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__ 遠い夏の日の記憶(足主)

「やになっちゃうね、全く」
「そうですね」
 何が。とは尋ねない。ついさっきまで人に揉まれに揉まれたのだから尋ねる意味もなかった。それに、わざわざなんのことですか。と尋ねて馬鹿を晒したくなかった。足立さんは頭の良い、察しの良い、いい子が好きだ。でも、あまり賢くなりすぎてもいけない。永年の付き合いだ。もうわかっている。今の嫌になるというのは人混みが嫌になるってこと。それは俺も同じ気持ちだった。ようやく人の声や屋台の鉄板の上で何かが焼ける音だとか色んなものが混ざったやかましい(嫌いではないけれど)空間から離れられてほっとしていた。
 なんとか獲得した祭りから離れたベンチに座れば疲れが降りかかる。稲羽のお祭りでも人が多いなと思ったのに、これは比べ物にならない。……まぁ、それのお陰で外で手を繋ぐとかいう滅多に出来ない体験をした訳で、実際個人的には差し引きゼロみたいなところはあるんだけれど。
 手に入れた戦利品をビニール袋から出して膝に乗せた。まずは広島風お好み焼きからだ。割り箸を割って箸を入れ、口に運ぶ。その隣で足立さんは大げさなわざとらしい溜め息を吐いて、申し訳ないって休みにされたって何にも意味無いのになぁ。とザクザクといちごシロップのかかったかき氷をかき混ぜる。またそのセリフだ。似たような事を車の中でも聞かされた。
稲羽の夏祭りの日。足立さんは菜々子と夏祭りに行くために叔父さんから仕事を押し付けられる。大きな判断が迫られる日。それ以外は前回と同じルートを辿る。というのはもう半年のうちに分かっていた。
「足立さん、本当はお祭りも花火もみんなで見たかったんですよね」
「そうじゃない」
「嘘は良くないです」
「うるさいな、馬鹿」
「ん、」
 苛ついた足立さんが俺の口にチョコバナナを当て付けた。受け取ろうと刺された割り箸を掴むが意地悪をして離してくれない。仕方ないので突き立てられるチョコバナナを次から次へむぐむぐと胃に収める。その間に足立さんは言葉を吐いた。
「あのさぁ……もう時間が無いだろ。僕だって思わないことがないわけでもないんだよ。そういうことなの」
 わかった?と足立さんが尋ねるのに頷くとようやく割り箸を受け渡してくれる。味わいたかったのにもうチョコレートがかかっている部分がほとんど無くなってしまっていた。酷い人だ。そういうことを言葉にするの照れ臭いのはわかるけど。菜々子や叔父さんと過ごしたいって思ってくれていたのは嬉しい。本当はそう言いたかったのに。

「ね、それ、美味しい?」
「え? ああ、えっと、……思っていたよりはあんまり。広島風お好み焼きってキャベツしか入ってないんですかね。そんなことないとは思うんですけど。チョコバナナは……これくらい家で作れそうだなって」
「いや、うん。それは知らないけど。お好み焼き食べてもいい?」
「いいですよ」
「ありがと。……にしても、まだ食べなきゃいけないのたくさんあるね。りんご飴に大判焼き、焼きそばにたこ焼き……これでも減った方だけどさぁ。まだ食べるの?」
 ベンチの端に重なったビニール袋を見て足立さんはそう言った。お好み焼きを片付けて頷くと深い溜め息が吐き出される。言葉通り積まれた出店の品はまだまだあった。冷める前に食べきるのは無理そうだけれど、俺の胃にはまだ空きがあるから大丈夫だろう。それにいくつかは菜々子にお土産だ。

「足立さん、たこ焼き」
「僕はたこ焼きではないけどね」
 そう言いながらも足立さんはたこ焼きの入ったプラスチック容器を渡してくれる。膝にのせるとまだほんのりと温かい。開けてみればソースの香りがふんわりと漂った。自然と口元が緩む。おいしそうだ。
「……こんなに買ったのはお祭りって初めてだからです。出店はお祭りの醍醐味だって陽介が」
「嘘こけ。一週間前にも稲羽で二日連続で行ってたの僕は見てるからな。前も一日目はお友達と、二日目はカノジョと行った」
 事実を言われて言い訳を考えるために口にたこ焼きをひとつ放り込んで咀嚼する。ソースが濃くて美味しい。
 前は抜きにしても今回は……うん。どうせなんて言い方は悪いけれど、八十稲羽のお祭りに足立さんは参加できないのは分かっていた。俺だって最後の稲羽のお祭り楽しみたかったっていうのもあった。福引で貰える本も欲しかったし。
「……でも、あなたとは初めてですから間違ってはないんじゃないですか?」
「そうだけどさぁ……まぁ、いいや。僕は初めてだし。こうやって出店のもの食べるの。お祭りの楽しさとかよくわかんないし、出店のものはみんな毒って教えられてたし」
 これとか本当に毒みたいじゃない?と足立さんがかき氷を掬って口へ運びながら笑う。
「今、楽しいですか」
「君にしょーがなく付き合ってる。かな」
「連れてきたのはあなたなのに」
「違うよ。別にお祭りに行きたいわけじゃなかったの。ただ伝えたいことがあって」
「なんですか?」
「今度は絶対間違えないで欲しいってこと。なんだかよく分からないけど、やり直しのチャンスが与えられているんだから無駄にしないで欲しいってこと。それだけ。要するに――」
「分かってますよ」
 足立さんは驚いた顔をした。この人にとっては不安要素だったのだろう。やり直しが始まったあの日から――いや、もっと前だ。あの判断を決めたあの日からなんとなくはこうしなければいけないというのは理解はしていた。足立さんと離れることを躊躇って、犠牲をたくさん出した。みんなを不幸にした。でも、次は間違えない。足立さんもそれでいいって言ってくれた。俺の答えにふっと足立さんが笑いを含んだ息を吐く。
「僕にはすっごく大事なことなんだけどなぁ。まぁ、分かっているならいいよ。これで僕の話は終わり」
「それ、別にここでなくても話せる話じゃないですか。やっぱりお祭り目当てですね」
「ちがうんだってば」
 嘘つきだ。と呟く俺に知らないふりをしてごくごくとかき氷を一気に飲み干す足立さんを見て、ふと思う。

「足立さん、そういえば舌、」
「何?」
「かき氷のシロップって舌がその色になるそうで。足立さんの舌赤くなってますか?」
「え、そうなの?」
 そう言って足立さんが舌を出す。近づいて見るけれど、真っ暗だからほとんど見えない。もういい?と足立さんが俺に視線を送り、疲れたのか舌先がぴくぴくと跳ねる。
「…………」
 ごく、と喉を鳴らす。足立さんが眉を絞った。いつまでこうしていたらいいのか。そんな顔だ。
そんな足立さんの舌を自分の唇でくわえる。それから唇と唇を重ねた。乾いた相手の口内を自分の唾液と舌で塗り込める。足立さんの苦しそうな声にはっとしてやっていたことをすすぐに恥じた。離れようとしたけど足立さんはそれを許してくれやしない。ふっと、足立さんが笑った気がする。意地悪だ。仕掛けた俺が悪いのだけれど。呼吸を忘れて苦しくなって、悲しいわけでもないのに涙が出た。いや、悲しかったのかもしれない。涙の意味を考えていたら足立さんと離れたらしばらくはキスなんてできないだろう。そんなことを思ってしまった。思ったら、胸が締め付けられた。そんなの嫌だった。考えないようにしていただけだ。
 ようやく離されると、酸素が不足して頭がくらくらした。遠くの祭りのオレンジがまぶしい。泣いている俺を見て足立さんは手のひらで拭う。ぐんと体温が上がった。聞こえているんじゃないかというほど心臓が音を立ててうるさい。みっともない。いい子が好きな足立さんはこういう俺をきっと嫌うだろう。
「いちごの味、した?」
「えっ、……あ……」
 尋ねられて、何の話か、と答えに困った。涙もどうしてか止まらない。何がわかってます。だ。いい子ぶっちゃって。全然わかっていないのは俺だ。
 別に味はしなかった。と、思う。味なんて特に考えてもなかった。思えば甘かったような気がしたし、確かにいちごの味もしたような気がして頷いた。キスしたかったなんて言えるはずがなかった。した。したのだ。確かに甘いいちごの味がした。そういうことにする。こくこくと頷いて見せるとそっかぁ。と足立さんの声が明るく聞こえた。それから頭を手のひらでぐしゃぐしゃとかき混ぜられる。恥ずかしくって顔が見れないから表情は知らない。というかしばらくは足立さんの顔なんて見たくもなかった。



「やになっちゃうね」
「前にもそんなことを言っていましたよ、透さん」
「え、ホント? やだなぁ。変わってないんだ、僕」
 暖かさを通り越して熱さを感じるようなオレンジの光と笛の音がざわざわとした人混みの中に響き渡る。稲羽の祭りは神社の一部に足らず、商店街を含めた一帯に出店が出るようになった。活気溢れるのはいいことだ。もうすぐ始まる花火も今年は奮発したんだとか。その中をカラコロと下駄を鳴らして歩くのは俺とその隣にいる透さんだ。やになるなんて言うけれど、一番楽しみにしていたのは結局この人で、浴衣だのなんだのとこだわったのもこの人だった。菜々子の浴衣も俺のも透さんのも叔父さんのも揃って作ってもらったものだ。

「見つかった?」
「いえ」
「菜々子ちゃんたちこの辺だって言ってたじゃん」
「そう聞いたんですけど、見えませんね」
 そう言って少し爪先立ちをしてみると少し人混みの中にピンクの浴衣がちらりと垣間見える。菜々子だ。菜々子も俺を見つけたようで手を大きく振って見せた。
「あ、やっと見つけた! 透さん、はぐれないように」
「そういうのはいいって」
「また見失うと困るから、早く」
「はいはい」
 やれやれといったように手を取る透さんは変わっていないようだけれど、確かに変わった。透さんを待っている間は途方もなかった。と、思う。その記憶は今はもう薄くなってしまった。もう戻りたいとも思わないし、やり直したいとは思わない。透さんもそれは同じなんだと思う。そう思いたい。
 ふと、十年前のキスを思い出す。この十年でいちごのシロップもブルーハワイもレモンのシロップも色がついただけの同じものと知った。それでもあの日のキスはうっすらといちごの味がしたというのは覚えている。透さんは覚えているのかな。
「ねぇ、僕あとでかき氷食べたい」
「あ、俺も食べたいです。いちごの」


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