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__ ふやけたままのきみでいて(足主)

「この電車に乗ってどこまでも行きたい」
 ボックス席の向かいに座る足立さんがぽつりと呟く。見れば視線は窓の外で頬杖をついていた。独り言なのか、それとも俺に同意を求めるものなのか判断しづらい声だった。
「……この電車の終着駅は八十稲羽ですよ」
「知ってるよ」
 独り言だったらしい。当たり前じゃないか。とでもいいたいような反応。そうなんですか。と、返す声がとても小さくなって惨めな気持ちになる。この人にファンタジー的な発想があるのかとなんとなく驚いた。

 足立さんは俺の叔父さんの職場の人だ。相棒で部下らしい。今日は沖奈からの帰りの電車で偶然会った。向かいの座席を指差して座っていいですか。と尋ねたのは俺で、許可をもらった。別に混んではいなかったし、人はまばらで他に座る席はあったのだけれど、なんとなくそう言った。
 俺が席に座ってそれからはずっとお互い無言だった。俺より先に座っていたから沖奈より先のところで用があったんだろうか。聞いてみようと思ったけれど、それには少し勇気が足りなくて。気がつけば終点の八十稲羽に近づくほど人は減って、ついには俺たち以外誰もいなくなっていた。そんなときのやり取りだった。反応して、失敗したなぁと思う。
 また無言の時間が始まって、足立さんは窓の外を見ている。八十稲羽まではもう三十分はかかる。それまでこうしているままなんだろうか。嫌だなと思うけれど、どうにもまた踏み出す気になれなくて、足立さんをぼんやりと見ていた。
 電車が揺れる度に跳ねた足立さんの髪の毛が揺れる。寝癖なんだろうか。この人、あんまり身だしなみとか気にしないタイプなのかもしれない。ネクタイもよく曲がってるし。
「──何、考えてるの」
「え?」
「僕のことずーっと見てるから」
「ああ。髪が……、その。柔らかそうだなと」
「髪? 僕の?」
 頷くと足立さんはくく、と口元に手を当てて笑い、変なの。と言った。普段見たことない顔に少し驚く。
「……いけませんでしたか?」
「いけなくないけど。僕の髪、結構硬いよ」
 ほら、と頭を下げて俺に向けた。そんなことされては触らない訳にはいかなくなるだろうに。と思いながらも身体を背もたれから離して手を伸ばす。足立さんの跳ねた髪に触れえみると案外硬い。でも手触りは悪くない。そういえば白髪もない。この人って今何歳なんだろう。髪の毛を触りながらそう考える。ねぇ。と足立さんが声をあげた。
「……もう、いい?」
「えっ、あ、はい! ……すみません」
 慌ててぱっと手を離して背もたれに背中をくっつける。足立さんは照れたように触られた場所を手のひらで撫でつけた。見ていると、鮫川の猫を思い出す。思っていたより硬かったです。と伝えるとでしょ?と返される。
「だから癖ついちゃうんだよ。……でも、君のは柔らかそうだよね」
「そんなことないです」
「触っても?」
「どうぞ」
 さっきの足立さんみたいに俺も頭を下げる。するり、と足立さんの指の腹が地肌を撫でた。そういえば、こうやって髪を触られるの初めてかも。意識すると途端にくすぐったさと恥ずかしさが込み上げて、少しだけ身をよじる。
「わ、ホント。触り心地いいなぁ。寝癖とかつかないんじゃないの」
「つきますけど、ワックス使ってるので」
 くすぐったさに耐えられず頭をあげた。そうして、鞄をごそごそと漁る。確か鞄の中にワックスがあったはずだ、とかき混ぜていると指先がつるりとしたプラスチックの容器に当たる。足立さんもワックスつけたらいいかもしれない。
「あった。これです。足立さんにもやりましょうか? 髪の毛」
「え?」
「ちょっと寝癖のない足立さん見てみたくて」
「あー、うん……でもなぁ」
 鞄から引っ張り出したワックスの容器を見せると足立さんが困ったような反応を取った。はっ、と自分が図々しいことをしていることに気付かされる。迷惑だったのかも。そもそも、足立さんは大人だ。俺に合わせてくれていたなら。考えれば考えるほどに気が萎む。目の前に差し出したワックスの容器を膝の上に置いた。
「あっ、その、俺……すみません。嫌ですよね。調子に乗っちゃって……」
「ああ! ごめんごめん、いいよ。弄っても。その代わり君の髪は僕にやらせてよ」
 そうやって足立さんはへにゃりと笑った。また気を使わせたんじゃないか。と思ってきゅっと唇を結んでこくこくと頷いた。



 彼と遊んでいる間に気が付けば電車の外は赤く染まっていた。さっきもうすぐ八十稲羽に着くというアナウンスが流れていたから八十稲羽まではあと数分といったところだろう。
 彼についてはあんまり知らない。上司の甥っ子。八十神高校の二年生。友達が多いし、バイトもたくさんしてる。なんだっけ、封筒作ったり、家庭教師に病院清掃? 釣りとか家庭菜園とか虫取りも趣味だ。……あれ、僕、彼について結構知っていた。というか、彼の秘密も知っていた。堂島さんにお世話になっているから必然的にそうなってしまうのかな。でも、秘密については別だよなぁ。まぁ、そんなことはいいとして。

「どう? 別人に見えるかな」
 そう言って、彼に背を向けていた僕はくるりと、90度回ってみせた。今の僕は彼にやってもらったワックスで髪の毛のハネを押さえてもらって、ネクタイしっかり結んで、スーツの前を閉じた格好だ。彼がいいですね。と言う。そういう彼の髪はワックスであちこちハネさせている。
 ファッションショーでもしている気分だ。電車内でのマナーを片っ端から違反している。騒いで席から立ち上がって。なにをしているんだ!と怒られかねないけれど、この車両には誰もいないのだし、終点の稲羽まで退屈なんだから少しは許して欲しい。
「印象が全然違いますね。驚きました」
「でも、窮屈なんだよねー、これ。首絞まっちゃう」
「俺はどうですか?」
「制服だったら前閉めるだけで結構変わりそうだけど私服だからなぁ……髪だけで結構印象変わるけど……あ、襟ない服とか着てみたら?」
「なるほど」
 うんうん、と頷いて彼は覚えておきます。と僕に言う。本当に着てくるのかは怪しい返答だった。僕としても着てこなくても別に構わないからいいんだけどさ。
 そんなことをしていると終点の八十稲羽駅に着く。立ち上がって話していた僕らはブレーキでふらふらと十文字を踏む。お互い相手の心配をして目が合った。
「降りよっか」
「ええ」


「別人になったら、どこか行きたいですか?」
 無人の改札を通り抜けると彼がそう尋ねてきた。辺りは日が落ちつつあり、少しずつ暗くなっている。夏が忍び寄り始めた今の時期はこの時間でも暖かい。
「どうして?」
「この電車に乗ってどこまでも行きたいって言ってたから」
「ああ、あれね。なんとなくだよ。最近少し疲れててさ。稲羽ってなんもないけどみんな知り合いでしょ。だからどこでも気が抜けなくってさ……。君も疲れちゃわない?」
「俺はそんなことないです」
「ああ、そうなの」
 彼はすみませんと目線を落とす。共感できなかったことに申し訳なさを感じているらしい。
「別にいいよ。君と僕とは違うから」
「えっ、でも──」
 そう彼が言いかけた時、僕の携帯が鳴った。ごめんね。と謝って携帯の着信先を見る。堂島さんだ。なんとなく内容を察してため息をつく。
「大丈夫……ですか?」
「はは、また帰るの遅くなりそうだなぁ」
 そうやって笑ってみる。行きたくないなという気持ちしかないけれど、仕方ない。
 電話に出ると出るのが遅いと小言から始まって申し訳なさそうな声で署に戻ってきて欲しい。と告げられる。それに僕はへらへらとしょうがないですねぇとか言葉を返す。すまんすまんとしきりに言う堂島さんに少しだけ彼が重なる。
 そうして電話が切れると彼が眉間に皺を寄せていた。このまま署に?と尋ねる声は僕を心配しているようだった。
「うん。人手が足りないみたい。多分堂島さんも遅くなるかな。君は?」
「俺は家に戻ります。ご飯作らないと」
「そっか。じゃあ、またね」
「はい。また」
 手を振ると彼も真似して恥ずかしそうに手を小さく振った。彼がくるりと踵を返して遠くなっていく。つんつん、と跳ねさせた無造作な髪型が揺れる。彼、家に帰ったら菜々子ちゃんにお兄ちゃん不良になっちゃったのーとかって言われたりするのかな。それを考えると楽しい気分になってくる。
 あーあ、何も知らない君ならいいのに。そしたらもっと──もっと……なんだろう。もしものことなんて考えても仕方ないか。



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