001
あれから一週間。
エレーナがナディール神殿へ赴く日が慌ただしくやってきた。なんとか、結界の張り方を覚え(ライル長官はスパルタだった…)今に至る。
「では、行って参ります」
父王と母后に一礼すると馬車に乗り込む。
見送る二人の表情は、対照的だった。
母は心配、父はどこか安心したような表情を浮かべている。
神殿まで共に向かうエルガは、ライル長官と密談しているようだ。
何を話しているのかは分からないが、ライル長官が軽く頷いていたことから悪い話ではないのだろう。
「国王陛下。道中、必ずや姫様を無事に送り届けます」
「ああ。心配はしていない。エルガ殿が共に行くならば、これ程心強いことはないだろう」
父の言葉に、エルガは眉尻を下げて笑う。
父は、エルガを信頼しているようだが、私は、正直心配でたまらない。
おそらく、母も同様なのだろう。
同行者の中で最も力が弱いのは誰がどう見ても、彼だと言うだろう。
だが、父やライル長官は大丈夫だと言うだけで、理由は教えてもらえなかった。
「姫様、参りましょう」
エルガがそう言うのが合図だったかのように、馬車は静かに滑り出すと城を後にした。
エレーナを見送った王妃は、ぽつりと漏らす。
「陛下。あの子は大丈夫でしょうか…」
「心配ない。無事に神殿へ着くだろう。何せ、あのエルガ殿が同行しているからな」
「…エルガ殿に絶対の信頼をおいてらっしゃるのね」
「彼は、エスタリア様と共に魔族と戦った実力者だ。それに、彼は『無事に送り届ける』と言っていたから、エレーナは無事に神殿に着く」
彼は、言霊を使った。彼らの使う言霊は、できないことには絶対使われないと前にライル殿から聞いた。
だから、大丈夫だ。
そう言うと、踵を返した。
出立してから一時間ほどで馬車は山道を進んでいた。
一国の王女が乗る馬車にしては質素で引き連れる者も少ないが、旅路は順調に進んでいる。
「姫様、お疲れでしょう?あと少しで頂上ですから、休憩にしましょうぞ」
エルガが提案し、私の同行者が同意する。
確かに座り続けていて腰が痛いし、お腹も空いてきたから、この提案はありがたい。
それに、頂上に近づくにつれ心なしか寒さが増しているような気がする。季節は冬が明けたばかりだが、まるでこの辺り一帯が冬に取り残されたかのように、身体の芯まで凍る寒さだ。
ガタン、と音を立てて馬車が止まるのと同時に、御者の慌てるような声が聞こえた。
「…はは、全く。五十年前に眠らせたはずなんだが。これも、奴の影響なのかな」
今の声は、誰。
若い男の声だった。
この中で男の人なんて、一人しかいない。
けれど、あんな言葉遣いをしそうにないと思いつつ、目の前の彼を見る。
――彼は、瞳に鋭利な光を宿していた。
その瞳が、私を見据える。
「…姫様。私はこれから、この寒さの原因を潰して来ますので、ここから出てはなりませんぞ。危ないですからのぅ」
「魔族の仕業、ということですか?危なすぎます、エルガ殿!」
魔族、という単語に同乗する彼女は短く悲鳴をあげるが、目の前の爺が心配だった。
だが、彼は私の静止も聞かず、何事かをつぶやくと外へ飛び出した。
慌てて窓を開け彼の姿を追えば、そこには執事服を纏った、背の高い青年がいた。
相対するのは、体が氷で作られている女性だ。
「え、エルガ殿?」
彼は、ちら、とこちらを見る。それは肯定だった。
エルガは、そのまま魔族へ向かっていく。
魔族の方も、エルガの姿を認め氷の刃を放つ。
彼は、それを軽くかわすと魔族に火の玉を降らせる。それは魔族の髪に直撃し彼女の体を溶かした。
魔族から悲鳴が上がる。
「遅いですよ、ドゥーラ。五十年眠っていて、身体が鈍ったんじゃないですか?…それとも、永遠の眠りをご所望なんですか」
『その憎たらしい言動、貴様ナディールの影か!わらわのこの美しい髪を焼くなど、許さぬ!このでき損ないが』
その言葉にエルガの肩が跳ねる。明らかに悪意を持った言葉に、頭に来たのだろう。
「聞き捨てなりませんねぇ…。貴女より、私の髪の方が何倍も美しいでしょうに。いえ、貴女など私の足元にも及びませんね!私は、どこを取っても美しいですから」
違った。
え、怒るとこそこですか?
思わず心の中でツッコミを入れてしまった…。
今は、出来損ない、と貶されたことを怒る場面のはず。
はずなんだけれど…。
相手の美しいという言葉がそれよりも許せないらしい。
私の周りに、ああいったタイプの人種はいないから、困惑する。
この人種に出くわした場合の対応は、一体どれが正解なのか。
自問自答するうちに、二人は再度激突していた。
氷の礫が日の光を反射して、キラキラ輝く。かと思えばそれを赤い火の粉が打ち消す。
ドゥーラはなかなか決まらない勝負に苛ついたのか、巨大な氷柱をエルガに投げつける。
それは、光速でエルガに向かっていった。
あれは、絶対に避けられない。
きつく目を瞑る。
「《止まれ》」
声が、響く。
ついさっき聞いた、エルガの声。
そっと目を開く。
次に飛び込んで来た光景に、何が起きているのか、状況が上手く把握できなかった。
エルガの体を貫こうとした氷柱は、二歩手前で止まっていた。
だが、止まっていたのは氷柱だけではなかったのだ。
勝利を確信したドゥーラの笑みも、氷の礫も、エルガに相対するモノ全てが止まっていた。
「全く…。頭が五十年前から進歩していませんね。私がどういった能力の持ち主かお忘れのようです。まぁ今回はきちんと葬って差し上げましょう」
さようなら、ドゥーラ。
そう言うと、氷柱を持って投げ返した。
氷柱は、ドゥーラの胸を貫いた。
彼女は断末魔の悲鳴を上げて、砂の如くさらさらと音を立てて消滅していった。
彼女の消滅と共に、周りの景色も元の在るべき姿へと戻る。
もう寒さは感じなかった。
「只今戻りました」
目の前で起こった、魔力を持つもの同士の戦いに呆気にとられていると、エルガが馬車へと帰還していた。
その姿は、見慣れた相談役だった。
「エルガ殿、あなたは一体…」
私の付き人、女官のルーナも彼に警戒の目を向ける。対するエルガは、いつもの笑みを浮かべたまま、この場所での休憩を促した。
先程、戦いがあったとは思えないほど穏やかな日射しの降り注ぐそこは、一面の花が視界を覆い尽くす。
「…私は、代々のナディール家当主に仕える影です。魔術師でも魔族でもない故に、彼女は出来損ないと言ったのです。何を言われても構いません。エスタリア様に認められているので。…まぁ数百年生きても、他に仕えるつもりは一切ありませんが」
昼食をとりながら、エルガは言葉を紡いだ。
自分が王城にいる理由を話した彼は、そのまま散策へ出ていった。
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mokuji
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