追記

木刀の切っ先が、菊の前髪を何本か切断して通りすぎた。菊は右に上体を反らした勢いのまま、近くなったギルベルトの懐へと突っ込む。菊の手に持つ木刀の先が、一直線にギルベルトの喉元へと向かう。が、予定調和であったかのように下から迫るギルベルトの膝と、少し遅れて額を狙う柄頭によって菊は1歩後退した。再度間合いを計り、体勢を整える。
ギルベルト・バイルシュミットは、いうなればオールラウンドプレイヤーである。近中遠距離をものにし、力押しだけでは勝てないこともあると十二分に承知している。野生の勘に長け、だからと言って策略をないがしろにはしない。菊としては非常に厄介な相手である。だが、今回のこれには負けられない。初っぱなの奇襲が不発に終わってから、菊はどうしたものかと頭を悩ませていた。子ども騙しであるとはわかりつつも、フェイクをかけて時間を伸ばしている最中である。体力で言うのなら、菊よりギルベルトのほうに分がある。だからと言って、むやみやたらに仕掛けたところで現在の状況であれば待っているのは敗北のみだ。それはいただけない。ギルベルトは、悠々と構えている。好戦的ではないものの、菊だって男としての矜持やら何やらあるのだ。腹がたたないと言えば嘘になる、というほどではないのだが、この悪ガキにしてやられるのは面白くはない。焦れて仕掛けてきそうなギルベルトに、ふっと息をつめて爪先の向きを変えることでフェイクを再度かける。と、その時に菊は思い出した。正直、嘘か誠かわからない情報である。その情報を真に受けていいものか、と考えたところで腹をくくった。いかんせん、手がない。

「ッ!」

息を止め、特攻をしかける。初手で懐に入ろうとするのではなく、二手三手と打ち合いながら身を寄せていく。目に見えてわかるわけではないが、今まで菊のスピードについてこれていたギルベルトが、手をかわすごとに少しずつ押されてきている。菊は八手切り結んだところで勝負に出た。全速力でもって柄頭が鳩尾を狙う。ギルベルトは右手を木刀との間に突っ込んできたが、その程度で防げるはずもない。柄頭は右手を避けて鳩尾に入り、ギルベルトは反射的に身を折った。その隙を逃さず菊の膝が腹に入る。
べしゃあとギルベルトは崩れ落ちた。菊は両膝に手をつき、肩で息をしている。

「テメェ、」







かのロミオとジュリエットの悲劇は、たった五日間の物語だ。この五日という短い時間だからこそ、ふたりの想いは燃え上がったんだろう。恋には賞味期限があるからな。だから日本。俺と死んでくれよ


日本人は愛で死ぬいきものなんです








「黙っててくださいよ、今ちょっと…はい?いや、だからこれ、ぁああもう!わかりましたよ、聞けばいいんでしょう!」



黙れギルベルト。



「…なぁトーニョ。ギルがなんて言ってるかわかる?」
「わからへんわー」
場所は本田宅、時間は13時8分、登場人物としては、家主である菊、菊にごちゃごちゃ言っている(らしい)ギルベルト、そんなふたりを離れたところから観察しているフランシスとアントーニョ。現状を簡潔に説明するなら、『声の出なくなったギルベルトと会話する菊、プラス傍観者ふたり』だ。
「なんで仕事中にちょっかいかけてくるんですか!…筆談かジェスチャーで頑張ってくださいよ。……ですから、いくらお客様の前だからといって、これだけは無理なんですってば。そもそも、ギルベルトくんが日本に来るから…いえ、わざわざこちらに来なくても、ルートヴィッヒさんとなら以心伝心でしょうに…私の仕事は邪魔してもいいって言うんですか」
おこたの上に出したノートパソコンに向き合いながら、菊はギルベルトと会話を続けている。時おりギルベルトを呆れたように見るだけで、視線はほぼ画面に向かっている。対するギルベルトと言えば、菊の隣の辺に座ってのんきに蜜柑をむいている。意識表示する際はとんとんと机を指で弾いたりしかめっ面をしたりしているだけで、フランシスやアントーニョからすれば、機嫌良さそうだとか、怒っているな、くらいしか理解できない。それを菊は普段と変わらずに対応する。ギルベルトを見もせずに、だ。
「菊ちゃん、よくそいつの言いたいことわかるね」
おこたから1メートルと少し離れた座布団の上で胡座をかきつつフランシスが言った。アントーニョはフランシスの隣で同じく胡座をかきつつゲームをしている。
「まぁ、付き合いが長いですからねぇ。耀さんとアルフレッドさんくらいなら、だいたいわかりま、痛!ちょっとギルベルトくん!構ってほしいからってそれはちょ痛いです!」

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