P5 | ナノ



__ 星の住む場所にて(アル主)

アル主webアンソロ企画に参加させていただきました。
テーマは「食」
主人公名:雨取 忍(あまとり しのぶ)

 人混みが怖い。そう思うようになったのはあの事件からだ。眼鏡をかけるようになったのはそれより少し後で、転校してから。ペルソナとかいうよくわからないものが現れたのは一月前。あの一件以来僕の人生はがらりと変わってしまった。
ついでに言うと、そいつがなんだか僕のことを気に入っていて、会話を交わすうちに僕も満更でもないなあと思い始めたのがここ最近の話だ。

(……まずい)
 眩暈がする。どこを見ても人、人、人だ。怖い。
渋谷の交差点だから当然だけど、この衝動を抑えるのに当然なんて意味がない。誰かが僕のことを知っているかもしれない。そう思うと身体が言うことを利かなくなる。声が聞こえる気がした。噂話。あることないことをひそひそと言われている気がした。地元じゃ雨取忍という存在は悪い意味で有名人だった。テレビでは流れなかったけど、学校や近所じゃ一瞬でそのことが広まった。都会に来てもそうだ。嫌な先生に目をつけられて、噂はあっという間に学校の内部で広がった。ナイフを持ってるとか、人を殺したとか、そういうことばかりが耳にはいる。こんなことならモルガナと来れば良かった。誰かといれば気にはならないのに。今日は一人で行けるとか意気込んでしまったのにこの有様だ。「頑張れよ! ……ま。何かあっても大丈夫だろうけどな!」と言ってくれたモルガナになんて言えばいいんだろう。できることならついでにクレープを食べようと思ったのに。

 青になった信号機を見ても足は動かなかった。ぐるりと方向転換をして早足で改札の方へと戻る。ブチ公の像を通り抜け、宝くじ売り場横のショーウインドウの前に座り込む。眩暈は少し良くなった。それでも、視界に人が入ってくる。
「──は、ッ、」
 苦しい。息が詰まりそうだ。座り込んだ僕に向けられる目が怖かった。迷惑だけはかけたくないのに身体が言うことを聞かない。またひそひそと何かを言われていたらと思うと──
「そんなもの耳に入れなければ良いものを」
「……! 、ある、せ……」
 ぐしゃぐしゃと考えていると声が聞こえた。僕を導いた、低く、よく通る声。すがり付くようにスマートフォンのアプリ、イセカイナビを起動する。慣れた少しの目眩のあと、そこはさっきと何も変わらない世界があった。違うのは恐れていたはずの人々はいない。そして、僕の真横にアルセーヌが立っている。その姿に安心するようになったのはいつからだろう。はじめからだったのかもしれない。僕のピンチをいつも救ってくれる。いや、それは我は汝、汝は我だからだろうけど。
アルセーヌは僕を見て、ただ、漆黒の大きな翼と仮面に浮いた炎が揺らめかせている。表情はわからない。あってないようなものだし、声のトーンとか仕草くらいでしかわからないけれど。
「アルセーヌ、」
「一人はまだ慣れないか?」
座り込んだ僕を見下ろすようにアルセーヌはそこにいてくれた。その声は僕のことをからかうわけでもなく、優しげにかけられる。
パレスに行くのでもなく、メメントスに行くでもないときにイセカイナビを使えば、こうなることを教えてくれたのはアルセーヌだった。パレスとかメメントスはあんな変な感じなのにそれ以外の外は普通っていうのも変だとは思うけど、大衆の認知が渋谷というものを形にしているから齟齬がいんだとか説明を受けたのでそういうことにする。アルセーヌがここにいるのも多分認知とかの力だ。別に勉強するのを諦めたわけではない。一度は認知科学とかそういう本を買って挑戦はしてみたんだから。……まぁ。知識が足りなくてついていけなかったけど。
「ちょっとだけ動揺しただけだよ。休日なんだし、人が多かったから」
「そうか。……意地悪く言うつもりはないが、このナビは半径数メートルを巻き込むのを忘れるな。偶然巻き込まれる者が居なかったから良かったが」
「あー……それは、忘れてた」
「だろう? まだ一人では未熟のようだな」
「でも、渋谷に一人で買い物もできないのってかなりヤバいって。早く慣れないと迷惑だ」
「ゆっくり治せばいいだろう」
 そう言ってアルセーヌ手を差し伸べる。人の手ではない、木の枝のような細長い指先だ。でも、僕には関係ない。いや、初めは僕だって怖くはあったけど危害を加えるつもりはアルセーヌにはない。だから、その手を掴んで立ち上がる。触れた先からアルセーヌのひんやりとした体温が流れていく。

 僕が歩きだすとアルセーヌも足を進め始める。人の居ない渋谷は異様だ。横断歩道に近づくと信号機も全部青の ままなのに気がついた。これも認知なんだろうか。確かに、渋谷の赤信号は人まみれになるから好きじゃない。青でもなんとなく足が止まって左右を確認する。当たり前に左右には車も人も見えない。
「主、行き先は?」
「えっ、ああ。薬局。メメントスに行くのに絆創膏とか足りなくて」
「それと?」
「それと、ってなに」
 平静を装って聞き返す。正直内心穏やかではいられなかったけど、なるべく心を沈めてそう言った。まぁ、そういう心の動きは汝は我であるアルセーヌには筒抜けだ。もう聞かれた時点で観念すべきだったというのはあまりに遅い。ふはは、とアルセーヌは笑って、
「自分でわかっているだろう。他になにか……そうだな」
とアルセーヌは考え込む。触れられたくなくてアルセーヌを引っ張ろうとするけど、どうにもうまくいかない。そうしてるうちにアルセーヌが言葉を発する。
「クレープ屋に行きたい、とかか?」
「……、……、正解」
 長い沈黙のあと、そう言ってやる。アルセーヌはそうか。と一言だけ言ったけど、それ以上は何も言わなかった。でも、そこには楽しそうというか、からかうような感情が混ざっている気がした。
「悪い? モルガナがいると止められるんだ」
「悪いとは一言も」
 ムッとしている僕をアルセーヌは引っ張った。ペルソナと人の力の差は圧倒的だ。引っ張られると腕が痛む。それと、僕よりアルセーヌは大きいから一歩の差が大きい。アルセーヌが主導で数歩歩いて僕は繋いだ手をぎゅっと握って足を止める。
「アルセーヌ」
「どうした?」
「ちょっと歩くの早い」
「そうか」
痛いとは言わないでおいた。前に手を握ったことはあったけど、力の違いで思わず文句を言ったことがあって、その時はかなり距離を取られた。僕の言葉を聞いたアルセーヌは僕の歩調に合わせるように歩いた。これでいいだろう?という問いかけに頷く。薬局までの道のりは短い。



 現実世界に戻って買い物をし終えると、今度は失敗しないようにちょっと裏路地に入ってイセカイナビを使う。両手がふさがっているせいでちょっとスマホを触るのが大変だけど。目眩のあと、さっきと変わらない認知世界が目の前に広がる。路地から出るとアルセーヌが腕を組んで僕を待っていた。
「買えたか?」
「買えた」
そう言って両手に持っていたクレープの一つを押し付ける。多分アルセーヌが聞いたのは絆創膏とかのことだと思うけど。押し付けたのはイチゴチョコクレープの方だ。僕のはパナナチョコクレープ。差し出されたのを見てアルセーヌは頭に疑問を向かべてるみたいに首を傾けた。
「アルセーヌのぶんだから、これ」
「我の?」
 そう言ってアルセーヌはクレープを僕の手から取った。アルセーヌの大きさに比べるとクレープはなんかちっぽけだった。受け取ったのを確認して自分のクレープを食べる。杏が食べているのを見てずっと食べたかったやつだ。バナナとチョコと生クリームが口の中でいっぱいになる。とにかく甘い。けど、美味しい。今日は生クリームを増やしたりするのはしなかったけど、そんなことしなくても十分美味しい。
「おいしい」
「我を使った甲斐があったか?」
 あふれた言葉にアルセーヌ満足そうに腕を組んだ。アルセーヌが手に持ったクレープはそのままで、生クリームが服にぺったりと少しついてしまっていた。それを見ながらもう一度クレープをかじる。それからクレープを二、三回もぐもぐと食べているけれど、アルセーヌは一向に食べる気配はない。僕の食べる様子をじーっと見ているくらいだ。
そういえばアルセーヌが食べる所見たことがなかった。探索に行くわけでもなくイセカイナビを使うことはたまにある。大体は遊びに使っていて、例えば、竜司に対戦ゲームで負けたのが悔しくて一緒に練習したり、モルガナとアルセーヌと一緒にレンタルした映画を見るとかだ。

「アルセーヌ?」
「なんだ?」
「服にクリームがついてる」
「……ああ」
指摘して、クレープを買った時につけてもらった紙ナプキンで拭う。アルセーヌはその様子もただじっと見ている。
「あのさ。そのクレープはお礼のつもりなんだけど、アルセーヌは食べないの?」
「……、そう。そうだな……。我は食べなくとも空腹などないのだが……」
 ちらりとアルセーヌが僕を見る。表情というのはよくわかんないけど、何か言いたげで、言い辛いようなのはわかる。我は汝、汝は我のくせにそういう詳しいことがわかんないのはこういうときに不便だ。言いたげな目線を寄越すアルセーヌはやっぱり手に持ったクレープを食べようとせず、生クリームがへたり始めている。ああ、そういえば。イセカイナビを使って映画を観るときは一緒にお菓子を食べたりもするけど、アルセーヌはそれに手を伸ばしていた記憶がない。モルガナはポップコーンとかマシュマロとかたくさん食べるけど。もしかすると、食べられないとか、あるんだろうか。
「……もしかして、認知がないからできないとか、そういうのあったりした?」
「はっ、そんなことあるはずなかろう」
 核心に触れるとアルセーヌはそう言った。強がりだ。というのは流石にわかった。けど、見ていろ。とでも言いたげにアルセーヌは手に持ったクレープを口元に近づける。
 すると、アルセーヌの大きな仮面の口に当たる部分がぱかりと開く。そうして、クレープがアルセーヌの口に入っていった。もぐもぐと咀嚼する様子を見せた後、アルセーヌは笑う。
「――ふ、はは! できるじゃないか。認知には大勢の認知が必要かと思っていたがそうでもないようだ。これはお前がとくべ……」
んん、とひとつ咳払いをするともう一口クレープをかじる。なにも言わずに二口目を頬張る。三口目もあまり咀嚼せずに続く。
「どう? 美味しい?」
「ん、ああ。……甘い、な」
むしゃむしゃと食べる姿を見ながら尋ねるとそう返される。当たり前だ。と思ったけど、アルセーヌはこういうの初めてだった。感想としては普通なのか。自分のクレープもかじっる。うん。やっぱり甘くて美味しい。……あ、僕も甘いとかいう感想くらいしか出てこない。そういうものか。
「甘い味、好きそう?」
「……悪くはない」
「! 良かった」
「フ、主の期待に応えられて何よりだ」
 そう声をあげるとアルセーヌは嬉しそうにする。その頬には生クリームがついているんだけど。
「――なんか、アルセーヌってそういうところもあるんだね」
「そういう所、とは?」
「僕と全然似てないから。僕は人混みとか結構ダメだけど、アルセーヌもできないこととかわかんないこととか、あるんだなーって。あと、ほっぺ」
 と、言ってアルセーヌの腰の辺りを叩く。僕より背の高いアルセーヌをかがませるとその口元を拭った。すまない。と一言だけアルセーヌはつぶやく。
「ペルソナとて、全能の存在ではない。……実は、自分の存在も曖昧なのだ。こうしてここで立っていること、会話できること、物が食べられること。その理由も我は知らない。だが、時にはそう振る舞うべきだろう? 知っている。と。主を困らせる頼りないペルソナなど今の主には余計負担がかかると思ってな」
「僕ってそんなにこう、……気を使われるやつなの?」
「我にとってはそうだ」
 即答されると正直きついものがある。いや、否定もできないけど。ちょこちょこ顔を出していたのもつまり僕を心配してとかだったりするのか。僕のことはなんか、……気に入られてるのかと、思ってただけど。それは僕の勘違いだったわけで。
「……」
「気分を害したか? まだ言わないほうが懸命だったな」
「いや。そんなことない。……ないから。アルセーヌに気を使わせたくないし、もうそういうことしなくていいから」
 僕のためにも。とは言わないけど。プライドがちょっぴり傷ついた。ちょっぴり。この後も気を使ってくるままの扱いだと本気でずたずたになってしまうからもうおしまいにする。
「つまり、主の前では隠し事をするな、と?」
「あ、その主ってのもやめない? もうすこし……ほら、モルガナみたいに忍でいいから」
「では、忍。あまり気負うな。人は変われる。……と、先の映画でやっていたのを我は見た」
「それ先週見たやつだ。ただし、変わるにはそれ相応の覚悟がいる。でしょ」
「そうだ。あれはなかなかに面白かった。……ところで、」
「なに?」
「あの映画には続編があるらしい。それと、モルガナと忍が食べていたあの白い、……マシュマロとポップコーンというものを食べてみたいというのは隠し事に入るのか?」



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