久しぶりですね。確かにそろそろ準備にかからないとでした。あの、……ありがとうございます」
そうして、わたしはここにきてようやく梓さんが仕事を引き受けてくれた意味も分かったのだった。家族全員の洗濯物をたたむのはかなり時間がかかる。慣れてしまえば骨が折れる作業とも思わなくなってくるけど、時間はやっぱりどうしてもかかる。それを梓さんが引き受けて、はわたしには夕食作りを回してくれたのだろう。
「ううん、キミも頑張って。夕飯楽しみにしてるから」
「俺も俺もー! 俺の好きなメニューが出るの期待してるからねー!」
「ふふっ、わかりました」
先ほどよりも足取りは軽くなり、わたしは二人のためにコーヒーを用意始める。コーヒーメーカーを動かし、冷蔵庫から出したミルクを温めている最中、夕食で使う材料をいくつか取り出し、下ごしらえをし始めた。
しばらくしたのち、以前教えてもらった通りに作り上げたカフェラテをトレイに載せつつ、リビングにいる二人を見ると、ため息を零しながらも緩慢な動きで洗濯物たたむ椿さんと、そんな椿さんの様子を眺めながらきっちりと洗濯物をたたむ梓さんの姿が映った。
その様子は、いつもと同じ仲の良い二人だけど。
「椿さん、梓さんカフェラテできあがりました。今、持っていきますね」
声をかけると二人は顔を上げて微笑む。
二つの光が胸の内をぽっと灯し、ちいさな温かさは優しくわたしを包み込んだ。
やすらぎのひととき
2014.03.10
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