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__ ひそひそと××しあう(足主)

 クラクラとする頭を何とか持ち上げて帰路を急ぐ。お腹が空いていた。結局購買で買ったパンは食べきれず、半分程残して鞄の中に口を丸めて入れたままだった。最近はいつもそうだ。食欲はある癖に。
 帰路を急ぐのは何かが待っている訳でもない。でも、ひたすらにきりきりと足を動かす。何かあると理由を付けるなら寒いからだ。寒いから早く家に帰りたい。家に帰って頭をカラにして勉強がしたい。

 十一月になってからもうそろそろで半分が経過したことになる。寒さは本格化して、朝早ければ霜が降りている時もあるくらいだ。都会で暮らしている時には見たことなかった草が白く凍りつく現象は新鮮だった。踏みしめるとざくざくと音を立てて面白い。寒いのは好きじゃないけれど。
 霧がなければな。と思う。この調子で稲羽に雪は降るんだろうか。そう考えると菜々子と約束したことを思い出す。容態は落ち着いてきているらしい。けど、油断はできない。科学的な理由のつかない場所だ。何が起きても不思議じゃない。こうやって俺が学校に行って帰ってくる間にも何かがあるのかもしれないと思うと怖かった。
 あれから数日が経過していた。朝起きる度に自分の行動を後悔している。夢であるなら良かったのにというひどく安直な思考を回すのだ。もっと上手くやれたはずだったのに、本当なら事前に防げたかもしれないのに。今更何も変わらないのは理解していたけど、そんなことばかりを考えている。
 最近はそもそも特捜隊というチーム結成が悪かっただとか、自分が稲羽にやって来たから平和な街が壊されたんじゃないかと根本に疑問を持つようになってしまっていた。何のせいかは考えても答えは得られるはずが無いのにそうしてしまうのは、起きている今を見たくないという理由からなんだと思う。それと、不安から。
 雨の日の後、霧が出る。という法則はもう意味を成さず、身体にベタベタとまとわりつく霧は増えるばかりで消える様子はないのだ。雨も降らず、最近は日も当たらない。……そういえば家庭菜園、あれからほったらかしだ。
 すれ違った主婦たちの会話が細切れに耳に入る。霧が増えた気がする。とか体調が優れない。とか。
 まるでテレビの中みたいだ。
 ──テレビの中? まさか。
 でも、そうだったらどうすればいいんだろう。霧をテレビの中に戻す? そんなこと可能なんだろうか。霧なんて触れられないのに。

「…………、ただいま」

 習慣になってしまったこの言葉を口にする。返ってくるはずがないのに、期待する自分に嫌になる。さっき自分で鍵を開けて家に入っただろうに。なぜ分からないんだ、俺という奴は。
 心の中で罵りながら、床に鞄を置いてテレビ電源を入れる。静寂には慣れない。一年前は家に帰っても迎えてくれる人なんていないことが普通だったのに不思議だった。テレビではどの番組もニュースの時間らしい。今日一日の出来事をアナウンサーが読み上げる。俺の今日一日の出来事といえば昨日とほとんど同じだ。変わったのは食べるものと勉強くらい。濃いものではない。
……まぁ、比較なんて馬鹿馬鹿しいことだ。テレビを流しっぱなしにして台所へ向かう。シンクに置かれた黄色のマグカップは俺のために秋頃に叔父さんから手渡されたものだ。家族の証。他の三つはガラス張りの戸棚に逆さにしていつも乾いたままそこにある。それに蛇口を捻って水をぎりぎりまで注いで飲む。珈琲をいれるのは叔父さんの役目だからいれない。そのまま半分くらい残った水の入っているマグカップを持って冷蔵庫を開ける。

「また入ってる……」

 ぽつり。とつぶやく。答えは返ってこないけど、つぶやいてみることで頭の整理はできる。冷蔵庫の中にはタッパーが二つ入っていた。鍵はちゃんとかけてるはずなのに、最近になって頻繁に起きる事だ。こうやってタッパーが入っていたり、鍋がコンロに乗っていたりする。中身は毎回違う。初めはおかゆで、それから野菜炒め、焼きそば、ポトフだったり、カレーだったり色々と続いた。毎回何かしら欠点というか、失敗がある。おかゆに焦げが混じっていたり、じゃがいもが溶けきっていたり。
 青い蓋の耐熱性であるタッパーを開ける。中身は焼きうどんだ。ふんわりと香ばしい醤油味がする。もう一つのタッパーには切り分けられたリンゴがあった。ご丁寧にうさぎにしたり、木の葉にしたり、飾り切りがされている。ただ、塩水で処理はされてないらしく、酸化が進んでいた。やっぱり何処か抜けているらしい。
 電子レンジに焼きうどんをかけながらマグカップに半分残った水を飲み干して、また入れ直す。テーブルに箸とマグカップを置いて、待ち切れずリンゴを一つ口に運ぶ。切り口が酸化していてもじゅわりと口内に広がる水分は甘い。思わず食が進んで三つ目に手を出したところで電子レンジが静寂を貫いた。





「犯人は、あなたですか」
「バレちゃ仕方ないな……」

 彼がぎらぎらとした目で僕を追及する。こんなに早いとは想定外だった。
 そうだ。僕がやった。
 バレちゃ仕方ない。本当は君とはここで会いたく無かったし、会う予定も無かった。もちろん、犯人なんて言って欲しく無かった。(だって、別の事で引っかかっちゃうからね)

 あはは、と後頭部に手を当てて笑ってみせる。いやー、困ったなぁ。とそんな具合に。いつもの刑事さんらしく。彼の表情が若干だが緩くなる。ぎりぎりした切羽詰った表情は彼には似合わない気がして少し安心……、いやいや。安心なんて僕が心配するのもおかしな話だ。別に他人だし。もうすぐ世界は終わるんだし。
 ──ああ、でも、なんだか見ていて痛々しいなぁ。とか、思ったりする自分がいる。なんでだろう。堂島さんに任せられてるからと言え、ご飯なんて作らなくともいいのにね。
 彼と入れ違いになるようにこそこそと作ったりして、彼が残さず食べて水切りかごにタッパーが干されているのが嬉しいなんて爆笑ものだ。何故かは深く考えるのはいけない気がした。霧のせいだ。霧のせいで僕もおかしくなったんだろう。

 台所で久しぶりに対面した彼は少し痩せて見えた。肩にスクールバッグをかけ、左手で持ち手を力強く握っている。丁度学校から帰ってきていたらしい。昼過ぎで終わるなんて聞いていないが、何かあったのかもしれない。彼は病院で会ったときよりはマシなのだけれど、やっぱりまだ細かった。ただでさえ細長い奴だと思っていたのにますます骨と皮しかないみたいになっている。
 ただ、顔色は以前よりは大分良くなっていた。それによくわからない感覚を覚える。安堵みたいな、なんだか気の緩むような感覚だ。
 彼をこうしてしまったのは元を辿れば僕だというのに。


 彼は踵を返してソファに鞄を置いて、座った。テレビのリモコンを手に持つが、電源は入れない。犯人なんて言葉を使った癖に早々に興味を無くしたようにみえる。どうでもいいのかもしれない。感謝の言葉ひとつくらい無いのかよ。と思うが、そもそもそうお礼やら感謝が欲しくて始めたわけじゃなかった。と思い出して彼から視線を逸らす。

 今日は生姜焼きと根菜の味噌汁の予定だった。まだ生姜焼きは準備を始めていなかったし、味噌汁は水を入れただけ。米はとりあえず研いで炊飯にかけた。彼が予想以上に帰るのが早かったせいだ。せいっていうのは彼に悪いけど。それより、あと数時間もしたら仕事に戻らなきゃならない。
 足元に置いたジュネスの袋から人参と牛蒡を取り出すと、彼が口を開く。
「……料理、叔父さんから言われたんですか? 作ってやれとか、そういう……」
「違う」

 咄嗟に口から出たのは否定の言葉だった。
 これは僕の意思だ。堂島さんに家に荷物や何やらを持っていく時に彼の様子を気にして欲しいと言われた。だから、それは事実の上ではそうではある。けど、違う。彼にはそう思われたいとは思っていない。違うのだ。ただ、彼が──、
 僕の言葉に対して彼はそうですか。と普段と代わりのない声の響きであしらってみせる。興味が無いらしいように聞こえた。ソファの位置のせいで僕からは後頭部しか見えない。彼が続ける。

「……今日は、なにを?」
「生姜焼きと根菜の味噌汁だよ」
「あの、大丈夫ですか?」
 ──大丈夫? おいおい、それはないだろう。君のために何回作ったと思っているんだ。
「楽勝だよ、こんなの」
 少し腹が立って頭を切っただけの人参をまな板に置いて居間に戻る。彼は相変わらずソファに座って、何もせずにぼんやりとしていた。していることといえば手元に持ったリモコンの凹凸をなぞることだけだ。視線はどこに向けているのかよく分からない。不安定。そんな言葉が過ぎる。
「こたつには入らないの? 寒いでしょ」
「……その、壊れていて」
 踏んではいけない話題らしく、彼の声は震えていた。壊れているなら買いに行けばいいのに。今度買いに行こうか。と声を掛け、隣に座る。本当にそういう日が来るのかは知らないけど。
 彼は消えそうな声でそうですね。と返した。慰めにはならないらしい。より一層彼を不安定にさせたかもしれないと危惧をする。寒くないですか。と彼は続けた。
「寒いよ。料理するにも冬の真水って本当つめたくってやになるね」
「……じゃあ、……、あの、ブランケット、使ってください」
 彼がもごもごと口ごもって、躊躇って何かを言うのを止めたのが分かった。誤魔化すように差し出された濃いグレーのブランケットは堂島さんが寝こけた時に掛けられるやつだ。使ってしまうのは気が引けたが、彼からの誤魔化しの好意を素直に受け取ることにする。ぱっと広げて彼の膝にも掛けてやると謝罪の言葉を口にし、ブランケットの端をぎゅっと掴んだ。いつもの彼ではないんだなというのが分かりたくないほど分かる。家族同然の彼らがああなってしまったんだから当然だ。僕だって思うことが無いわけじゃない。

「……あの、足立さん」
「なに?」
「犯人、なんて言ってしまってすみませんでした。……俺、本当は嬉しかったのに……」
「ああ、それ? 気にしないでよ。犯人はもう捕まったんだからさぁ。それより、さっきの言い方からすると僕の料理って美味しくないの? というか、迷惑だった?」
 はぐらかす。狡いことをしているのはわかっていた。その犯人っていうの合ってるよ。なんて言えるはずがない。言ったら彼はどうにかなってしまう様な気がしていた。知っている人が犯人で何もかもその人のせいだったなんて。彼が僕のことをどう思っていたとしてもそのストレスは避けられない。今度は僕がブランケットを強く握る番だった。

「……め、迷惑なんて、そんなことはないです。いや、……言っても怒らないで下さい。……最初は不味かったんです。あんな焦げたおかゆを食べたのは初めてでした」
「でも全部食べてくれたよね?」
「食べ物は粗末にしてはいけませんから。あれ、味見してなかったんですか?」
「うん」
 でも、ちゃんと最近は味見してるよ。と言い訳じみたことを付け足す。いや、言い訳じゃないんだけど。最近、ええと、カレーを作った頃だ。一週間くらい前だと思う。味見はした。じゃがいもと玉ねぎを溶かしてしまったけど、前に彼が言っていたいつぞやのカレーだとかよりは絶対に美味しいはずだ。

 ブランケットはじんわりと暖かさを返すようになっていた。かちかちと時計の秒針が時間の経過を伝えている。このままもう暫く一緒に座っていたいなんて考えるのは気の迷いだ。そろそろ台所へ戻ろうとブランケットの端をつまんで尻を浮かす。と、彼が恐る恐る、引き止めるかのように僕を見る。
「……この後は、お仕事ですか」
「そうだねぇ。午後からまたある」
「……なら、良かったらご飯一緒に食べませんか」
「……君が作ってくれるの?」
 こくり、と彼が頷く。彼がぎゅっと握るせいでブランケットの端は随分としわくちゃだった。やはり離れるのが惜しくてまたソファに座る。
「うーん、でも、帰ってくるの結構遅い時間だけど……平気? 十時過ぎくらい」
「全然構わないです! ……あ、えと、俺、作って待ってますから」
 いいですか? と彼は付け足し、訴えかけるような見透かす目をする。断れない。そう思った。一体誰が断れるんだろう。少なくとも僕は無理だ。
「……じゃあ、よろしく頼むよ」
「任せて下さい。俺、生姜焼き得意なんです」



「あー、美味しかった」
 床に後ろ手をついて足立さんはふにゃふにゃと笑う。ほっとした。久しぶりに料理をして、うまく作れるか心配だったから。
「本当ですか? 良かった。お肉は麹につけると美味しくなるんです。それと、隠し味としてタレにリンゴジュースを入れるとジューシーさが増しますよ」
「そうなんだ。でも、一人の時は多分作らないかな」
「ああ、面倒ですもんね。誰かのために作るからきっと美味しくなるんですよ」
「誰かと食べるともっと美味しい?」
「そうです。きっと」
 俺がそう言うと沈黙が降りる。まだ勇気が足りなかった。この人はどうして俺にこんなことをしてくれるのか。とそう聞くのは躊躇われた。俺の想像を裏切る言葉が帰ってくるのが怖かったのだ。叔父さんからではなく、俺のために料理をしてくれたことは足立さんの口から聞いた。それだけでいいのだと思う。本当の事を知るより、自分の中で完結させてしまった方がいい。少なくとも、足立さんは俺を影から支えていた。気持ちはどうであろうがそれは事実だ。

「……ねぇ」
「はい?」
 足立さんが身体を起こしてマグカップに手を伸ばす。赤い色のマグカップ。叔父さんたちと同じものだ。家族のしるし。もしかしたら、家族だからこんなことを……と考えてやめる。それでもいいけど、そうではないといいなと思う自分がいる。
 一口、マグカップの中の緑茶を飲んで足立さんは尋ねる。

「……もし、明日の夜世界が終わるとしたら君はどうする?」
「何言ってるんですか?」
「何言ってるんだろうね。まぁ、考えてみてよ」
 ううん、と唸って考えてみる。もしも世界が終わるなら……それはどうしようもないものなんだろうか。シャドウみたいな化け物だったらペルソナで倒せるかも。終わって欲しくはないと思う。ただ、指をくわえて世界が終わるのを見るのは嫌だ。まぁ、今聞かれてるのは多分どうしようもない時のことなんだろう。
「俺は明日も学校だから普通に学校に行ってそれで終わりですよ。今日となんら変わらないと思います」
「つまらない回答だね。最後の一日なんだから休んでも怒られないよ。一日くらい悪い子したっていいんじゃない?」
「刑事さんが言うんですか、それ」
「あー……まぁ、ね」
 また沈黙。足立さんの求める答えはなんなのだろう。
「……もし、学校とかそんなことがなかったら、最後の日には誰かと一緒に過ごしていたい。って思います。俺だけがこの世が終わることを知っていたら、大切な人と過ごしたい」
「例えば、誰?」
「今なら叔父さんと菜々子。それと、あなたです」
「僕も大事な人なんだ」
「ええ。俺を救ってくれた人だ。あのタッパーが無かったら俺は今いないかもしれないですからね」
「馬鹿だなぁ。大袈裟だよ」
ぐっ、とマグカップの中の液体を一気に飲み干した足立さんの表情をこっそりと盗み見る。満更でもない表情だ。
 俺は嘘をついたつもりも、大袈裟に言ったつもりもない。大切な人だ。足立さんは。ただ、関係性や思いを言葉にして、形にしてしまうのはナンセンスだと思う。大袈裟なんかじゃないですよ。と言うと、そうなんだ。嬉しいよ。と返ってくる。今はそれで充分だった。



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