早起きができるキョーダイたちと一緒に、わたしが朝食をすませたころ、順々に他のキョーダイたちが姿を見せ、リビングで食事をとり始めていた。
いまだに何名かの顔は見てないけど、お昼頃には起きるのかもしれない。
朝食の支度から片付け、そしてそのまま右京さんを手伝って、リビングの掃除をしていた。五階のこのリビングは、掃除機をかけるだけでも、かなり時間がかかる広さだった。
日頃から綺麗にしているから、散らかったところもほとんどなくて、すんなりと掃除機をかけることができたけど、そうじゃなかったらもっとかかっていたと思う。
終わったころにはすっかり日も高くなっていて、わたしは小さく息をつきながら、時計を見た。
(『10:23』か……)
額に滲んだ汗を、手の甲で抑えた。
(さすがに疲れたかも)
そう思いながら、掃除機をしまう。ぐったりしている訳じゃないけど、少し休みたかった。
いつもよりゆっくりとした足どりでキッチンへ向かい、ヤカンでお湯を沸かしてから紅茶を煎れた。それから、キッチンの前にある椅子へと座り、紅茶を飲みながらまったりとくつろぐ。
他のキョーダイたちは、各々別の事をするために部屋へ戻っていったから、リビングはすごく静かだった。
(……あれ、そういえば、……ジュリってばどこに行ったんだろ?)
たとえ静かな掃除機を使っていたとしても、掃除機の音は、動物の耳には煩く感じてしまう。ジュリはわたしと会話できる不思議なリスというだけで、それも例外じゃない。
掃除機を耳にしたときや、わたしが部屋の掃除をしようとしたときは、『煩わしい!』と叫びながら、どうにかこうにか部屋を飛び出して、どこかへ逃げてしまう。
今回もそんな感じで、違うところへ避難しているはず。でも、いつも、適度な時間になったら帰ってくるから、大丈夫だと思う。
気になっていたこと頭の隅に置いてから、わたしは紅茶を一口含む。
そんな時、リビングの入り口から聞こえたのは、弥ちゃんの声だった。
「あっ!待ってよジュリりん!」
『待てと言って、待つ馬鹿がどこにいると思っているっ!』
「ジュリりん、待ってってばー!」
思っていた通り、ジュリはどこかに避難していたらしい。けど、弥ちゃんの声を聞いたあとに、ジュリの声はぱったりと止んでしまった。
これはおかしい。
わたしは立ち上がってリビングの入り口へと向かうと、そこには弥ちゃんの後姿が見えた。
「弥ちゃん? どうかしたの?」
「あ、おねーちゃん。今、僕がドアから入ったら、ジュリりんがドアのすきまから外へ出て行っちゃったんだ。待ってって言ったのに、そのままひじょうかいだんの方に走っていなくなっちゃった」
「そうなんだ」
「おねーちゃん、僕が、ジュリりんを探しに行ってくるよっ」
そうなるきっかけを作ってしまったから、責任を感じているのか。使命感に燃えた弥ちゃんが今にもリビングをあとにしようとしている。
「あ、いいの弥ちゃん。ジュリもマンションの外へは出ないと思うから大丈夫だと思う」
「でもでも」
「それに、お腹が空いたらちゃんと戻ってきてくれるし」
「……そっか」
まだ納得がいかないのか、弥ちゃんの表情は少し曇っている。ジュリの事をすごく気に入っててくれているからだろうけど。でも、それも数秒もしたら綺麗に消えて、弥ちゃんはパッと笑顔を見せた。
「そうだ! ねーおねえちゃん! まーくんを起こしに行こうよ!」
「え?!」
弥ちゃんが次に思いついたのは、雅臣さんを起こす事だった。わたしの手を引いて、エレベーターへ向かおうとする。
でも雅臣さんは今日の早朝に戻ってきたし、今起こしたら寝足りないかもしれない。それに、帰ってきたときの顔色の悪さが気になった。今日は雅臣さんもお休みだってホワイトボードには書いてあったし、少しでもゆっくり眠ってもらいたい。
「弥ちゃん、お腹空いてない?」
「え?」
急に違う話をして、弥ちゃんもきょとんとしている。
「弥ちゃんがお腹空いてるなら、おやつにホットケーキ作ろうかと思って」
「ホットケーキ!!! 僕、食べたい!」
「うん、それじゃあ弥ちゃんも一緒に作ろう?」
「僕も? いいの?」
弥ちゃんがキッチンに立つ機会はほとんどない。これは右京さんが『弥は注意力が散漫なので、誰かが付き添っていない限り台所へ立たないように言い聞かせてます』と言っていたことから、弥ちゃんがコンロを使用して危ない目に合わないように考慮してのことらしい。
さすがに、もう少し経てば大丈夫だと思うけど、それも右京さんから良いって言われるまでは弥ちゃんが一人でコンロに触れることは許されないんだと思う。
でも、今はわたしが一緒にいるから大丈夫だよね?
「うん、もちろん」
「じゃあ、僕、お部屋からエプロン持ってくる。おねーちゃん、待っててっ」
「うん」
弥ちゃんがリビングから飛び出したあと、わたしはキッチンへ足を運び、卵と牛乳、そして棚の奥に置いといたホットケーキミックスを取り出した。器具はボールと泡だて器、それとフライパンにターナー。これだけでホットケーキは十分。だから、弥ちゃんにもできるんじゃないかな。
「おまたせ、おねーちゃん」
以前、学校の家庭科で作ったといっていた、獣耳戦隊ミミレンジャーの絵柄のエプロンを着けてきた弥ちゃんは、嬉しそうにキッチンまで来た。
まずは手を洗ってから! そう言って手を洗った弥ちゃんが、準備万端と目を輝かせている。
「じゃあ、まずこのボールにホットケーキミックスを入れてくれる?」
「うん」
「それができたら、別の器……これで卵を割ってね」
粉の入った袋を切り、ボウルにそれを入れた途端、周囲に粉が舞った。多分、弥ちゃんが粉を放るように、ボールへ落とし込んだからなんだけど。
「けほっ……すごーいっ!コナコナー」
「大丈夫、弥ちゃん?」
「うん、ヘーキだよ。次は……卵。えいっ」
器に叩きつけるように割った卵は、そのままぐしゃっと潰れるように割れ、器の中には壊れた黄身と卵と殻がいっぱい入っていた。
卵をあまり割ったことがないと、どうしてもこうなっちゃうよね。
わたしも初めて卵を割ったときは、弥ちゃんと同じような状態だったから。
「あれー? ……おねーちゃんやきょーたんみたいにうまく割れない」
「弥ちゃん、卵の殻は手で触ると固いけど、こういう器にぶつけるとすぐ割れちゃうの。だからもうちょっと優しくね」
「やさしく?」
「うん。ホットケーキミックスには卵は一個でいいけど、弥ちゃんの練習のためにもう一個割ってみようか」
わたしは冷蔵庫の中からもう一個卵を取り出した。これは、お昼ご飯とかに使えばいいかな。
わたしの言ったことをちゃんと覚えてた弥ちゃんは、今度はこつんと器にぶつけるだけで加減ができたようだ。ひび割れたところを抑えて開くようにする。
そうアドバイスをすると、黄身も崩さずに割ることはできた。まだ小さな殻が何個か入っているけど、これも練習したらなくなると思う。
それからは、わりとスムーズにいった。もともと牛乳はわたしが量っていたし、あとは混ぜるだけだったから。
でも、フライパンを温めている時、それは起こった。
「おねーちゃん、僕、役に立てた?」
「うん、とっても助かっちゃった」
「えへへ……僕ね、もっともっとおねーちゃんを手伝ってあげたいな」
「ホントに、嬉しいな」
「だって、そしたらおねーちゃんとケッコンした時に、おねーちゃんが困らないでしょ?」
「え?」
弥ちゃんが何を言ったのかわからず、わたしは一瞬止まった。
「おねーちゃんとケッコンしても、僕がイロイロお手伝いするから、安心してね」
「え、あの……弥ちゃん? ……あっ」
動揺して思わずフライパンの取っ手ではなく、熱っしてある方を触ってしまって、わたしは瞬時に手を引っ込めた。
触ってしまった部分は、すぐにちりちりとした痛みに変わっていく。
「わー! おねーちゃん大丈夫?! こんな時は水につけるといいんだよね? 前にまーくんが言ってた!」
ビックリして立ちすくんでいたわたしの手を掴み、弥ちゃんはそのまま水道の水を出してわたしの手を冷やした。
「どうしよう……えっと、えっと、まーくん! おねーちゃん、まーくん呼んでくるから、ちょっとまっててねっ!」
「あ、わ、弥ちゃん……っ! 大丈夫……」
そう言ったわたしの声は、弥ちゃんの元に届かず、弥ちゃんはリビングから出て行った。
流しっぱなしの水に、わたしの指先は冷えていく。でも、先ほどの痛みは変わることなく、鋭い痛みを発した。
(注意力散漫なのはわたしの方だよね)
火がかかったままのコンロを止めたわたしは、再び水に指を浸す。
雅臣さんと弥ちゃんが慌ててこちらに戻ってくるまで、わたしはぼんやりしながら赤くなった指先を眺めていた。
燻る指先
2013.08.18
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