016
「っち。なんでシロアリがいるんだよ。聞いてねーぞキユ」
「アリって…つか無理言わないでよ、お客様追い返すなんてできないっしょ」
「貸し切りにしとけ」
黒瀧に対する城多の表情は、先程藤後に見せた顔とは全く違うものだった。
穏やかな笑みになんとなく気が抜けて小さく溜め息をつく。
…なんとなく?
なんとなくって。何だ。
(てゆうか、別に関係ないし。
何で私がコイツの心配しなきゃならないわけ。)
今は仕事中だ。店のことだけを考えないと。
気を取り直して店内を見渡す。
殺気立っていた真南もとりあえずは落ち着いてくれたようで、大人しく席に座っていた。
白猫は奥の団体用テーブルに陣取り、あからさまに黒猫の悪口(笑)を言い合っている。
「てかマユちゃんも来てたんだ。ちっちゃくて見えなかったよ」
「ホット。ブラック」
明らかに城多の言葉に気を悪くしたのだろうが、相手は小さく眉を動かしただけでそれ以上は言わなかった。
彼だって女子である此方からすれば背が小さいとは言い難いのだが、180を超える城多からすればそうなるのだろう。
「マユちゃん」と呼ばれた少年は常連客のような注文をした後、カウンターに黒瀧を残してさっさと入り口近くの席へ腰を下ろした。
「てめナギ…フツー舎弟であるお前が払うんじゃねえの」
「誘ったの、修一」
先に会計を済ませた黒瀧が唸る。
明らかに不機嫌な黒瀧に動じず、舎弟の彼は首にかけたヘッドフォンをいじっていた。
「ったく…」
しょうがねえな、そう呟いてから黒瀧は短くため息をつく。
それを見た城多が私の背後でくすりと笑った。
「お待たせ致しました」
カプチーノとブレンドコーヒーを注いだカップを二つ。
私はいつものように注文されたものを差し出す。相手は「黒猫」のトップだ。
さすがに緊張を抑えることはできないけれど、客であることに変わりはない。
普段どおり振舞うだけだ。
そう……思うのだが。
「お前が、例のネズミか」
「え……?」
角砂糖を乗せたトレーを受け取りながら、黒瀧がじっと此方を見る。
射抜くような視線に、体は必要以上に強張った。
思うように動かない。
なんだ、これは。
私は…
わたしは、
どうしたというのだろう。
「黒瀧」
「あ?」
真南の声にはっとする。
まるで何年も聞いていなかったかのように友人の声は懐かしく感じた。
それだけ、全神経を使ったのだと思う。
たった数秒のことがこんなにも長く感じたのは初めての経験だった。
「それ以上近づくな。ぶっ殺す」
「あっそ」
黒瀧は真南を睨んだ後、またすぐ此方に視線を移す。
「…っ」
一歩後ずさった後ろはカップの洗浄機。
背中がぶつかって、がちゃがちゃと嫌な音が店内に響き渡る。
「どうでもいい……今は、な」
今度は何を言われるのかと唾を飲み込んだが、相手は興味なさそうにそう呟いて舎弟の座る席へと向かう。
そのまま席へ座ると、携帯を取り出して電話の向こうの誰かに怒鳴り始めた。
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mokuji
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