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__ 幸せの価値を見いだしてみる(足主)

すっかり梅雨も明けた七月。からっとした晴天で日差しは強く、太陽は頂点か少し西に傾いた位置にある。今年も毎年のように猛暑、記録更新が予想されるらしく、アスファルトの照り返しで体感温度はもっとひどいんだとか。
そんな中、近くに出来たばかりのショッピングモールに買い物に行きたい。と初めに言ったのは俺だった。一緒に暮らし始めて早くも一週間。必要なものは大抵持ってきたけれど、足りないものもあったのだ。嫌だと言うと思っていたのに意外にもいいよ。と言ってくれたのは、平日なら人はそんなにいないだろうと踏んだところにあるんだと思う。
向かうまでの道のりで 真っ昼間から外に出るんじゃなかった。と愚痴は漏らしていたけれど、実際空いていたし、人混みもあまりないお陰で効きすぎていると思う程に空調は涼しかった。そこのイタリアンの店は美味しかったし、日用品も十分に買えた。食料品もばっちりで、足立さんに買ってもらった包丁がナイロン袋で活躍を待っている。
不満なことがあるのなら俺が完全に荷物持ちにされていて両手が塞がっていることだった。

「もう買うものない?」
「大丈夫です。帰りましょうか」
「……あ、あれは? 虫に刺されたとか」
「そういえば。よく覚えてましたね」
「だってここ蚊に刺されてるから。ここも。昨日網戸開けっ放しだったっけ?」
そう足立さんが空調で冷えた身体に人差し指で触れる。首筋に二回。でも本当は四つだ。服を脱げばあと二つある。勿論、全て蚊ではない。昨日は網戸はおろか窓すら開けてない。実際、蚊には困っているけれど。
「……馬鹿ですか?」
「はぁ?」
「蚊じゃなくて! 足立さん……が……?」
昨日のことをすっかり忘れてしまっているのか、と言い及ぼうとすると足立さんの足がぴたりと止まった。そのままぐるり、と後方を向いた。俺もそちらに向くと黒髪の男性がそこにはいた。

「足立……?」
そう言った男性は髪が短く切られ、身の丈にあった上質そうな黒々としたスーツにネクタイをしていた。片手にはナイロン袋。その人があれ、忘れちゃったかな。と少し寂しそうな顔で足立さんを見た。足立さんといえばよくわからない表情だ。
目の前にいる人は俺の知らない人だった。俺に会う前の過去の知り合いなのだろうか。その辺りはよく知らなかった。
足立さんの口から過去の人の話は聞いたことがないからだ。俺が尋ねたことがないからというのもあるのだと思う。俺だって聞かれないからすることはない。足立さんの過去を知る人と考えてみると、それに対してなんだかほの暗い気持ちになった。凄く女々しい。ナイロンの袋を掴み直す。こういう気持ちというのは他人に見えないからいい。足立さんがあっと思い付いたように声をあげる。

「昔同僚だった太田だろ? 覚えてるよ」
「覚えててくれたのか。こっちに戻ってきたっていうから、いつか会えるのかなと思っていたんだけど本当に偶然だな……。元気です?」
「……まぁ、元気。向こうはいい人ばっかりだったし、空気も綺麗だった」
へぇ、と太田と呼ばれたその人は当たり障りのない声を漏らした。差し当たりの無い足立さんの言葉に察して、身にあったことを思い出しでもしたのだろう。気を取り直すように、話題を切り替えを行うために、俺の方に向き直る。

「こちらは? 従兄弟?」
「そうなんですよ。高校生で夏休みだから泊めてあげてて。ほら、総司くん」
滅多に名前を呼ばないくせに。というか、俺はもう高校生じゃないし、泊まってないし、住んでるし。そんな目線は当然の如く無視され、とん、と足立さんは俺の背中を軽く叩く。挨拶しろということだ。その通りに上半身をなるべく礼儀正しく見えるように折り畳んで挨拶する。
「こんにちは、太田さん。瀬多総司です」
礼儀正しいんだねとかなんだとか世辞を口にする太田さんは幾つか質問を投げかける。何年生? とか志望校の話とか。既に大学生なのに二年前の話をするなんて。足立さんの顔は見ていないし、恐らく大した表情はしていないけれど、心の底では大笑いしているんだろう。そんな問答が少し続いて太田さんは話を切り出した。
「……そういえば、俺、最近結婚したんだ。まぁ、政略結婚ってやつなんだけど。彼女、ちょっと料理が下手だけど案外悪くないよ。足立は? どう?」
自慢げであり、ほんの少しだけ見下しが見える話し方だった。足立さんの顔を恐る恐る見る。へぇ。と相槌を打つ姿はなんともないような表情だった。だったのだけれど、問いかけられた途端に口の端がほんの少し緩んだのは見逃さなかった。

「……ああ、うん。居るよ。かわいくて、美人で料理上手。綺麗好き。ちゃんと僕を愛してくれて、本当に僕には勿体無い人だ」
「うわ、それ、惚気?」
「そうかも? でも、先に惚気たのはそっちだろ」
太田さんははは、と笑ってみせる。それからふと、目線をまた俺にやった。
「っと、……隣の従兄弟がびっくりしてるけど、平気?」
「ええ? 知らなかったっけ?」
「ええ……知らなかったです。そんな素敵な人がいるとは」
足立さんの顔は見ない。多分ろくな事にならないから。大笑いされていそうだった。こんな事を言わせるなんて、言うなんて。視線は自然と下へ向き、出来たてのショッピングモールのつるつるした床を睨みつける。式は?とか身内だけでもうやったとかこっちはいろんな人を呼んだとかなんとか話す二人に最早耳を塞ぎたかった。

式とはあの廃れた埃まみれの教会での事を言っているのだろうか。あれは結婚……そう言っても過言ではない儀式のようなものだった。そして、この場で聞けるはずが無いことだ。聞くのも無駄だ。わかってる。全部それは俺の事だ。あの時俺と足立さんは結婚をした。俺の自意識過剰でなければ。
あの人は知りっこないが今さっき足立さんが目の前で言った言葉も俺のことだろう。滅多に言ったことのない褒め言葉心にもないことかもしれないが、俺のことを褒めた。嘘八百かもしれないけど。
録音しておけばよかった。なんてなんだか昔考えたことがあった気がした。そんな馬鹿なことを考えて、脳内で言われたことをリピートする。俺からの愛は足立さんに伝わっている。それはすごく単純な事だとは分かっているが嬉しいことに変わりなかった。

それから太田さんは人の良さそうな笑みを俺に浮かべ、励ますかのように肩に手を置いた。君にもいい人がきっと見つかるさ。若いんだから。なんて口にしながら。大丈夫なものか。そうですね。という言葉でさえ舌が縺れ、うまく発音できなかった。なんとはなしに荷物を持った左手に右手を這わせ、よくわからない笑みのような何かを太田さんに向けた。
足立さんと太田さんの会話は太田さんが奥さんが待っているとの事でそれからすぐ終わった。じゃあ、またね。と俺に手を振った太田さんにぼんやりしていたせいで手を振り返し、けらけらと足立さんに笑われる。
「そーじくん」
足立さんが俺の肩に手を乗せてそう呼んだ。からかわれている。というのはわかっていた。一礼にしておけばよかったなと今更なことを思う。
「なんですか? とーるさん」
「僕達も帰ろ」
「残りの買い物は?」
「また今度でいい」
「わかりました」
「半分持つ」
「当たり前です」
「君、ほっぺが赤いよ」
流れる様なやりとりに止まったのは俺の方だった。気付かれたかもね。と足立さんはへらへらと笑う。悔しいので意趣返しとして重い方の袋を渡してやる。しかし、足立さんは何ともないように受け取ってみせる。
「……君は表情分かりづらいけど、照れる時だけほっぺたがすごく赤くなるんだよ。皮膚が薄いとかあったりするのかな」
「知りませんよ」
「そうだと思うよ、だって君、夜……いった!」
足立さんが軽く抓っただけなのに大袈裟な仕草をする。しかし、抓った感じでは少し足立さんは太ったかもしれないなぁ。なんて思う。元から痩せている?からいい事なのかもとも。
「ほら、帰りますよ」
そう言うとはいはい。と足立さんはなんとも雑な返しをして袋を反対の手に持ち替えた。足立さんの空いた左手に見えるそれが今が現実であることを示していた。



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