P4 | ナノ



__ あなたとずうっと生きるすべ(足主)

電車内は平日の昼間のせいでほとんど俺達しか居なかった。すぐ隣に座る足立さんはかたかたと振動する車内と共に寝癖のような黒髪を揺らしながら、ぼんやりと対面する車窓を見ている。俺達に会話はない。お互い気まずいからだと思う。少なくとも下らない世話話をしようという雰囲気ではなかった。だから、同じように車窓を眺めて感慨にふける。
ブライダルの広告が貼られた車窓向こう側は濃いグレーの雲が覆っていた。今にも降り出しそうな天気だ。今日は降水確率は60%だったから元から晴れ間が出ることは期待していないが、そろそろ降りそうだった。俺は折りたたみ傘があるけれど、足立さんはほとんど手ぶらだ。持っていないんだと思う。帰りは一本の折りたたみ傘を二人で使うことになるのだろうか。それはあまり想像できないけど。
「ちょっと出掛けよう」と三限が始まる頃に電話が来て会ってから、一時間は経ったと思う。足立さんのちょっとはかなり長いらしい。授業はサボってしまうことになるけれど、まぁ、仕方がない。「次で降りるから」と声をかけられて頷く。わかっている。向かう先はいつものところだ。次の駅が降車口のパネルに表示され、アナウンスが鳴る。行く目的は詮索しなくとも話したい事柄はあれであるんだろうとはよくわかっていた。世間にとっては一週間も持たない話題で、俺達にとっては一生の話題に成り得ることだ。


やけにのろのろと歩幅を短くして歩いていた足立さんがようやく足を止める。出来ることなら先延ばしにしたかったんだろうか。迷っていたのかもしれない。呼んだのは足立さんの方なのに。いや、足立さんが呼ばなくても俺が呼んでいたんだろうと思う。俺も、本当は足立さんから何を言われるか不安でならなかった。でも、目を逸らしてはいられない。
足立さんが立ち止まった目の前には木造の建物があった。尖った屋根の先端に十字があるところから教会ということはわかったが、塗装は剥げて、所々で木が朽ちてしまっていた。到底、人がいるとは思えない。廃墟といって差し支えはないように見える。

「足立さん」
「何、」
「……どうしてここに?」
「……僕がここで育ったから」
「え?」
「あー……、すぐ君はそうやって真に受けるんだから……変な人に騙されたりしそうで嫌だよ……。んな訳ないでしょ。嘘だよ、嘘。空気が重いからさ、ここに大した思い出はない。見つけたのはついこの間だ。晴れた時そのステンドグラスが綺麗だったから……み、……」
「み?」
早口でまくし立て、口ごもった足立さんに俺が聞き返す。続く言葉には大体予想が付いていた。だから、足立さんはバツが悪そうな顔をする。多分俺は足立さんから見たら嫌な顔をしているんだろう。俺の鼻頭に冷たいものが当たる。降ってきた。
「……見せたかったの! もういい? 本当にそれだけだから。あと静かで悪くないでしょ。話をするには。ほら、入って」
まるで自分の家みたいに足立さんは言って俺の背中を押した。手で押さえられている扉は蝶番がきしきしと軋んだ音を出した。

教会の中はやっぱりぼろぼろだった。教会など、初めて来たけれど映画やドラマで見たことのある教会そのまんまだ。湿っぽい独特の匂いが充満し、何気なく手を置いた座席の手摺りには埃が積もっていた。天井が落ちてないだけましというところだけれど、足立さんの言葉通り正面に存在するステンドグラスは割れてしまってはいたが、美しかった。原色の色を使っているのにも関わらず、目にも鮮やかだ。宗教に関しては何も信奉していないし、何ら知識もない。意味だって知らないけれど、何らかの力があるような。そんな気にさせた。これが晴れであったのならどれだけ良かったかと思う。見蕩れていると足立さんが先に席に着いていた。目が合うと足立さんがなんだか誇らしげに見えて思わず笑う。俺が埃を払って左隣に座るとこちらを見て目を細めて俺に向けてではないのだろう小さな声で何かを呟いた。
「なんですか?」
「……別に。稲羽が霧に覆われて入っても戻ってきてしまうっていうのはもうニュースで見た?」
頷くとそう。と低めのトーンが響いた。
稲羽が霧に沈んだのは今朝のニュースでやっていたことだ。唐突の出来事だった。日に日に重苦しく霧が濃くなっていた訳じゃない。地方のテレビで霧予報がやられていた程度で皆、大きな危機感を感じていなかったのだろう。逃げる隙すら与えられなかった。霧が何か知っている彼らだって、そんな簡単に引越しなどには漕ぎ着けられなかったんだと思う。多分。もうよくわからない。彼らと連絡なんてしなくなっていたから。あの時に彼らとの絆は燃やしたから、知らない。
ただ、俺の知っている人のほとんどがシャドウになったのは事実なんだろうと思う。何がきっかけかはわからない。よくよく考えれば持った方だったのかもしれなかった。いつかそうなるのは足立さんから聞いていたにせよ、それなりのショックは受けた。受けたけれど、なぜ、どうしてを考えれば考えるほどわからないものが溢れるから稲羽のことはその事実だけ受け止め、足立さんがこっちに来ていてよかった、巻き込まれなくてよかったとそれだけ思ことした。
「あれ見たら、僕から逃げるかと思って」
「はは、どこにですか?」
「どこだろうね。よくわからないや。稲羽とか?」
「……俺は、いつかそうなると思ってましたから覚悟はしてましたよ」
考えていた事を言うと足立さんは足を伸ばし、座席に体重を預けて喉を晒すように背もたれの厚みに後頸部を乗せた。ほぅ、と息を吐く。

「……君は本当、強いよね」
「そんな。あの時、あの後、俺は大泣きしたじゃないですか。学内でもちらほら話題が出ていていい気分じゃなかったので電話は本当に助かりましたし……」
「そう……」
「あなたって結構心配症ですよね。俺が裏切るわけないでしょう?」
「でも、気持ちは永遠じゃないよ。君はいつか僕を置いていなくなっちゃうかもしれない」
「……まぁ、そうかもしれないですね」
「あ、酷いなぁ。そんなことないって言い切ってくれるのかと思ったのに」
「すみません。でも、今はずっと一緒にいたいなと思ってます」
ぱちぱちと足立さんの瞬きが増える。右手をスーツの上着、右ポケットに手を突っ込んで、足を戻すと共に背筋を伸ばして座り直した。空いた左手はぴょんと跳ねた癖っ毛を人差し指に絡ませて遊ぶ。少しだけ足立さんの黒い髪には白が混じって見える。
「ずっと? 抽象的でやだな、それ。僕の髪が白くなってもいてくれる?」
「髪、気にしてるんですか? 染めたらいいのに」
「なら、君の色に染めようかな」
「あなたは黒が似合いますよ」
「本当? じゃあ、黒にしとく」
話はこれでおしまい。と足立さんは立ち上がった。猫背なのがもっと猫背に見える。俺も立ち上がって服の埃を叩き出しているうちに中央の通路で足立さんは待っていてくれた。待っていたというか、ステンドグラスを見ていたようだった。雨の音がしとしとと響いて、ステンドグラスの隙間から雨が降り注ぎ、木の床板の色を濃く変える。足立さんはまだポケットに手を突っ込んでいた。

「……足立さん」
「……ん?」
「あの、キスしていいですか?」
足立さんが少し目を大きくする。
「どうして?」
「どうしてって、……したいと思ったから?」
「場所に影響されたんじゃなくって?」
「していいんですか、ダメなんですか。本当は、……ッ」

話はこれだけじゃないんでしょう。
その言葉は唇に箱が押し当てられたせいで言えなかった。右のポケットから出てきたものだ。ふわふわしたような毛羽立ったような感覚が唇を通して伝わる。
「君のそういうところが本当に嫌い」
そう言うと俺の手のひらにその箱を乗せる。ほんのり温かい。実際連れてきたのはこれが目的なんじゃないか。となんとなく思う。
「するならこれを開けてから。それで、僕からするものだよ」
開けて。と声がかかり、そっと開くとやはり指輪だった。
「給料三ヶ月分?」
そう顔を上げ、尋ねると足立さんは目をそらして頷いた。頷いたというか、照れ隠しで顔を下げたに近かった。
「そんなところ。プラチナは永遠に輝くんだとか教えてもらった」
「永遠? 売るための商法ですよ、それ。永遠とかずっととか未来のことなんてわからないのに」
「さっき君もずっととか言ったじゃないか。……ほら、手貸して」
俺が左手を差し出すとそっと薬指嵌める。ピッタリと嵌るのを見た足立さんはいつもは出さないようなふふ、という笑い声とともに唇を俺の頬に押し付けた。
「……足立さんのは?」
「ない。こんなことしなくとも君は僕の隣に居てくれるらしいけど、逃げられたらたまらないって君を引き止めようと急いで買ったんだからね」
頬にもう一度キスをされ、嘘だ、と心の中で呟いた。人の指というのは太さも様々なのだ。俺にぴったりの指輪を急いでなんて嘘だと思う。知らないうちに測られていた可能性もあるけれど。何もかもこれを渡す口実のような気がしていた。
「……なら、俺が足立さんにあげてもいいですか? 指輪。バイトですから三ヶ月なんてたかが知れてますけど」
「無理しなくていいよ。別に」
また心の中で嘘だと呟く。俺がしたい事ですから。言うとそれならば仕方がないといった顔をして待ってる。なんて言う。まったく、仕方がないのはどちらなんだろう。
「三ヶ月後にまたここでいいですか?」
「その日は晴れてるといいけど」



[back]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -