言峰綺礼は人の感情の欠落した人間だ。
その綺礼が、何かを気にして忙しない。
表情や行動からはそんなもの感じないが、長い付き合いの我はわかる。雰囲気で。
奴がそうなる理由は限られてくる、というより一つしかない。
言峰なまえの身に何かあったとき。
狗が騒々しく帰ってきたと思ったら「なまえがどこ探してもいねぇ!」と叫んだ。
敵がいない台所制圧戦争を制した綺礼が無表情のまま手に持った包丁を落とした。
床に突き刺さった包丁を何事もなかったように引き抜き調理を再開する。
「なんだ、心配しているのか?」
調理を続けるその背中に声をかけてみた。
「お前は自分の心臓が外を歩き周り、どこの馬の骨かわからない輩に拾われていたらどうする」
綺礼にとってなまえという存在はそれほどなのだ。
しかしそれは"愛情"ではない。
もとからあることが当たり前の存在。綺礼の言う"心臓"とはそう意味なのだ。
それがなければ人並みすら望めない、哀れな男。
それが言峰綺礼なのだ。
「あれは我の心臓ではないからな。我の心臓は歩きまわらぬ、故に雑種に拾われぬ」
そのことをなまえは知らない。狗も知らない。
それを知ったら彼女は、私と同じものを得てしまう。
"心臓"は何もせずに私を生かしてくれればいいのだ。
我々だけが知っていればいいと綺礼は言った。
「...そうだったな」
辺りに不穏な匂いが立ちこめる。そうだ、言峰綺礼の台所制圧戦争の勝利の意味するもの、それは、
「では私の"心臓"を探しに行く前に腹ごしらえをしよう」
地獄の始まりだった。
この地獄が終わったら、こいつの"心臓"を全力で探そうと思う。我の生存をかけて。
存在することが当たり前だと思っているものは、なくなったときにその大切さに気付く。
どこかの雑種-衛宮士郎-がそんなことをいっていたが、他人事ではなかったらしい。
そういう意味では我にとってもなまえという存在は"心臓"なのかもしれない。