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__ 一八短夜の重罪(足主)


今日は比較的遅い時間になってしまった。日付が変わる一時間ちょっと前。まぁ、外で食べてきたのだからあとは風呂に入って適当にパソコンをいじるか何かして寝るくらいだ。やる事など特にはない。が、玄関に足を踏み出した途端、携帯電話のコール音が鳴り響く。初期設定の軽快な電子音だ。別に特別に変更したりはしていないが、相手はいつもの彼だろうと推測する。なんとなく予感を感じることが出来てしまうようにはなったとか彼からの不思議な電波を受信出来るようになったとかそういう事ではない。大体この時間、このタイミングは彼なのだ。
こちらからはかけるつもりなど無かった電話がなり始めたのは一年ほど前のことだ。ほぼ毎日のようにかかってくる電話はいつもいつも僕が仕事を終えて家にいる時間に掛かってくる。すごくタイミングがいい彼、瀬多総司は余程の幸運の持ち主なんだろう。この幸運連鎖がいつまで続くのやらと思う。
あれから早3年が経つ。あっという間と言えばそうだった。特に都会に戻ってからは。あの時の鳴ったら出なよ≠ニいう言葉は回り回って僕に降りかかっているらしい。拒否は出来るはずなのに電話を取ってしまっている自分には呆れてしまう。
片手にぶら下げていた近くのスーパーの袋を適当に床に放り投げる。ゴン、と買ったビールと缶詰が音を立てた。しまったなぁ。下に住む人に迷惑だったかも。このアパートは扉と両サイドの壁だけやけに厚く、天井と床は比べて薄い。時折上の階の椅子の引きずる音がよく聞こえる。大学生なのかもしれない。
靴を脱ぎながら携帯を取り出すと、やはり瀬多くんだった。通話の方にスライドし、スピーカーに切り替える。

「もしもし、瀬多くん?」
『こんばんは。足立さん。東京は梅雨入りしましたね。これから寒暖差が激しくなると思いますが、今日は一日何をして過ごしました?』
「……へぇ、梅雨入りしたんだ。今日は丸一日資料整理で外に出なかったもんだから知らなかったよ。冷房が効きすぎて寒かったね。夜は牛丼にした。ちなみに君は? 今日は何して過ごしたのかな」
僕達の会話はいつもひどく他愛もない。あってもなくても変わらないような、共犯者のくせにまるで友人と会話をしているようなものだ。相手の話に相槌を打って適当な質問をぶつける。そんな他愛もないもの。

『……今日は一日中大学でしたよ。二限から五限までだったので夜は手抜きでカップラーメンにしちゃいました。最近は味噌ラーメンが好きで……時間があったら作りたいんですけどね。俺、凝り性だから……』
うん、うんと相槌を打ちながら冷蔵庫の床に携帯を置く。スピーカーにしているのは片手が塞がらないため。床に捨て置いたスーパーのビニール袋を掴んで要冷蔵品を仕舞いながら彼の話を聞く。ビールと、炭酸飲料と、缶詰と……。わしゃわしゃと袋が音を立てているせいでほとんど内容は聞き取れなかった。ラーメンがなんとか。どうとか。
本当は僕にとってひたすらにどうでもいいことだ。冷蔵庫を閉じて考える。どうしてこんな話をするんだろうか。一年も。本当に今更だけど。
『あ、この前友人に美味しいラーメン屋さんを──足立さん?』
「……あのさ、」
『はい?』
「どうしてそんなにくだらないことを毎日毎日電話してくるの? 僕も暇じゃないんだけど」
『すみません。じゃあ、今日はもう……』
「じゃなくて、どうして僕なんかに? 僕は君のストレスの発散対象なの?」
そういえば、人や物になんでもいいから話すとストレス発散になる。鬱になりにくいのだとか、なんとか。そういうのをテレビで見たことがあった。そういう事なのか、と尋ねるとスピーカーの向かいから否定の声があがる。むしろ逆だ。という言葉にはぁ、とため息のような呆れのような声が出た。
ひんやりとした床に寝転ぶ。まったく、彼の考えることはよく分からない。今も昔も。一年ほど前だって連絡も取らず会わずほったらかしていたのに、平然と電話をして「元気でしたか?」とか会話をしてきた。今、瀬多くんは僕を思ってくれているらしい。都会でストレスを感じてないかなんて、馬鹿げている。くだらなくってすごく笑えることだ。ただ、中断して風呂に入ろうとは思わなかった。

「僕がストレス発散出来るように……って? そんなの要らないよ」
『ならどうやって発散を? ぬいぐるみに?』
「ぬいぐるみ? どうしてそうなる?」
そう言いながらベッドサイドを見る。どきりとしたが、彼は慌てて訂正に入った。
『いえ、別に。もしかしたらあの時一緒に買ったのをまだ持ってるかな……って、いや、捨ててしまっても、まぁ、いいんですけど……』
「…………うん」
曖昧な返事を返す。捨ててなんかいないが、恥ずかしかった。彼も馬鹿だけれど、僕も大概だという事実が今脳内に溢れていた。
ベッドサイドには前に彼とデートと称して映画とゲームセンターに行った時のぬいぐるみがある。耳の長いうさぎで白く、目が赤い。あまり大きくはないが、30センチくらい。一人暮らしの男のシングルのベッドに置くにはあまりに不似合いだ。
別に話しかけはしてない。してないけど、時々見て触ることは正直に言うとあった。稲羽から越す時にかなり邪魔ではあったし、やっぱり捨てようと悩んだりもした。結局決められず、引っ越す当日にカバンの中に突っ込んだ。確か、彼は色違いのものだ。なかなか取れずお互い散財してしまったことはよく覚えていた。一緒に見た映画は今度新作が出るらしい。
『……でも、気を付けた方がいいですよ。物に愚痴を吐き続けると悪霊の住処になるらしいですからね。ごめんなさい、長話してしまって。また明日電話します』
「ああ、うん。おやすみ」
『おやすみなさい』

彼の声をちゃんと聞いてから通話を切る。悪霊の住処って。と思わず笑い声が漏れたが、それよりも泣きたくなった。
彼は今何処に住んでいるんだろう。会いたいなんてなんて事だ。僕にあるまじき考えばかりが浮かんで正気じゃなかった。とりあえず、早く風呂に入らなければ。お湯じゃなくて冷水がいい。同じ都会に居るはずなのに、あの灰色といったら、まったく見かけやしないのだ。



電話が切れた。切るのはいつも足立さんの方が先。はぁっと長いため息のような長い息を吐いて、床に座りベッドに寄り掛かった。会話が終わるといつもこうだ。よく分からない気持ちに包まれる。声が聞けるのは嬉しいけれど、不快な気持ちにさせてしまっただろうことで余計に変な気分だ。でまかせなんて言わなければよかった。枕元に置いたぬいぐるみを片手で手探りで掴む。ふわふわとした黒い耳の長いうさぎのぬいぐるみは足立さんと色違いだ。「うん」とはどういうことなんだろう。もし、もしも、足立さんに女の人が居たら、誰かを部屋に呼ぶ事があったのなら、処分されてもしょうがないのだと思う。覚悟は出来ている。……はずだ。

三年前のあれは所謂恋愛ごっこというか、質の悪い遊びだった。それは理解していたはずだったけれど、それに俺は本気になって結果はご覧の有様だ。あれからというもの会っていない。今でさえ電話をほぼ毎日しているが、足立さんから来たことは一度たりとも無かったし(俺からの電話を取ってくれない時はなかったが)、いつも俺の話半分だ。
振り返れば一緒にいたいと思ったのに遠ざかるばかりだった。大学受験が終わった春休みに稲羽に帰ったが、足立さんはもういやしなかったし、住んでいる所だってわからなかった。それがどうにも悔しく、諦められなかったから電話した……の、だと思う。一回きり、声が聞ければ。元気ならそれでいい。と思っていたのに「また明日」なんてつい言ってしまったものだからずるずると一年が経った。
最近は、もしストレスが溜まったりして何かの拍子にテレビに人を入れて、俺とは別の共犯者を作るかもしれない。とか、番号を変えて勝手に何処かに行ってしまうんじゃないか。とか、なるべく話を長引かせているかもしれない足立さんの彼女と電話で話す時間や過ごす時間を減らそう。とかよからぬ事を考えては不安になって電話している。
ほとほと呆れてしまうことだが、“瀬多くん”と呼ばれることにまだ痺れてしまっていた。下の名前を呼んでくれたら僕も君を名前で呼んであげると約束したのはいつだったか。まだ呼べそうにないけれど、約束は続いているようでそれだけで嬉しかった。
正直に言えば、会いたい。でも、それは何となくはばかられた。好きだけど、好きだけど、やっぱり足立さんから電話が欲しかったし、足立さんからの行動が欲しかったというか、なんというか。
ああ、そんなことはもういい。他に電話した理由はまだいくつかあったりもするし、思う事はたくさんある。考えれば考えるほど尽きやしない。この辺にしよう。明日は一限だ。朝に弱いのは未だに治らないから早めに寝る。
スマートフォンで明日の天気を見て折り畳み傘を鞄に潜ませ、明日の服を決める。ぬいぐるみは枕元に置いて、そろりととベッドに潜り込むとシーツが少し冷たかった。仰向けになると視界は白くなる。この部屋の天井は材質とかはよく分からないが真白で少しでこぼこした壁と同じ材質のものだ。電気を消せばその白が黒に近いグレーになる。目を瞑ればそれよりも黒に近い色が見えた。
ゴトン、と上の階の住人が何かを落としたのであろうくぐもった音が空間に響く。こういう他の人が生きていると感じられるこの部屋は嫌いじゃなかった。上の人は今何をしているんだろう。なんてことを思っている内に眠気に襲われたのは言うまでもない。



薄らいだ意識の中、電子音が鳴った。目覚ましとは違う、携帯の着信の音。目を開けるのが億劫でようやく開いた片目で通話の方にスライドする。頭が重い。防水機能のこのスマートフォンは立てかけて充電するタイプだ。充電している状態なら勝手にスピーカーのモードになる。
『もしもし?』
「……ぅ、ん、?」
『……おはよう。僕だよ』
新手の詐欺か。そう言いたくなったが、名前を言えば『そうそう。足立さん』と返事が返ってきた。時計を見れば4:02。まだ眠くて当然だった。
「……まだ、四時ですよ」
『ちょっと気になって。……君は今何処にいる?』
「……家にいます」
『知ってるよ、それは』
スピーカー越しに少し苛立った声が聞こえる。長話になるのかもしれないと少し待って欲しいと声を掛け、ベッドから抜け出し、携帯を掴んで洗面所へ向かう。裸足ではフローリングは冷たく、半袖の寝間着は少しだけ肌寒い。昨日見た予報では一日雨の予定だった。
足立さんは俺が顔を洗うまで何も喋らなかった。

『……もう一度聞くけど、一体何処に住んでるの、君』
「しらないんですか。警察舐めないでって言ったのに」
『…………』
「足立さん?」
ピッ、と通話終了の音が鳴る。気に障ったのだろう。そして、またすぐに携帯が鳴り出した。
「はい」
『ごめん。はっきり言ってムカついた』
「すみません……それで?」
『今日中に僕の家を探し当てておいでよ』
「はい?」
『鍵は開けておく。じゃあね』
「あの、ヒントとかは……あ、っ、もう……!」
また数分前に聞いた音。通話終了の音だ。身勝手な人だな。と思う反面なんだか嬉しかった。眠気なんてそんなもの、吹き飛んでいた。




22:54。あと少しで日付が変わる時間だ。電話は何度か来ていたが、知らないふりをした。彼が間際に言った“ヒント”はくれてやるつもりもなかった。警察の僕が彼の住む家を知らないのだから、来るはずがない。来れるはずがない。ないはず、なのだけれど、10分ほど前にこんな雨の降る夜中に頼むなという顔をした配達員から頼んでもいないMサイズのハーフ&ハーフのピザが二枚が届いた。ピザの耳にチーズが詰まっている照り焼きチキンが半分とマルゲリータ。パリパリの耳にシーフードがこれでもかと乗ったやつとパイナップルのだ。4980円。随分と欲張りなメニューで馬鹿みたいに高い。こんなことなら肉が食べたい。三切れ目を食べながら時計をぼんやり見る。
23:58。手に持っていたシーフードピザが無くなった。指先が油で少しべたべたする。まだ半分も食べていなかったが、腹一杯だ。ふう、と息を吐くとそのすぐ後に、小さめのドアを叩く音が聞こえた。直感は当たることになる。


「こんばんは」
「遅かったね。時間ぎりぎりだ」
「でも、間に合った。おじゃましても?」
「どうぞ」
彼が僕に一礼をして靴を脱ぐ。頭を下げた瀬多くんの髪はさらさらと重力に従った。目は合わない。手ぶらでやってきた彼は寝間着のような服を着ていた。僕に導かれるままに着いてきて、何も無いフローリングの座らせる。とりあえず、客だが座布団は元々この家にはなかったのだ。きっちり正座をする彼は律儀であったが、きょろきょろと部屋を見回しているので行儀としてはなんとも言えない。
冷蔵庫から昨日買ってきた炭酸飲料を取り出し、彼の前に置いた。コップはあるが、ひとつしかない。僕が彼の前に座ると一呼吸置いて彼が口を開けた。
「来ないと思ってがっかりしていたところ? それとも元々諦めていた?」
「随分と生意気な口を利く。別に、全然?」
「それは残念。わざとこうしたんだけどな」
彼はテーブルの上の端に移動させたピザを見た。こうしたとは、ピザの話なのだろうか。少しがっかりしているような彼につられてピザに視線を映すと、金属のぶつかる音が聞こえ、また正面に向き直った。瀬多くんが鍵を摘んでいた。ポケットから取り出したんだろうか。かわいいとは言い難いようなストラップがついている。それがきりり、とテーブルの板と金属が擦るように、上に差し出される。
「302号室。……俺の部屋の鍵です」
「僕が402号室なの知ってた?」
「実はかなり前から。あ……! ストーカーとかじゃないです。本当に。上の階に足立さんが住んでいたのは偶然で……鉢合わせしたら話そうと思っていて……」
「あー……、で、全然会わなかったわけね」
こくり、と彼が頷いた。こんなに近いところに居ながら、運が悪いというかある意味運が良かったというか。
「ピザ頼んだのも君?」
「ええ、まだ残ってますよね」
「残ってる。二つも頼みやがって。食べきれなかったよ」
僕の不満もよそに彼がテーブルの端に移動してピザの箱を開ける。ほんのりと白い湯気が彼を覆った。同時に匂いが僕の鼻腔をもくすぐる。腹一杯と思ったはずなんだけど。
「昼から何も食べてなくてお腹ぺこぺこで……すみません」
彼がマルゲリータピザの耳をつまむ。申し訳なさそうにしてはいるが、頼んだのは目の前にいる瀬多くんだ。食べる気で来たんだろう。「ちょっと冷めてる」と不満を漏らしながら、あっという間に一切れが消える。汚れた指では触れないよう、手のひらを使ってはちみつレモンと書かれたペットボトルの炭酸飲料を開ける。一口飲んで次は照り焼きチキンに移る。僕も思わずもう一切れに手を伸ばしていた。


「誰かと食べると美味しいですね」
そう瀬多くんが言った。あれからなんだかんだと僕は二切れを食べ、彼はそれ以上かなり食べた。それでもあと四切れ残っている。
「それはさぁ、別に僕じゃなくてもいいんだろ?」
「機嫌を損ねないで下さいよ。罪を共有した相手と夜における重罪を犯しているなんて最高じゃないですか?」
「うまいこと言った気になってるな? 三点だね」
「五点満点中ですか?」
「百点満点中だよ」
「まだ伸びしろがあるってことですね。いいことです」
にこにこと笑いを浮かべる彼は何が楽しいのかくすくすと笑った。指先と唇がピザのせいでやけにてらてらと光っている。
「……もっと早く会いに行けばよかったな」
そう呟く彼は声を漏らして欠伸をする。あの電話から寝てない僕も移って欠伸が出た。何処かで知った欠伸が移る相手とはなんとやらという何の役にも立たない知識が脳を巡る。ふと、彼の名前を呼んで、あからさまに動揺するその目を見ながら「明日は暇なの」と尋ねたのはきっと気の迷いか眠気か何かだ。



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