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__ 歩いて帰る(足主)

「あめあめふれふれ、母さんが……」

「茶の間でおむかえ、うれしいな」

「ぴちぴち、ちゃぷちゃぷ、らんらんらん……」

 何処かで聞いた歌だ。タイトルとかは知らない。何かの童謡だったかな。歌はあまり得意じゃないけれど、思い出しているうちに気がつけば口ずさんでいた。
周囲を見回すが南口の改札前では俺のことなど無関心なふうで迎えを待つ人や柱に寄りかかりスマートフォンをいじる人ばかりだ。
 十七時十四分。今日はいつもより早い帰宅だ。
二月に入って少しだけ日が落ちるスピードが遅くなった。――とはいっても、この時間はまだ夕暮れを見れるほどではないし、今は雲が立ち込めていて空は見えない。おまけに電車に乗っている間に降り始めた雨はいつまで経っても降り止む様子が無かった。
雨を忌むべき対象だと思っていたのは六年くらい前のことだ。もう、雨に対してそうは思わなくなった。大好きとは言えないけど、普通になった。でも、こういう天気予報から逸れた雨とかは嫌いかもしれないな。……いや、嫌いだ。洗濯物も部屋干しにしなきゃいけないし、得することなんてあんまりない。露出した肌がつきつきする。コートの前を閉めて、手をポケットに突っ込んだ。ポケットに入っている朝開けたカイロは生ぬるい。少しだけ寒さはしのげるけど、寒いものは寒い。雨は嫌いだ。

鞄から私用のスマートフォンの場所をタップし、通話履歴の一番上を選択する。耳に宛てがった。コール音が何度も鳴って留守番電話サービスに切り替わる。
「……だめか」
 電話を切ってポケットに仕舞う。そして、周囲の人々と同じように駅の柱に寄りかかった。
……どうしようか。
 このまま帰るのも手だ。別に絶対に迎えに来て欲しいわけじゃない。帰るのに十分もかからない距離に俺たちの住むマンションはある。ただ、傘がないから嫌なだけだ。雨足は弱まるようには見えない。コートは濡れるけど仕方ない。
 意を決して鞄を頭の上に掲げる。と、ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。長いコール音のような振動。電話だ。発信者は見るまでもない。
「……もしもし? ――えっ、寝てたんですか? すみません。いや、外雨が降ってて……。あ、別に無理しなくても大丈夫ですよ。どうせ家まで十分くらいだし……え? はい。……はい。ありがとうございます」
電話は俺がお礼を言ったのが聞こえるか聞こえないかで切れた。いつもそうだから別に気にはしていない。それより、足立さんを起こしてしまったのが申し訳なかったと思う。足立さんは家での仕事だけどつい一昨日まで所謂、修羅場にいた。そのせいであんまり寝てないみたいだ。



それから十分を過ぎた頃。脳内にはぴちぴち、ちゃぷちゃぷ、らんらんらんというあの歌が頭に離れずにいた。茶の間でおむかえってその母さんは少し薄情すぎなんじゃないだろか。もしかすると違う風に覚えてたり――
「おまたせ」
なんて考えているとぱしゃぱしゃと足立さんが急ぎ足でこちらに向かってきていた。黒い傘をさして、片手には透明なビニール傘を下げている。寝起きだからか右の髪がいつもより寝癖が酷い。ついでに言えば、靴下が室内用のもこもこのやつだ。急いできてくれたんだろう。
「お仕事ごくろーさま」
「ありがとうございます。わざわざ。えっと、大丈夫ですか?」
「あー、うん。平気。寒い中歩いてきたら目が覚めたよ」
 はい。と足立さんは手に持っていたビニール傘を差し出す。それを受け取ろうとして、思い出す。
「あの、申し訳ないんですけど、その傘――」
「え? 何?」
ビニール傘を受け取って、開いてみる。ああ、やっぱりだ。傘の柄の八本のうち二つが折れてしまっている。風の強い雨の日に折ってしまったんだっけ。
「ほら、これ骨が折れてるんですよね。使えなくはないのでいいんですけど」
「面倒だし一緒に使えばいいんじゃないの。ほら、行こう」
ひとつ、あくびをして足立さんは俺のコートの袖口を掴んで引っ張っていく。慌ててビニール傘を畳んで、黒い傘の下に入った。ぐっと足立さんとの距離が縮まったことに、息を呑んだ。
……別に、同棲しているから、ソファで二人で座ってテレビ見たりとかで距離が近いことも普通にあるんだけど、それとは違う気分だ。ドキドキする。少しでも足立さんと離れようとするとはみ出した肩が雨に濡れる。だから、強制的にくっつけられるせいでこんな気持になるんだろうか。
相合い傘。そんな言葉が過る。
「あの」
「なに?」
「その……寝ぼけてます?」
「寝ぼけてない。寝足りないけど」
「……そうですか」
「どうせこういうことするのが意外とか思ってんだろ。頬赤くしちゃってさ」
「……思ってます、ね」
「やっぱりか。もういい歳だから欲望に忠実に生きようかなーとか思うようになってきたわけだよ、僕も」
 はぁ。と溜息ともつかない声が出た。何を言っているんだ、この人は。自分も慣れないことして頬を赤くしちゃっているくせに。
「なんですか、それ。三十三なのにもういい歳なんて。八十年生きてなんとかって言ってたじゃないですか。その折り返しにも来てないですよ」
「そんなこと言った? 覚えてないな」
「……もしかして、いい歳になって物忘れが……いたっ」
 足立さんはばしっと空いた手で俺の肩を叩く。こっちを見る目は調子に乗るな。そう言いたげだ。
「じゃあ、僕にどれくらい生きて欲しいの」
「……え? えっ、と。たくさん? 八十とは言わずもっと長く、ですかね」
「ふーん……髪が白くなっても平気?」
「染めたらどうです?」
「そうだねぇ、君みたいな灰色に染めてもいいかもしれない」
 白髪、気にしてるんですか。と聞くと今度は軽く頭を叩かれた。気にしているらしい。
「一度挑戦してみるのもいいんじゃないんですか? おそろいですよ」
「今のでそんな気はなくなった」
「それは残念ですね」
と言うと君が黒に染めたらいいんじゃないの。似合わなそうだけど。と返してくる。実は大学受験とかで染めてたりしたんだけど、この人は知らない。みんながすごく似合ってないと口々に言ってきた記憶があるからわざわざ言う必要もない。俺も足立さんもこの髪の色が一番だ。

「話は変わりますが、今日の夕食何か食べたいですか?」
「美味しいものならなんでもいい」
 またそれだ。何か食べたいものを聞くと美味しいものがいい。と返されることがほとんどだ。足立さんも俺も好き嫌いがないからなんでも食べられるんだけど、そう言われると困ってしまう。一緒に夕食を取れるのは週に一度くらいなのに。いや、だからこそ決められないのか。
「せめてジャンルくらいは絞ってもらえますか?」
「……ウニは?」
「回転寿司には先週行きましたよね」
「牛タン?」
「この辺には売ってないです。焼肉に行くほど今は余裕ないですし」
「……ハンバーグは?」
「まぁ、それなら。冷凍庫に作り置きがあったし、すぐに作れますね」
「じゃ、決まりだ」
「でも、ソースくらい作りましょう」
「今日は和風が良いな。しめじと大根はなかったし、スーパー寄ってこう」
「ええ」
 
ふと、視界に白いものが映った。
「……雪だ」
いつの間にか雨から雪に変わったらしい。この寒さなら当然か。ちらちらと舞い始めた雪に足立さんは鬱陶しそうな顔をする。
「うわ。やだね、こういうの地球温暖化のせい? 雪なんて都会じゃ滅多にないのに今年は回数多いなぁ」
 そう愚痴を言う足立さんは傘を持った腕をさする。足立さんは寒いのも熱いのも好きじゃない。まだ足立さんと生活を始めて、一年も満たないけど、一通り四季は経験した。足立さんはエアコンもクーラーもガンガンかけるタイプで地球環境に優しくない、一人がやっても大丈夫だろう思想の人だ。食費が厳しいのは電気代のせいだったりするんだけど、足立さんの仕事がまともに進まなくなるし仕方ない。
「寒いですか?」
「当たり前じゃん」
「なら」
 足立さんの手を取って握る。つめた。と足立さんが文句を言った。寒いと言う割に俺より手があったかい。コートのカイロが入ったポケットにそのまま繋いだ手を突っ込んでやる。やっぱり生ぬるいけど、ちょっとはマシだろう。
「ちょっと。そういうのは女の子にやってよ」
 そんなこと言うくせに足立さんは全然解こうとしない。かわいいなぁ。と思っているとニヤニヤするな。と握っている俺の手の甲に爪を立ててくる。ちょっと痛い。まぁ、そんなことしたって離すつもりはない。とりあえず、スーパーまではこのままで。
――雨も案外悪くない。



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