▼ 第四十四章




本丸から出ない日々が続いていた、ある寒い冬の日。
火鉢やら炬燵やらを導入して少し経った頃、降りしきる雪と同じ色の鶴丸が桜花の部屋を訪れていた。

「主、頼みがあるんだが」
「何ですか」

そう言えば近頃は寒いせいか鶴丸も随分大人しいなと思っていた桜花は、手を付けていた仕事をそこに置いて彼に向き直る。
鶴丸はいつもと変わらない様子で、それでも少しばかり遠慮するかのように口を開いた。

「町に出ないか」

しかし聞こえてきたその言葉に桜花は表情を硬くした。
あの日から、桜花は演練を始めとし買い物にも、文字通り本丸の敷地内から出ることはなかった。
動揺を隠すように鶴丸から視線を逸らし、桜花は意味もなく着物の裾を直しながら口を開いた。

「入り用の物があるのであれば、当番の者に頼んでください」
「いや、欲しいものはない。きみと外に出たい、それだけだ」

きっぱりとそう告げる鶴丸に桜花は押し黙る。
おそらくあの日何があったのかは皆知っているだろう。
それを理解した上での彼の発言の意図が読めなかった。

「…鶴丸、申し訳ありませんが…」
「きみは、そうやってずっと閉じこもっている気なのか?」

尚も食い下がるつもりなのか、鶴丸はそう続けた。
桜花は唇を左右に引き結んだ。
しかし鶴丸は真っ直ぐにこちらを見据えたまま頑なに動こうとはしない。
桜花がごくりと喉を鳴らしたときだった。

「失礼します」

その場になかった声に桜花の視線は襖へと向けられる。
僅かに開いたそこにいたのはこんのすけだった。
助かった、と思いつつ桜花はこんのすけを中へと招き入れた。

「主さま、念の為ご報告をと思いまして参りました」

入って直ぐにこんのすけは言った。
鶴丸が黙ったままくるりと向きを壁の方に向けたので、もしかしたら気分を害してしまったかもしれない。
そう考えながらも桜花はこんのすけに先を促した。

「何でしょうか」
「はい。こちらの本丸の審神者から、主さまにお会いしたいと何度も申し入れがありました」

こんのすけは小さな前足でずいっと紙を桜花の前へと押し出した。
漢数字が並べられているそれは恐らく本丸の番号なのだろう。
番号だけ見ても何もわからないが、と思っていると今度はこんのすけがとんとんと紙を叩きその前足を桜花の前に差し出した。
何もなかったその空間に、写真のように人が映し出される。
その技術に驚くよりも早く、桜花はそこに映し出された人物を見て目を見開いた。

「この方は…!」

自分にとても親切にしてくれた、友人だと思っていた彼だった。
あの日の彼の顔が頭を過ぎった。

「ご存知の方でしたか。こちらのこんのすけを通して何度も連絡が来ておりまして。しかし審神者同士の本丸間の移動は禁止とされております」

先日の件は特別ですが、とこんのすけは続けた。

「それで、日時と場所を指定するのでそちらに来て欲しい、と」
「……」

桜花は大包平に言われた言葉を思い返した。

『その友人に、ヒトでない自分の正体を知ってどう思ったのか聞いたのかと聞いている』

会うべきなのか。
彼があの日何を思ったのかは知りたいとは思うが恐怖が先走ってしまい、いつもその思考を頭の隅に追いやっていた。
膝に乗せていた手を握り締める。
その様子を見ていたこんのすけは僅かに目を細めると、桜花の前に差し出した紙を引き寄せた。
優しげな彼の姿がふっと消え去った。

「では、主さまのお心が決まったその折に改めてお願い致しますと相手方にお伝え致しましょう」

穏やかにそう告げ、こんのすけはその尾を振り桜花の部屋を後にした。
当然聞こえていたのか、鶴丸がこちらを気にする素振りを見せた。
鶴丸との会話の後にこの話とは何と間の悪い、と桜花は息を吐き何も無かったかのようにまた机に向き直った。

「…行かないのか」
「……」
「友人が、会いたいと言っているんじゃないのか」

友人、という言葉が心を抉った。

「外に出なければ、その友人にも会えないだろう」
「っ鶴丸!」

聞きたくなくて、とっさに大きな声を出してしまった。
しかし鶴丸は臆するどころか驚く様子もなく、ただじっと桜花を見据えていた。

「…確かに、審神者は歴史を守る為にここにいるのだから、外出の必要もないだろう」
「だったらなぜ…!」

金色の鶴丸の瞳と目が合う。
その瞳が悲しげに揺れた気がした。

「きみの…心が死んでいくのを、ただ見ていろと…俺に言うのか?」
「っ…」

桜花は唇を噛み締めた。
ぎゅっと拳を握って涙を堪えながら畳を見下ろす。

「きみを泣かせたいわけじゃないんだ」

ふと視界に鶴丸の白い着物が見えた。
そっと抱き寄せられ、細めのその肩に額を乗せた。

「審神者と、俺たち刀剣が…なぜヒトの形をしているのか、それは戦う為だけじゃないと思うぜ」

ぽんぽんと背中を数回叩かれ、鶴丸はすぐに離れていった。
桜花は指先で涙を拭うと一度深呼吸し再び鶴丸を見上げた。

「少しだけ、なら…」

彼に聞こえるか聞こえないかの小さな声だったが、もちろん聞こえていたようで鶴丸は嬉しそうに笑った。



久しぶりに外行きの着物に着替え、せめてもと被衣を手にして桜花は本丸の玄関に出た。

「主」

そこで呼び止めてきたのは燭台切で、その横には大倶利伽羅が立っていた。

「いってらっしゃい」

優しい声音でそう声をかけてきた燭台切に、桜花は小さく笑って「いってきます」と返した。
外履きに履き替えていると戦装束に着替えた鶴丸がやってきた。

「鶴さん、主のことよろしくね」
「任せておけ、うんと驚かしてやろう」
「ほどほどにね」

二人の会話を耳に入れつつ、桜花は緊張で震える手でそっと被衣を被った。



本丸から外に出ると、辺り一面は真っ白な雪に包まれていた。
遠くで何かが飛び立つ音がした気がするが、厚みのある雪に音が吸い込まれたようにすぐに聞こえなくなった。
時々吹く風は痛いくらい冷たくて桜花は一度ふるりと震えた。

「大丈夫かい」
「はい。でも外は寒いですね」

横を歩く鶴丸はやはり平気なのか、飄々と歩いていた。
ぱさり、と木の枝から雪が落ちた。
雪を踏む音だけが耳に入り、桜花はちらりと鶴丸を見上げる。
寒いからと着物と同じ色の襟巻きを巻いている彼は、この風景に溶け込んでしまいそうなほど儚く見える。
しかしその眼差しは力強く真っ直ぐに前を向いていた。

仲間達がいる場ではそうでもないが、彼は普段から騒がしくしているわけではない。
時にこうして主である桜花に向き合い、仲間達の上に立ち遠くを見据えている。
それが、やはり長い時を過ごしてきた刀剣であることを物語っているようだった。

「すみません、鶴丸」

掠れた桜花の声に、鶴丸は視線を彼女に向けた。

「貴方に…あんなことを言わせてしまうなんて…」

先ほどの、彼の悲しげな瞳を思い出した。

『きみの…心が死んでいくのを、ただ見ていろと…俺に言うのか?』

胸に重みを残すその言葉を噛み締めるように桜花は瞳を閉じる。
鶴丸の視線が一度こちらに向いたが、すぐにそれはまた真っ直ぐ前に向けられた。
彼が白い息を吐き出す。

「先にも言ったが、審神者と俺たち刀剣がヒトの形をしているのには理由があると…俺は思っている」

きみにそれがわかるかい、と鶴丸は問いかけた。
桜花はじっと足元の雪を見つめながら考えた。

(ヒトの形をしている理由か…)

それはもちろん、時間遡行軍との戦いの為ではあるのだろうが。

「ヒトでしか、成し得ないことがあるからでしょうか」
「そうだ。それは、きみでも言えることだろう」

鶴丸は嬉しそうに瞳を細めた。

「鬼であるきみだからこそ…成し得ることがある」
「それは…」
「それをこれから共に探すというのはどうだ?」

驚きだろう、と鶴丸は続けた。

「きみの成し得ることを、きみの近くで…そばで見ていたい、守りたいと思うのは、きみの刀としておかしなことかい?」

ふる、と桜花は首を横に振った。
その言葉はただ純粋に嬉しかった。

「きみが、ヒトでなかろうと…そうだな、鬼であろうと」

鶴丸は穏やかに桜花を見据えていた。

「そうしてきみが俺たちと共にあってくれるというのならば、俺は今度こそきみをずっと守り続けてみせよう」

桜花は身体がぽかぽかと温かくなった気がした。

「ありがとうございます、鶴丸国永」






―――続

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