012
(保健室なんてものがあったんだ。)
いや、あって当然。
無くては困るのだが。
こんなマトモな環境を保ったマトモな施設があったのか、と感心してしまった。
自分がどれほど常識を逸した体験をしてきたか改めて理解する。
正直なところ苦笑せざるを得ないし…するしかない。
ぼーっとして覚束ない頭で、ここが何処かを理解したそのときだった。
「ああ…起きた?」
シャッとカーテンが開いて、頭上から男子生徒の声が降ってくる。
顔を上げれば、今朝遭遇した「黒猫」の幹部の茶髪が立っていた。
…今朝の、くろねこ。
……。
…………。
「!!!!!」
何がどうしてこうなったのか、状況はまったく理解していないが、自分が最悪な状況にあるということだけはわかった。
ガバッと起き上がる。
「なんだ。起き上がれるんじゃん」
カーテンが開いたことで部屋全体は見渡せる。
養護教諭がいるはずの机は無人。
自分と相手以外に、人の気配はない。
「元気そうで、何より」
逃げるべきか。
完全に固まった体がいうことをきくかどうかは別の話だが。
「また会ったね。ネズミちゃん」
白滝湯。
じゃなかった、城多騎由。
ここは源泉地で有名な観光地ではない。
養護教諭不在の、保健室だ。
「そんなに怖がらなくていいよ…別に、何もしない」
彼が私を捉える。
黒目がちの瞳の中で、私は猫に追い詰められた鼠さながらに縮み上がっていた。
「1年D組、灰葉雪姫さん…で合ってる?」
「……」
ごくっとつばを飲んだ。
コクコクと頷くだけの返事に相手は満足げに笑う。
「お姫様だなんて、随分可愛い名前だね」
猫は遊びながら狩りを覚えるという。
前足で転がして、引っかいて、動かなくなるまで。
それが壊れてしまうまで。
楽しんで、満足する。
可愛らしく残酷な生き物だ。
改良されたイエネコも百獣の王のライオンも、本質は変わらないのかもしれない。
獲物を見つけた猫が舌なめずりをする。
瞬かせた目に、悪戯な猫は異様なほど大きく見えた。
「白猫の諜報員と、お友達らしいね。
悪いんだけどさ…そうなると状況が変わるんだわ。
今朝言ったこと、取り消さして?」
人の良さそうな笑顔で彼は笑う。
ネクタイの黒猫がにゃあと牙をむいた。
「君が白寄りの灰色であるかぎり、
黒猫の敵ってことになるから」
耳元で囁く。
「黒猫においでよ。
歓迎するよ?」
ゆっくりと、宥めるような優しい声音。
「それとも友達を失くしたい?」
真南の顔が浮かんですぐに消えた。
無邪気に笑う、可愛い友人。
私の大切な―――。
「そんなこと、君にはできないよね」
ネズミは、布団を握り締めるのが精一杯で声すら上げることもかなわず、
ただネコを見つめるのだった。
窮鼠、猫に遭う。fin.
next... wait.
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mokuji
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