▼ 第四十三章




預かった刀を刀掛けに置き、桜花はそれに向き合った。

『これで、思い残すことはありません』

穏やかにそう言って歌仙と共に桜花を見送った彼は、すぐにでもあの本丸を去るのだろう。
先ほどと同様、静かに後ろで控える一期を見て桜花は寂しく思えた。

(私もいつか…彼らと離れる時がくるのだろうか…)

自分の刀剣とも、そしてこの賜った刀剣ともいつかは離れる時がくる。
そうなった時、彼のように穏やかでいることができるのだろうか。

あの後、帰り際に彼と少しだけ話をした。

『ヒトはいずれ死ぬ運命にある。それはどう足掻いても変わらない。ならば、置いていかれた彼らはどうなるでしょうか。主のいない本丸で、出陣もできずただそこで生かされるだけ。そんな想いを、愛しい刀剣達にさせるわけにはいかないのです』

穏やかに、それでも芯を持った言葉に桜花はただ彼を見据えた。

『―――彼らは、主を失ったらどうなると思いますか』

その答えは、いくら考えても出なかった。



「主」

ふと背後から一期が声をかけてきた。

「顕現を、お願い致します」

そう言った彼の声音は、とても落ち着いたものだった。
彼の心情を思い桜花は一つ頷くと、ゆっくりとその刀に手を伸ばした。
自らの力がそれに注がれていくのを感じていると、やがて目の前にその姿は現れた。

「平野藤四郎といいます! お付きの仕事でしたらお任せください」

前下がりに切り揃えられた髪にきりりとした眼差し、そして見覚えのある装いと聞こえた名前に桜花は一度瞬いた。

「平野…!」

一期の息を飲んだ声が聞こえた。
当然のことながら目の前の彼にも聞こえていたようで、凛々しい表情を一変させ嬉しそうに一期を見た。

「いち兄!」

しかし喜んだのも束の間、彼はすぐに桜花に向き直り姿勢を正した。

「失礼しました、主さま。改めて、平野藤四郎です」

畳に手を付いて丁寧にお辞儀をする彼に、桜花は我に返って頷いた。

「よろしくお願いしますね、平野」
「はい!」

元気良く返事をした彼は、きっと本来の主の顔を知ることはないのだろうとぼんやり思った。



その日の夜。
窓から外を眺めていた桜花の脳裏には先日の演練のことや平野を授けてくれた審神者のこと、そして自分の刀剣達のことばかりが巡っていた。

そのせいか、いつも布団に入る時間をとうに過ぎてしまっていた。
ふと、かたんと部屋の外から音がした。
九尾が反応を示さないことから敵の類ではないとわかり、桜花はおもむろに立ち上がる。
秋の夜はぐっと冷える。
まさか、刀剣達がまだ寝ずの番を続けているのではないか、少し怒ってしまおうかと思いながら桜花が部屋の襖を開け放ったときだった。

廊下に立つ人影に桜花は目を見開いた。
彼も驚いたのか目を丸くしてこちらを見上げている。

「平野…!」
「あ、主さま…!」

内番服の彼はまだ寝るつもりではないのか、と桜花は呆れたように息を吐いた。

「こんな時分にどうしたのですか。兄弟達と一緒にお休みなさい」

さぁ、と平野を促そうとすると真剣にこちらを見上げる彼に気が付いて手を止めた。

「主さまが、寂しそうに外を眺めていらっしゃったのが見えました」
「!」

まさか、見られていたとは気付かなかった。
桜花は困ったように笑い、平野と視線を合わせるように屈んだ。

「少し、考え事をしていただけです。もう少ししたら休みますから」
「…主さま。少しだけ、ご一緒してもよろしいでしょうか」

穏やかに告げる平野に桜花は考えを巡らせたが、どうせ眠れないのだからと平野を自室へと通した。
少し話しでも、と思っていたのだがあろうことか平野はにこにこ笑いながら桜花を布団へと促し、自分はその横に正座した。

「平野、話をするのでは…」
「夜は冷えますので」

きっちりと桜花の掛布団まで整え、平野はまたにこりと笑った。
どことなく一期一振に似ているような、と桜花が思っているとふと平野が表情を変えた。

「僕は、実戦より、警護やお付きだったことのほうが多いんです。こうして今まで主を一番近くでお守りしてきました」
「平野…」
「主さまが、夜眠れないことは聞き及んでおります」

一度平野は目を伏せたが、やがて顔を上げた。

「僕がずっと、どこまでもお傍にいます。主さまを守る刀として…主さまに仇なすすべてのものから必ず僕がお守り致します」

ですので、ゆっくりとお休みくださいませ。
優しい声音を後に、桜花は静かに瞼を下ろした。



夢も見ないような、深い眠りだった気がする。
意識が浮上し、ふと目を開けると室内は既に明るかった。

「っえ!?」

何時、と桜花が布団から飛び起きると湯のみの乗った盆を持つ平野が目の前に飛び込んできた。

「おはようございます、主さま」

白湯をお持ちしましたと笑う平野に桜花は数回瞬いた。

「ひらの…」
「昨夜は良く眠れましたか?」

差し出された湯のみを受け取り、桜花は一度頷いた。
すると平野は嬉しそうに笑った。

「それは良かったです! では、朝餉に参りましょう」

お手伝い致します、とこれまた手際よく桜花の起床を手伝ってくれた。



ふと近くで食事を摂っていた歌仙が箸を持ったまま唖然とこちらを見ていることに気が付いた。

「歌仙? どうかしましたか」
「いや、何でもないよ。すまないね」

彼らしくも無いその無作法な様子に桜花は首を傾げる。
しかし空腹だったので視線をすぐに目の前の膳に戻した。

平野と本日のお世話当番だと迎えに来た秋田と一緒に朝餉にやってきてから少し経った。
朝食は起床が刀剣達によってばらばらの為、全振りが揃うことはまずない。
幾分寝過ごしてしまった桜花は、いつも皆に食事を出してから食べ始める燭台切や歌仙と同じ時間になってしまった。

「はは」

これまた近くに座っていた燭台切が笑った。

「平野くんの言った通りだから、歌仙くんは驚いているんだよ」
「え?」

どういうことか、と桜花は隣に座る平野を見下ろす。
平野は姿勢良く座り食事を摂っていた。
膳に箸を置き、燭台切もなぜか嬉しそうに笑いながら桜花に向き直った。

「あのね。今朝早くに平野くんが厨に来たんだけど…」

いつものように燭台切と歌仙が朝餉の準備を始めた頃。
平野が厨に顔を出した。

『あの、すみませんがお願いしたいことがあります』
『君は…平野くん、だね。何かな』

振り返った燭台切が平野と視線を合わせると、平野は続けた。

『今朝は、主さまの食事を少し多めに盛っていただけませんか。きっといつもよりお腹が空いています』

驚いた燭台切は同じく驚いて動作を止めた歌仙と目を合わせた。



「最近きみはよく食事を残していただろう。だから平野の言っていることが信じられなくてね」

そう付け足す歌仙の言葉を耳にしつつ、桜花は目の前の膳を見た。
言われて見れば、確かにいつもより少し多い気がする。
しかしどうだろうか、今日はよく箸が進む。

「本当にぱくぱく食べてるから、僕も驚いたよ」

そう言いつつ、嬉しそうな燭台切を見て随分と心配させてしまっていたのかと桜花は申し訳なくなった。

(でも、どうして…)

桜花は視線を平野に向けた。
やはり行儀良く箸を動かす彼と目は合わなかった。






―――続

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