P4 | ナノ



__ 海よりしょっぱい(足主)

お題:海
※共犯者エンド後 早朝

「海って初めて来ました」
車から出た途端、そう嘘をついた。特に理由もない嘘だった。足立さんと行ったのはこれが初めてだったし、早朝の海というのも初めてだったからあながち嘘ではない。
海は何度も行っていた。釣りに行ったり、泳いだり、何をするでもなくぼんやり波の音を聞いていたり。足立さんの前でみんなで海に行ったことを話したことがある。あまりいい顔はしてなくて、そう。とか良かったね。と話半分だったけど、聞いていたはずだ。なのに、言及もせず、僕もだよ。と足立さんはまるで独り言のように呟いた。こちらを向かず、じっ、と海を見つめている。
足立さんと俺の前に広がるのはほとんど灰色の雲が埋め尽くした空と濁りに濁った荒れ狂う海だった。日がそろそろ昇るようで水平線はうっすらと明るく、風は潮を纏っているようで全身がべたべたとして気持ちが悪い。さっき綺麗にした身体が汚れていくような感覚を覚える。……いや、もうどうしようもないくらいに汚れてしまっていたけれど。
夏に此処に行った時はこんな気持ちじゃなかったのに。第一印象はそれだった。気分と天気だけで目の前の世界は随分と大きく違って見えるものなのか。と。
見ているだけで気分の悪い生憎の天気と立ち込める霧は全てにおいて俺のせいで、そして何もかも終わった事だった。

「……もっと、近づいてみませんか」
そう言うと足立さんは嫌そうな声を出し、暗いから危ないよ。と注意を促した。
車から離れて海へと近づいて行く俺に対して足立さんはやれやれと大袈裟な態度を取って一足遅れてついてくる。
コンクリートでできた階段を下りて砂浜を踏みしめるとさくさくと水気を帯びた砂が音を立てた。二人分がリズミカルに響き、砂浜の半分で立ち止まるとひとつ遅れて足音が止まる。
強く風が吹くとスーツの足立さんが身を縮めた。寒がりの癖にこの人の家には春物の黄色いモッズコートしかないこの人は、いつも寒い寒いと言っている。夏の時はいつまでも半袖にしないせいで熱い熱いと何度聞いたか。変な意地を張る人なのだ。この人は。コートでもプレゼントすればよかったかな。もう買う暇なんてないけど。
「……うう、寒い」
「寒いなら俺のコート貸しますよ」
「いいよ、君はこの前風邪引いて寝込んだばかりだから」
「この前って、一月のことじゃないですか」
脱ぎかけたコートを足立さんは俺に掛け直す。
一月の頭くらいに風邪を引いた。目を覚ますと必ず隣に足立さんがいてくれて、看病してくれた。タイミングが良かっただけなのかずっとそばに居てくれたのかは聞けなかったから。きっとずっといたわけじゃなく偶然なのだと思う。風邪の間はほとんど眠っていたせいで足立さんと言葉を交わしたのは少しだけだったし、記憶も曖昧だったし。
ああ、でも、変色したすりりんごの味はよく覚えている。
「……日が昇ってきた」
そう足立さんは呟いた。その通り、半球の日が水平線に顔を覗かせる。響くのは波の音だけだ。穏やかではない激しく、叩きつけるような。

海に来たことがない。それについて足立さんは本当のことを言ったのかどうかはよく分からなかった。
そもそも、足立さんのことについて知っていることは少なかった。知り合って何ヶ月くらいだろう。一年は経ってないけど、半年以上は経っている。誕生日や年齢、昔のことというのは全く知らない。多分向こうも知らないだろう。ただ、好きな料理だとか好きな本、映画、よく吸う煙草の銘柄。足立さんのそういったことなら日々の生活を通して知っていた。それだけでも一緒に居ることが出来ているのならそれでいいと今でも思う。
手に入れる為に犠牲にしたものは大きすぎてあれから時々後悔はして、その度に足立さんには迷惑をかけているけれど。これで良かった。

「……ねぇ、足立さん」
「なあに」
そして、今また迷惑をかけることを言う。自分勝手で心底我が儘な行いだ。俺の目を足立さんがじぃ、と見つめる。いい答えが得られるとは限らないから、怖い。
手のひらにかいた汗が風で瞬く間に乾いていく。手のひらをぎゅっと握って息を吐き出す。
「……俺と、一緒に暮らしてくれませんか」
足立さんはそれを聞いた途端、浜辺にしゃがみこみ、日の昇る海を見つめて溜め息をついた。そして、口元を両手で覆う。
「あーあ……、それ。僕が先に言うはずだったのに」
表情は覗けなかった。足立さんの跳ねた毛先が陽の光で茶色に見える。 隣にしゃがんで同じ方向を見ると目が開けていられないほどに眩しかった。思わず目を閉じたが、瞼に光が焼き付くような感覚を覚える。

「……返事は、いいってこと……ですか」
そう尋ねて薄らと慣らすように瞼を持ち上げる。隣で足立さんは砂に埋まり角がなくなったガラス片で砂の上に線を引く。足立さんと俺の足の前に長く一本、そこから海の方へ線を伸ばし三角形に。
「いいや? まだ噂程度なんだけど、あと一年したら都会に戻れるかもしれないから一年後に予約しておこうと思って。君が嫌なら今すぐに仕事辞めたっていいけどね」
そう言うと足立さんはガラス片を捨てて立ち上がる。恥ずかしくなったんだろう。代わりに俺がガラス片を拾って最後の線を俺と足立さんの間に引く。三角形の頂点からじゃなく、底辺の真ん中から。相合い傘は三角形を通すとすぐに別れると聞いたことがあった。
「……足立さんには刑事が似合いますよ」
「ほんと? それは嬉しいな」
「この前迷子の女の子に俺があげた飴をプレゼントして手を繋いでいたのを見ましたよ」
「……それに君は妬いた?」
言葉にはせず、頷いた。幼い子にさえ妬く自分は凄くいやらしく感じる。足立さんが手を差し伸べて、それを掴んで立たせてもらう。そのまま手は離してもらえず、指と指の間にするりと通される。太陽はもうほとんど顔を出していてそれに後ろを向ける。
「あの子とはこうやって手を?」
「うるさいなぁ。君だけだよ。これから先も。……これで満足かい?」
「まだ足りないです。本当はこのまま家にだって帰りたくない」
「彼女みたいなことを言うね」
「彼女ですから」
「……はいはい。冗談言ってないで帰ろうか。僕はこれから仕事なんだから、君を見送ってやれないよ?」
はは、と足立さんは俺の顔を覗き込んで笑う。そして乱暴にスーツの袖で俺の目元を拭いた。ごわごわとした素材はなかなか吸収せず、俺の顔をもっとひどくするだけだ。
「君はどうして泣きそうな顔してるんだ。ほら、笑ってよ。僕はこの春を君と迎えられるっていうのが死ぬほど嬉しいのに」
「……ごめんなさい」
「いいんだよ。……ありがとうね」
お互い何にとは言わない。どう解釈されても構わなかった。多分足立さんもそう思っているはずだ。そうだといい。
うん。と子どものように頷いて、精一杯に笑ってみせると可愛くない。と結んでいる手を固く握りしめてくる。交わしたキスは何のせいかしょっぱかった。



[back]


「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -