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__ 奪われる夏(ぺご番)

 水が冷たい。けれど、蒸し暑い日はそれが気持ちが良い。このバイトをし始めて数日が過ぎた。夏休みになって毎日バイトに入っているけど冬にはやりたくない仕事かななんて思う。きっと手が悴んでしまうだろうから。
 想像よりもこのバイトは力仕事で、バケツも洗ってまた水を入れて運ぶというのは腰が疲れる。楽なバイトはないとは他のバイトを経験して知っているし、他に比べればバイト代はかなり弾む。選んだのはそれが理由だ。先月も装備を揃えるのに使ってしまったから少し……いや、かなりお金が無い。
 花屋は女の子の夢だ。とこのバイトが決まった時に羨ましそうに言っていたのは誰だったか。ただのバイトの俺から言わせてもらうと、余程花が好きじゃないと大変なんじゃないかと思う。仕事なんて大抵そんなものかもしれないけど。

「なあ、帰りにお菓子でも買って帰ろうぜ」
 モルガナが俺に鞄からを出して声をかけてくる。わかったから、顔を出すな。とそっと鞄の中に戻るようにモルガナの頭を撫でて促すと尻尾がぶわっと盛り上がって不満な顔をする。水の入れ換えの途中で俺の手が冷たかったらしい。
「ごめん、モルガナ」
 モルガナに謝りながらも心の中では仕方ないじゃないか。と思う。猫を連れてるって知られたら面倒になるのはモルガナもわかっているだろうに。
 水の入れ換えをやめて濡れた手をタオルで拭っていると、店長に声をかけられる。
「ちょっとお客さん頼んでもいい? いつもの、灰色の……」
「はい。今行きます!」
 いつもの灰色の人と言われれば見当がついた。店の前に出るとやっぱりあの人だ。俺の少し気になる人。

「こんにちは」
「こんにちは。今日も同じおまかせですか?」
「……うん。よろしく」
 少し恥ずかしそうに笑う目の前の灰の髪で黒のスーツを着た常連さんだ。かしこまりました。と奥に戻って花を選ぶ。この人はいつもやって来てはおまかせと言う。そして、俺のセンスの無いチョイスで選ばれた花と包装紙を抱えて帰る。
 花というのは基本的に何か祝いごとに使うものだと思うけど、この人は週一回度やってきてはきっかり五百円分を頼む。花が好きなのか、それとも毎週彼女とデートとかしてるのかは知らない。いつもスーツ着てるし、仕事帰りなのかな。仕事のあとにデート?彼女はまだ持ったことないからよくわからないけど、かっこいいし、他の客に比べて親切だ。急かさないし、文句を言わない。こういう人は高級なとこで高級な食べ物を食べているのが似合いそうだ。ローストビーフとかワインとか。そこで花をもらう女性はどんな人だろう。きっと美人にちがいない。
 羨ましい。俺はこの人みたいにかっこよくはないし、前科だってある。こういう大人になれたらいいのに。なんて思う。この人に近づきたい。名前も知らない人に魅了されている。おかしな話だ。

 毎週来てくれるから今日はもう何を作るか決めていて、準備は手早い。オレンジのガーベラの小さい花束を作りあげてラッピングする。そして今日はもうひとつ。おまけの花束を作る。話がしてみたいから今回はちょっと勇気を出してみる。花言葉なんてそんなに知らないけれど、赤い薔薇は俺でもわかるくらい簡単であからさまだ。だから、少し迷って白い薔薇を手に取った。

「お待たせしました」
 二つの花束を手渡すとその人はあからさまに困惑の色を見せた。受け取らずに僕の顔を見る。
「……これは?」
「薔薇の方は俺からです。いつも来て下さるのでお礼に」
「平気?」
「お金は後で払っておきますから大丈夫ですよ」
「そう、なのか……? なんだか悪い」
 その人はなかなか受け取らない。眉を寄せて困っているようだった。だから、気にしないでいいですから。と言ってみる。すると、ますます困ったような顔をされる。おかしいな。こんなはずじゃないんだけど。
「あの……迷惑ですか? その、この後どこか行かれるとかあったりしたらすみません、花束二つもかさばりますよね。俺……そんなこと考えてなかったから」
「いや。いいんだ。嬉しいよ。ありがとう。それで君はいつバイトが終わる?」
「え。えっと、十九時です」
「じゃああと三十分か。待っていてもいい? 代わりにご飯でも奢る」
「え?」
 聞き返すと、その人は三十分後に迎えに行くね。と俺の手に花束の代わりに千円が乗せられる。じゃあねと手を振られるが、想像を越えた流れで振り返すことが考えられない。間もなくその人は人混みに紛れて消えた。
「〜〜っ」
 なんだあれ、めっちゃかっこいいじゃないか!



「甘いもの、好きなんですか」
「んー……まぁ、好きかな。こんなのが来るとは思わなかったけど」
 話題を絞り出して尋ねるとそう言って笑う鳴上さんはとんでもなく美しくて自分の食べているハンバーグの味がさっぱりわからない。信じられない。どうしてこうなったんだろう。いや、望んでいたことなんだけど。ちょっと心がついていかない。
 こんなの。というのはトーテムポールというアイスだ。名前の通りというか、やりすぎというか。アイスの上にアイスが乗ったタワー状のやつだ。よく崩れないなと思うくらいに限界まで積み上げられたアイスを器用にも使ってくださいと置かれた取り分け皿すら使わずこの人はスプーンひとつで食べている。
 十九時になってこの人は本当に迎えにきた。今いるのは渋谷のファミレスだ。よく利用するところだけれど、鳴上さんがいるといつもと違うような気がしてとてつもなく緊張する。鳴上さんからは好きなものを頼んでいいと言われていつも食べてるハンバーグを頼んで、遠慮するなと言われてクリームソーダも頼ませてもらった。
「そっちは? 美味しい?」
「はい。食べますか?」
 そう言って自分がとんでもない提案をしていることに気が付く。竜司とか三島とかに言う調子で出た言葉にどっと冷や汗が出る。
「あ、あのすみませんなんか! 食べかけなのに……」
「いいよ。気にしてない。気を使ってもらって悪い。一口貰っても?」
「は、はい!」
 切り分けてあるハンバーグのひとつ(はしっこの一番小さいの)を鳴上さんは器用にスプーンに乗せて口に運んだ。おいしい。と言われて自分が作ってもないのになんだか嬉しくなる。
「俺のも食べていいよ。取り分けるから」
「いいんですか?」
「お腹冷えてきちゃったからそうしてくれると嬉しい。多分黒ごまとレモンにチョコミントだと思う。嫌いじゃない?」
「平気です」
「よかった」
「あの、鳴上さんって何の仕事をしているんですか」
「今は大学生。四年だよ。バイトで塾講師してる。君のところにはいつもバイト帰りに来てた。君は?」
「高校二年です。秀尽高校の」
「秀尽高校か……」
「知ってるんですか?」
「いや、ニュースで聞いただけ。大変だろ。校内が落ち着かなそうだ」
「ええ……まぁ」
「どうして毎週花を買っていくんですか」
「えっ」
「ああ、いや……そうだよな、気にならないはずないか」

「──猫、連れてるのが気になって」
「ねこ?」
「ああ。勿論、花も好きだ。部屋に置くと華やかだし。うち、マンションだから庭とかなくてさ。猫は特に好きで前に駅前で君を見掛けて、追いかけたんだ。花屋に入っていくのを見たからそれからよく行くようになった。鞄に入って大人しくしてるの珍しいし、その……可愛かったから」
 気持ち悪かったかな。と言われて首を横に振るが、可愛い。という言葉に鞄がガタガタと揺れた。モルガナは納得いかないみたいだ。ワガハイはかっこいいだろ!と僕に言ってくるけれど、向こうには聞こえていない。にゃっにゃ!と猫が鳴いているくらいにしか取られないだろう。イスの上に置かれたスクールバックに小さな声で静かにして。と声をかけるが、モルガナはぶつぶつ不満を言っている。僕と何か買って帰る約束をふいにされるんじゃないかとか思ってるらしい。そんなことするつもりないけど。

「えっと、もしかして、今もいる?」
「居ますけど、ちょっとここでは……」
「……そうだよな」
 ごめん。そう少しがっかりしたトーンで笑う鳴上さんに申し訳ない気持ちになる。
「うちに来ませんか」
「えっ?」
「うち、喫茶店なんです。今そこで居候させてもらってて。そこなら大丈夫です」
「それは──」
「悪い、ですか?」
 続く言葉を先回りして言う。この人は人に気を使いすぎる。やりとりをしていてそう感じた。気を使いすぎて疲れないんだろうか。俺ならきっと疲れているはずだ。
「そんなに気を張らないでいいんですよ」
「え?」
「……いや、そう思っただけです。偉そうでしたか?」
「あはは、親友にもよく言われるんだ。そうやってね。わかった。これも何かの縁だ。案内よろしく頼むよ」
 君は将来有望かもな。と鳴上さんは笑った。そうですかね。なんて言って照れ臭くなって曖昧に笑う。顔があつくて残ったアイスを一気に食べるときん、と頭が痛くなった。
「当たり前だろ! ジョーカーは“持ってる”からな!」
 一際響いたモルガナの声でファミレスがざわざわする。もちろん鳴上さんも驚いた顔をする。僕には聞こえる言葉だけど、残念だけど目の前の鳴上さんも、周りの人もにゃあん!と唸るような鳴き声にしか聞こえてない。静かに。と声をかけるとモルガナはしょんぼりしていた。ごめんと言う意味で頭を撫でる。

「……もう行こうか?」
 鳴上さんが二つの花束を抱えて立ち上がった。ふわりといい香りがする。
「そうですね。あ、帰りにちょっとだけ寄り道していいですか?」
「いいよ。どこに?」
「コンビニにモルガナのおやつ買いに行きたくて」
「名前、モルガナって言うのか。かわいいな」
 またその言葉に反応したモルガナが肩にかけた鞄の中で暴れる。言いたいことはわかるのでとんとんと軽く鞄の側面をあやすように叩く。
「すみません。こいつも男なので可愛いって言われるの嫌みたいで」
「そうなのか。悪い。嫌われたかな……」
「いや。多分大丈夫ですよ。いいやつだから」
「仲いいんだ」
「相棒ですから」
「そういうの、懐かしいな……。大切にしたほうがいいよ」
 そう言って笑う鳴上さんは俺に先に行ってやっててと伝えて会計を済ませに向かった。モルガナがひょっこり顔を出してさっきのことを俺に謝った。気にしてない。と返すとごろごろと喉をならして相棒ってパートナーってことだろ。と笑う。上機嫌だ。相棒って言われたことが嬉しかったらしい。俺も大切にしていきたいと思う。鳴上さんに言われたからじゃない。言われて改めて思うんだ。
 ──と、いうかモルガナも言ってたけど俺って持っているのかな。鳴上さんのことを知れてまさかルブランに連れていくことになるとは。一歩というか大前進だ。持ってるか……そうだといいけど。

 ルブランに鳴上さんと一緒に帰ってくると締めをしていた佐倉さんが作ったカレーとコーヒー(これは俺が淹れた)を振る舞ってくれて、鳴上さんはおかわりまでしてくれた。アイスをあれだけ食べたにも関わらず、よく食べる人だなと思っていたのを覚えている。
 それから瞬く間にルブランの常連になった鳴上さんと一緒に釣りしたり、ビックバンバーガーを食べたり(勿論コメットバーガーだ)、映画を観たりする仲に発展するようになるのは先のことだし、付き合うことになるのはもっともっと先の話だ。その時に白い薔薇の花言葉を知ったのだけどその話は恥ずかしいからまた今度にする。



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