▼ 第四十章




色付いた葉がはらはらと地面に落ち、庭に美しい色彩の絨毯が敷かれたような鮮やかな景色が窓から見える。
しかしそんな美しい景色にすら心が和むことも、ましてこの燻った怒りと哀しみの混じった感情を消すことすらもできなかった。

出陣を、内番を、書類を。
やることは山のようにあるはずなのに、あの時のことが脳裏に蘇っては片付けようという気になれなかった。

「気にすることなんて、何もないはずなのに…」

ただぼんやりと冷たい壁に背を預け、随分と高く感じる空を見上げる。
よく晴れたその空は、あの演練の日と同じ色をしていた。



あの日。
桜花はいつものように演練部隊を編成し、彼らを伴って戦地を模った会場にやってきていた。
先日の連隊戦後にこの本丸にやってきてくれた大包平の錬度上げを兼ねていた。

「ここが演練会場というやつか」
「なんだ、柄にもなく緊張しているのか」
「戯言を言うな。錬度差など今に打ち消してやろう!」

桜花の後ろにはこの場の雰囲気に気後れすることもなく堂々と立っている大包平と、いつもと同様落ち着いた様子の鶯丸がいた。
良く通る大包平の声に、その隣に立っていた宗三が嫌そうに少し距離を取った。

「はぁ」

そんな彼が静々と逃げるように桜花の横にやってきて、桜花は可笑しくて小さく笑った。
それを見た骨喰が首を傾げ、五虎退は桜花を見上げた。

「大包平さん、緊張してなくて、凄いですね…」
「そうね。来たばかりとは思えないくらい」
「か、格好いいです…!」
「言ってあげたら喜ぶわ」

五虎退の髪を撫でると五虎退は嬉しそうに桜花に擦り寄った。
同じように虎達も桜花の足元に擦り寄ってくる。

「おい、何をしている。次だぞ」

本日の隊長である山姥切がそう声をかけると、各々が頷いて準備を始めた。
桜花はすっかり隊長らしくなった山姥切に声をかけた。

「大包平をよろしくお願いします、隊長さん」
「…ああ」

ちらりと桜花を見て、それから山姥切はまとった布を翻してその場を後にした。

「あるじさま、行って来ます…!」
「行って来る」

五虎退と骨喰もそれに続き、宗三もまたため息を漏らしながらそれに付いて行った。

「おい」

ふと呼ばれて顔を上げればすぐに近くに大包平が立っていた。

「どうかしましたか」
「俺の活躍をその目にしっかりと焼き付けておくんだな」

胸を張り、桜花の目を見据えてそう告げた大包平はすぐに皆の後を追った。
今度は鶯丸が横にやってきて、桜花の耳元に顔を近付けた。

「大包平は近侍になりたいそうだ。素直ではないからそう言えん」

鶯丸の直訳に桜花が目を見開けば、聞こえたのか大包平が大声で鶯丸を呼んだ。
随分と自信家だな、と桜花はその雄々しい背中を見送った。



そんな彼らを見送った後にそれは起きた。
桜花は戦う彼らを画面越しに見据えていた。
大口を叩いただけはあるのか、それとも元より性能がいいのか大包平の働きは見事なものだった。
鮮やかな朱色が戦場を模したそこを駆け抜けていく。

引き締めていた頬が緩んだ、その時だった。

「おまえ…!!」

背後で声がし振り返る。
多くの審神者や刀剣男士達が視界を占める中、目の前に立っていた一人の男は震えながら桜花を見下ろしていた。
その顔に見覚えがある、と桜花が目を見開いた直後だった。

「この化け物が!! こんなところで何をしてる!!」
「っ!!」

ばしっと鋭い音が耳元で聞こえた。
同時に頬に痛みを感じ、そして何かが落ちた気がして足元を見ればそこには男に投げられたものだろうか、扇が落ちていた。
再び男に視線を向ければ怒りに満ちた目と目が合った。

(あの時の…)

初めて本丸に足を踏み入れた日、そこに刀剣男士と共に現れたその男だった。

「化け物の分際で…まさか本当に審神者になったなんて抜かすつもりか!!」
「……」
「なぜだ、なぜ…おまえの様な化け物が審神者になれる…! なぜ―――」

男の視線が桜花の後ろに向けられる。
そこに映っているのは勝利したのか、誇らしげに笑う大包平の姿があった。

「なぜ化け物が、貴重な刀剣男士を顕現できるってんだ!!」

そんな言葉を並べて叫ぶ男は肩で息をしながら桜花を睨む。
いつの間にか騒ぎに気付いたのか、他の審神者や刀剣男士達の視線が桜花と男に注がれていた。
桜花が黙っていると男は周囲に向かって更に声を張り上げた。

「ここにいるこの女は人間じゃねぇ、化け物だ! 俺は見たんだ、こいつの目が光って鋭い角が生えるその瞬間をな!!」

ざわ、と周囲が騒がしくなる。

「あの、棄てられた本丸にやって来た化け物め…!! 貴重な刀剣をモノにして何を企んでやがる!」

騒ぎ立てる男を前に、桜花はすっと目を細めた。

(化け物、か…)

それは桜花も、桜花の先祖もずっと人間達に吐かれてきた言葉だった。

(ヒトと姿形が違うから、ただそれだけで化け物とは…)

まぁ間違ってはいないのだろうが、と自嘲しながらずくりと胸の奥深くが痛んだ気がした。
男は頭に血が上っている様子で何かを叫んでいる。
もう桜花にとってはどうでも良く、騒ぎになってしまったこの場をどうするべきかと考えていた。

「化け物って…本当?」
「人間にしか見えないが…」
「棄てられた本丸ってあの噂の…?」
「化け物が本丸の審神者、まさに化け物屋敷か…」

ヒトよりも耳が良いというのは困りものだ。
ここまでになってしまえば否定も無駄だろうし、するつもりもなかった。
息を一つ吐いて、桜花が踵を返したときだった。

「待て」

向かう先に別の審神者が立ち塞がった。

「その男の言うことを真に受けているわけではないが…遡行軍が成り済ましている可能性もある。その身を改めさせてもらいたい」

その言葉に周囲に緊張が走った。
流石の桜花も読んでいなかった展開に、冷や汗が頬を伝うのがわかった。
足を止めていれば左右をその審神者の刀剣男士達に囲まれた。

「俺が本性を暴いてやる!!」

背後から男がそう叫びながら桜花に掴みかかろうとする。
それを軽々と避ければ男は地面に倒れ込んだ。
思わず桜花がその男に手を伸ばそうとした瞬間、男は顔を上げその顔を引きつらせた。

「見ろ! 目が金色になっているじゃないか!!」
「っ」

まさか、と桜花が頬に手を置いた。
感情が高ぶったまま男を避けたその為に、力が解放されてしまったのか。
周囲に視線を巡らせれば、やはりそれは本当だったようで審神者や刀剣男士達の表情がまた一変した。

「誰か、捕まえてくれ!!」

男が叫んだ。

「っ―――」

その言葉が引き金となったかのように、桜花の脳裏に人間から逃れようとする鬼の記憶が過った。
思い出したくのない記憶に、思わず頭を抱えてぐっと強く瞳を閉じたときだった。

「主!!」

聞き慣れた声が聞こえ、身体を誰かに強く抱きしめられた。
目を開けば真っ白とは言いがたい薄汚れた布と丁寧に袖が捲られた腕が見えた。

「や、まんばぎり…!」

その名前を呼べば、彼は答えるように一度だけこちらを見て、それからその視線を周囲に向けた。
瞳の鋭さは戦場のそれと同じで、こんな間近で見るのは初めてだった。

「あるじさま…!」

いつの間にか腹部に五虎退が抱きついていて、その顔が今にも泣きそうに歪んでいた。

「さて、これは一体どういう状況なんですかね。僕の主がどうとか聞こえた気がしたのですが」
「俺にも聞こえた。」

ふと男の前にしゃがみ込んだのは宗三で、その横に立つ骨喰もじっと男を見下ろしていた。

「迎えがないからどうしているかと思えば…可愛そうに、虐められていたのか」

ぽん、と桜花の頭に手を乗せたのは鶯丸だった。

「―――それで、俺の主が何だと言うんだ」

堂々と歩いてやってきた大包平は真っ直ぐ前を見てそう声を上げた。

「理由があるなら言え。寄って集って、女一人に何をしている」

本当にわからない、と言った様子で僅かに首を傾げる。
周囲の者達の視線が右往左往する中、桜花の行き先を塞いだ審神者が口を開いた。

「その女は遡行軍が成り済ましている可能性がある。」

先ほどの言葉を復唱した彼を、聞いていた宗三が鼻で笑った。

「成程、わかりました。でもその必要はありませんよ。遡行軍が僕達刀剣男士を顕現させる能力を持ち合わせているはずがありません」

息を吐いて立ち上がり、宗三は男を一睨みしてから桜花の元へと歩んで行く。

「帰りませんか。疲れました」

桜花の横を通り過ぎ歩んで行く宗三の背に、男の声が飛ばされた。

「遡行軍でなくとも、化け物に変わりはないだろう!!」

ぴたりと宗三の足が止まり、ゆっくりと振り返った。
男が地面に座り込んだまま続けた。

「金に光る瞳、色の変わる髪、角…! まさに化け物だろう…!!」

山姥切が目を見開くと同時に腕の中の桜花が小さく震え、かっと頭に血が上った。

「黙れ!」

を鶯丸に預け、山姥切は依代を鞘ごと引き抜くとそれを男の目前に突きつけた。
その指先が鯉口を切った。

「山姥切」

ぴたりと動きを止め、山姥切は悔しそうに唇を噛む。
自分はこの声にだけは逆らえない。

「ありがとう。…私が、自分で蒔いた種なのだから仕方のないことです」

一人でそこに立ち、いつもと変らぬ表情で静かにこちらを見据えながら桜花がそう告げた。

「帰りましょう」

桜花は泣き出した五虎退の頭を撫で、それからゆっくりと歩き出した。
山姥切は一度だけ男を睨み付けるとそれに続いた。

「行くぞ」

怒りで震える骨喰にそう声をかけ、桜花の背に続いた。
悔しそうに後を追って走る骨喰を見送ると、鶯丸は立ち止まる大包平を一見してから桜花を追った。
一人腕を組んでその場に残っていた大包平が、じとりと男を見下ろした。

「大衆の面前で、他人をそうまでして罵れるおまえの方がよっぽど化け物だろう」

万が一にもそっちに俺が顕現したなら、残念だとしか言いようがないな。
そう言い残すと颯爽と桜花達を追って行った。



騒ぎを聞きつけたのか、周囲の視線が桜花達に集中する。
その矢面に立つように山姥切は桜花の前を、ただ真っ直ぐに前を見据えて歩いた。
あの男にも腹が立つが、それよりもすぐに駆けつけることができなかった自分が、何もできなかった自分が一番腹立たしかった。

そんな彼を他所に、たくさんの視線から逃れるようにうつむいて歩いていた桜花はふと覚えのある視線を感じて顔を上げた。
同じくして山姥切もそれに気付いたのか、足を止めた。
少し離れた場所からこちらを見るのは、町で会った時から桜花に親切に接してくれていた審神者の彼だった。

「!」

その彼と目が合った瞬間、自分の中から様々な感情が沸き起こり桜花は口元を手で覆ってうつむいた。

「あるじさま…、具合悪いんですか…?」

五虎退が涙目のまま、心配そうに桜花を見上げる。
桜花の足が止まったことに気が付き、山姥切は素早く踵を返した。

「っ行くぞ」

すぐに桜花の腕を取ると再び足を進め、彼の視線から桜花を隠すように先を急いだ。

(ごめんなさい…!)

彼は聞いて、知って、何を思ったのか。
それを考えるだけでも桜花の心がじくじくと痛んだ。






―――続

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