005



「まぁいいか…その様子じゃ、どっちにも入ってないんだろうし………った。本当に」

ぼそっと口にした言葉の語尾は聞き取れなかった。
彼は口元を緩ませて控え目に微笑む。

「もう、これに懲りたら猫に逆らったりしないようにね。俺みたいなやつらばっかりじゃないから」

それはひどく優しい声だった。
一瞬ドキッとするが、思考停止している場合ではないとコクコク頷く。

相手は「猫」。
失礼があっては、いろいろと面倒なことに…

「俺は城多騎由(しろたきゆ)。よろしく?ネズミちゃん」

今更になって慌てている私に、満足そうに笑い城多は背を向けた。
ゆっくり歩いていく後ろ姿は見る間に小さくなる。
私や、他の生徒とは歩幅が全く違う。
彼を見て、気づいた生徒の誰もが道を開けていく。
皆知っているのだ。
彼が猫だということを。
私はたった今知ったばかりだというのに。
道行く通行人を追い抜いていき、あっという間に曲がり角へと姿を消した。

猫みたいだ。あんなに背が高いのに。

「しろたきゆ…」

白滝湯?どっかの温泉か?変な名前。
くすりと笑って、小さくため息。
鞄を持ち直そうとして、ようやく手の震えに気がついた。
かたかたと指先が震えて止まらない。

怖かったのだと思う。おそらく。
気づくのが遅過ぎる。
鈍いのも考えものだ。
けれど対象はもう、去ってしまった。
怖がる必要なんてどこにもない。

「あ。やば!」

校舎から予鈴が鳴り響く。
そこでようやく、私は本来の目的地へと意識を向けたのだった。



* * *




かたん。
ドアに手をかけ、左に引く。
重い扉を頭が入るくらいこじ開けて中を覗けば同じクラスの男子生徒と目が合った。
どうやら彼が扉に背を預けていたらしい。
開けにくいわけだ。

「あー、ごめんね」
「…」

むすっとした一瞥をくれただけで、彼は何も言わなかった。
眠そうな顔だ。もしかしたら眠っていたのかもしれない。
一応すまなそうに謝ったが、目的は教室を覗くことではない。
私は中に入りたいのだ。
退いてくれるだろかと期待したのだが動く様子はない。

「ちょっと、ずれてくれない」
「あー?」
「前から入れよ、ブス」
「いいから、退け

私の席は窓際の一番後ろにある。
自分にとっては後ろのドアから入るのは当たり前のことなのだが。

朝から女子に向かって何て言葉を吐くんだろうか。
たった二文字の一言に軽くはないショックを受ける。
明らかな言葉の暴力にイラッときた私は、此方も声を落として「お願い」することにした。
そう、二文字で。

「…」

ざけんなだのヤるぞコラだの騒ぐ三人の傍ら、傍観を決めていた無口な彼がドアから背を離す。
失礼な奴ら(つまり暴言を吐いている奴らだが)は、その行動が余程珍しいのか意外そうな顔をした。

「こーちゃん」
「え、なんで?」

こーちゃん。なんと可愛らしいあだ名だろうか。
眠そうな彼はドアに手をかけ、開けてくれる。

「ありがと」
「べつに」

教室に入り、無口(確か名前は古賀臣(こがじん)だったか)に礼を言う。
こーちゃんは興味なさそうに頷いて、またドアに背を預け、ズルズルとしゃがみ込んだ。
確か、彼らも黒猫に属していたはずだ。
古賀が他の数人を従えている…ように見えるが、あまり目立った行動はとっていない。
所詮はただのヤンキー崩れ。今朝遭遇した茶髪に比べれば怖くも何ともない。
そういえば彼も一年生のようだったが、クラスはどこだろう。
別に関わり合いたいわけではない。居場所が分かれば避けることも出来るだろうという意味だ。


席に着き、鞄から教科書や筆記用具を取り出す。
程なくして担任の男性教諭が入ってきた。
HRが始まったが教室の喧噪は相変わらずだ。
担任も気にすることもなく連絡事項を伝え、黒板の隅に書き足すと 教室を出て行く。
相変わらず。だ。

今日も普段と変わらない一日が始まろうとしていた。



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mokuji
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