哀想/100sss | ナノ


静かな書斎で耳に届くのは、本のページを捲る音ばかり。ぱさり、ぱさりと乾いた音を立てるそれは優しく耳に打つ。いつしかフェリチータは、それを傍立てては心地の良い気分を味わっていた。

左隣に座るノヴァの方が断然読むスピードが速く、フェリチータはいつしか自分の手の中にある本を読むのもそこそこに、ノヴァの手元を見つめていた。

本当なら、室内は耳に痛いほどの静寂だった。言葉も交わさず、互いの顔を見るでもなく、それはフェリチータの好きな賑やかさとは皆無であるのに。
大好きなノヴァが隣にいるだけで、そんな事はどうでもよくなってしまった。
ノヴァと過ごすこの静さも、フェリチータの好きなものとなっていったのだから。

開いたままの本を何も考えずにただ文字を流し読みし、まどろみを行き来するようにまったりと過ごす。時折、隣の様子を伺うように、まるで物陰から垣間見るように隣をこっそりと覗くと、そこには読み始めた頃と変わらずの、ノヴァの姿があった。

男の子にしては可愛らしいくらいの顔は、小さな面積の中に綺麗に収まったそれぞれのパーツが並べられている。羨ましいくらいの長い睫が揺れると、他の所もつい見入ってしまう。
少しつり上がった目元は、冷ややかな印象で、中身もそれに外れることなくクールだ。だが、生真面目なノヴァだからこそ、周囲はその真面目さを崩してみたいのだろう。ファミリーやレガーロの住民を問わず、からかっているものの方が多かった。ノヴァが怒鳴りつけている姿を見かけるのが多いのは、そのせいだろう。

けれど、その反面を、フェリチータはちゃんと知っている。
ノヴァがどれだけレガーロ島のことを想っているか。
僅かな微笑みを浮かべるとき、どんなにフェリチータに優しいか。


怒られると、確かに悲しい。
自分の不甲斐なさが悔しい。
けれど、ノヴァはいつも正論で、どれもフェリチータの成長を促すものだから。

恋人という以前に、尊敬できる相手だった。仕事に対しての真摯な思いを、フェリチータも見習いたい。
そんな思いのまま暫くの間、ノヴァを見つめていたフェリチータも、ゆっくりと視線を外し、こみ上げてきた眠気をかみ殺すように、欠伸を一つもらす。
重たくなってきた眼へゆっくりと瞬きを与えたあと、手にしていた本を膝の上に置き、投げ出すように手をソファに載せる。変わらずの静けさは、やはり心地良い。ゆっくりと身を任せるように瞼を閉じると、次第に意識は遠のいていった。




それを手放していたのは、ほんの一瞬のはずだ。
触れ合う感触を感じ、意識を取り戻したフェリチータが、ゆっくり瞼を押し上げていくと、ソファへ投げ出していた手に温かなものが触れていた。緩慢な動きで首を左に向けたフェリチータは、自分の手から先へゆっくりと視線を滑らせたが、手に触れるものの正体を悟ると、驚きのあまり息をのんだ。


掌の先には、ノヴァの掌。
つまり、フェリチータの手はノヴァと繋がっていた。

レガーロ男はスキンシップが多い。それはもう過剰にというほどに。
さすがにパーパの娘であるフェリチータへは報復を恐れてか、ファミリーの物でも一部の幹部のみだ。
だが、一歩外へ出てみれば、女性を見かける度に誉めちぎる男をみるのは珍しくない。ルカとパーチェを連れ立ってバールへ赴いた時、友人同士であるのに、まるで恋人のように会話をしながら手や肩、それに脚に触れる男性を見かけた時は、思わず目を剥いた。
ずっとルカとマンマとの三人で暮らしていたフェリチータには、奇異な光景であったが、これがレガーロ男と言われればそういうものなのだろうと思うしかない。

だが、ノヴァに対してはそのようなスキンシップなども一度も見たことがない。
恋人であるフェリチータへも、手を繋ぐことや口付けも、ほとんどないと言っても良い。
手を繋ぐのだって、仕方なくといったように、フェリチータの我が侭を押し通すことが多いのに。

(……ノヴァ)

思いがけない不意打ちに、フェリチータは嬉しくなる。
しかし、それを握り返そうとした矢先、ノヴァは繋がりを解き、フェリチータの指をそっと撫で上げた。
指の背、爪の形、節の部分。そっと辿るノヴァの指は、日頃、刀を使っている為か固い皮で覆われている。
いつも帯刀している日本刀を使いこなしたいからであろう。ノヴァの努力がそこににじみ出ていた。
だが、どんなに固い表面でも、壊れ物を扱うかのごとく撫でられれば、くすぐったいものだ。
反応を返せば、ノヴァはすぐにでもこの手を離してしまうだろう。
これは全て無意識のうちに行われているのだから。


真剣な眼差しを本へ向けたままのノヴァは、フェリチータが起きたこともまだ気づいていないようだ。
親指から始まり、人差し指、中指へと辿って行ったノヴァは、薬指に嵌った婚約指輪までたどり着くと、そこへ執着したかのように何度もなぞって行った。
ノヴァの想いがつまった婚約指輪だから、無意識のうちでもそうやってフェリチータの指に嵌っていることを確かめたくなるのだろう。
いつもだったら、そんな想いにくすぐったいような気持ちになるのに、フェリチータは別の事に気を取られ始め、困惑していた。

(……なんか、身体が熱い)

それは、ノヴァが触れてくる部分から広がり、全身に行きわたっていく。脳裏がしびれるような感覚に、フェリチータは唇を噛んで耐えた。

「…………っ」

危うく声が出てしまう所だった。
ノヴァの隣にもっといたい。
その願いを自ら叶えるべく、フェリチータは必死で耐える。触れられるのが気持ち良くて、もっと触って欲しいのに。
未知の感覚に揺らいでしまい、涙が浮かんで来てしまう。

(やっ……駄目)

限界は、それからすぐに来てしまった。
ゆっくりと掌全体を再び包まれた時、敏感になった手が痙攣を起こしたみたいに一瞬震え、フェリチータは鼻にぬけるような声をあげてしまった。

「……んっ」

「…………?!」

その声に、ノヴァの方もすぐに気づいたが、顔を真っ赤に染め上げているフェリチータを見て、瞬時にノヴァの顔も同じように染まった。

「な、……な、……ち、ちがう、これは違うんだ!!」

「……なにが?」

「だから、僕が……お前の手を繋いでたのは、……特に意味なんか」

急に声を荒げはじめたノヴァは、照れ隠しなのか先程の名残を消すため、パッと手を離し、ソファの一番端に座り距離を取ろうとした。
けれど、フェリチータは咄嗟にそれを追いかけ、抱きかかえるようにその手を掴んだ。

「……駄目」

「お、おいっ!」

軽く押し返そうとしたノヴァを有無をも言わさないように抱き着こうとしたフェリチータは、勢い余ってノヴァへダイブしてしまった。衝撃にきしむソファに、揺れる二つの身体。
衝撃から覚めて、咄嗟に瞑ってしまった二人は、ゆっくり開いた瞼の先に間近にあった恋人の顔に驚いた。

「っ!……大丈夫か」

「う、うん」

顔を背け気まずげな雰囲気に、思わず肩に力が入るが、そっと顔を上げると、偶然にも同じタイミングでノヴァと目が合い、フェリチータはまた顔を赤らめた。
息も触れそうな距離。けれど、それもいつ離れていってしまうか分からないノヴァに、フェリチータは手を伸ばす。
先程繋がっていた手を、もう一度繋ぎ直すために。

「ノヴァ……私はノヴァとこうするの、好きだよ」

「……っ!」

「意味とか理由とかそんなんじゃなくて、ノヴァともっとこうしたい」

離れていかないように、必死に掴んで。
顔も反らせぬように、更に距離を近づけて。

「わ、わかった……わかったから!少し距離を」

「嫌っ……!ノヴァはこうするの嫌い?」

そう駄々を捏ねるフェリチータに、ノヴァの方も焦れたのかフェリチータの肩を押し返す。

(あっ……!)

抗議の声を漏らすまでもなく、視界は変わってしまった。
濃紺の瞳が、夜空を照らすように光る。眼前に迫ったそれはぶつかってしまうのではないかというくらい近い。
けれど、触れ合っている場所はそこではない。フェリチータもノヴァも互いの唇を合わせていた。

「……っ」

突然の行動に、フェリチータの思考は追いつけなかった。ノヴァは離れるどころか更にフェリチータとの距離を縮めていた。
左手はノヴァと繋がったまま、そして右肩は押しとどめるように強く背凭れに沈んでいた。夜闇は濡れたように光り、フェリチータを眺め続けている。恥ずかしさを軽減するように瞼を下すと、口付けは角度を変えて深くなった。

「ふっ……んっ」

「っ……ん」

合わさる唇に、ふわふわと思考を緩ませて、フェリチータ僅かに唇を開く。それを待ち構えていたかのように入ってきたのは、空気ではなくノヴァの熱い舌で。唇を割りゆっくりと咥内に侵入してくると、怖がって奥へと引っ込むフェリチータをそっと撫でた。普段は億尾にも見せないその情熱的な熱さに全身が粟立っていく。
唇よりも柔らかな、けれど芯のあるそれが触れただけで、フェリチータの身体は溶けてしまうのではないかと錯覚した。チョコラータにでもなった気分で誘い出されるように、フェリチータもおずおずとノヴァの舌と絡めると、溶けたフェリチータがノヴァと合わさるような気がした。

「ん……、はぁ……」

唇が離れたのは、そのすぐあと。

『すまない』そう、声には出さず唇だけで申し訳なさそうに告げるノヴァに、フェリチータは未だぼんやりする思考を持て余しながら、何とか首を振って答える。

(私は嬉しいよ、ノヴァ?)

言葉の代わりに繋いだ掌を少しだけ強めて、そっと笑みを浮かべると、同じように微笑んだノヴァがフェリチータの瞼に口付けを落した。




眼前の希望
2012.08.25
(エナメル)
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