「おい、おい……君!しっかりしなさい。おい!」

「…ん……んっ」

「生きてるようだ…。おい、この子を家に運びなさい!」

「……っお父さん…お母さん…は?」

「…君、一人だよ」


伊智は涙を流し、それを隠すように右腕を目元の上に置いた。
その時、手に握りしめている落ち葉を思い出してくしゃりと開いた。



「あ、あのっ……」

「なんだ?」

「むらさき……た……しんじる…もとさんって、……知りませんか?」






「助けてくれたその人こそが、信元さまでした。信元さまは当時21。次期村長としてその時の騒動の片付けをしていた時に、田んぼの溝にはまっていた私に気付いたそうです」

「それで?それからは柴田家に引き取られたってことか?」

「ええ…。村長の勝也さまとその奥さまは猛反対されましたが、勝也さまの弟の信元さまの方が、実質村人たちの信頼も勢力もありました。だから勝也さまは信元さまに逆らえなかったのです。私は、柴田家の義理の次女として引き取られる事になりました。………両親が死んだか、それとも今どこかで生きているか…それは私にはわかりません」


「………」


銀時は頬杖をついて黙って聞いていた。
伊智はソファから立ち上がっていちご牛乳をカップに入れ、それを銀時に渡した。
適度な糖分を与えないと機嫌が悪くなるということを理解したようだ。


「それで?」

「それから5年間、ずっと幸せでした。たまに言われる陰口と、叱られる時の暴力くらい屁じゃありませんでした。生贄の兎姫さまは私を本当の妹のように思ってくれた。信元さまも私を娘のように見てくれた。お父さんとお母さんがいなくなって、喪失感しかない私も…5年経てば12歳の一人の女の子になっていました」











柴田家での伊智の扱いは誰よりも下だった。
兎姫の身の回りの手伝いから、村への使い、掃除、洗濯をするのは毎日の習慣だった。
ただし料理だけは"毒を入れられても困るから"と全くさせてもらえなかった。


「兎姫さま、お風呂の用意ができました」

「ありがとう伊智。一緒に入る??」

「いっいえ!!は、恥ずかしいんで…」


楽しげに笑った兎姫は通りすがりに伊智の頭を撫でて自室を出て行った。
伊智の一日のほとんどは、兎姫の傍にいる事だった。
ずっと憧れだった兎姫の傍に入れる事が、妹のように扱ってくれる事が伊智は嬉しかった。


「兎姫さま!」「兎姫さまっ」「兎姫さまー??」


『またあの子口を開けば兎姫兎姫兎姫兎姫………あの子を人として接してくれるのなんて、信元さまと兎姫さましかいないよ』

『ただの農民が調子に乗って近づこうとしてるのよ。あの子は何をあがいても幸せなんてなれないのにねぇ』

『そうよ、だってあと8年もすれば…』

『…………お洗濯物、こちらに出しておきます』

『…そこらへんに置いておきな』

『盗み聞きしてたんじゃないわよね』

『別に…』

『なんだその口答えは!しつけがなってないんじゃないかしら!』

『っ……』

陰口なんか気にしなかった。蔑む目も慣れてしまった。
誰かに大切に思われる事なんて、知らないまま生きてきた。
信元さまも兎姫さまも、結局は私を一番大事には思ってくれない。





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