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__ とめどなく緩やかに(足主)

前回からの続き


「足立さん!」
叫んで、そのまま抱きついた。ほとんど頭突きに近くて、そのまま足立さんの腹部に頭を押し付ける。煙草の匂いがつんとした。耳元に携帯を当てた足立さんは驚いた声を小さく上げた。変装のつもりかふざけたサングラスを掛けていた。
ひそひそ、ざわざわ、と周囲にいる人達がざわめくのが聞こえてくるけれど、そんなことはどうでも良かった。男が男に抱きついてたとかSNSにでも書かれてしまうんだろうか。したいならすればいい。そんな事より、俺は足立さんとの再会が重要なのだ。三月の最後に会ったあの日以来、足立さんは俺に触れてはくれなかったから。
くしゃり、と俺の頭を一撫でしてゆっくりと足立さんは俺を剥がす。俺はこうやって足立さんに頭を撫でられるのが好きだった。触れられたつむじのあたりが発熱したかのように熱い。
「君って本当にすごいよ。執念かなぁ。変装までしたのに」
「変装って、この程度じゃ分かりますよ。それと、全然似合いません」
やっぱり?と真っ黒なサングラスを外す。足立さんと目線がぴったり合った。へらり、と微笑まれて慌てて目を逸らすと鼻で笑われる。俺は全然余裕が無いのに、ずるい人だ。

「適当なとこ入ろうか? 流石に人の目が痛いや」
その言葉にこくりと頷くと足立さんはすたすたと歩き出す。少し頬が赤い。どこへ行くのか分からないので見失わないように後ろについて行く。
猫背で、靴の踵をすり減らすような歩き方。ひよひよとした癖っ毛が歩く度に揺れる。三年も時間が空いたのに、足立さんも携帯を変えていなかった。二つ折りの黒い携帯。何も変わっていない。そんな些細な事なのにぼたぼたと涙が出た。決壊したと言ってもいいと思う。サングラスを外して微笑まれた時から泣きそうだったのだ。ごしごしと袖で拭きながら追いかけると突然立ち止まった足立さんの背中にぶつかった。

「いたっ……って、泣いてるの?」
「……ごめんなさい。すぐ、泣き止みますから」
そう言うと嘘付け。とハンカチを渡される。ヨレヨレとしたそれはポケットに入れっぱなしのものなのかもしれない。一言謝って、涙を拭く。ハンカチはあっという間に涙を吸って湿り気を帯びたが、申し訳なさより先に洗って返しますと謝ってまた会う口実を作ろうと考える自分が浅ましく感じた。


足立さんが立ち止まったのはチェーン店のカフェだった。使ったことは無いけれど、名前はよく聞く。店内はオレンジ色のような薄暗い照明で落ち着いた雰囲気があった。夜なのに人はそれなりにいる。それぞれパソコンだったりスマートフォンを弄って周りの事など気にするふうには思わなかった。足立さんはこういうところをよく使うのだろうか。それともただ目に付いただけなんだろうか。三年の時間が怖くて一つでも足立さんの事が知りたくなる。こんなこと言ったら笑われるんだろうか。昔だったら笑うんだろうけど。
「先に座ってて。飲み物、何がいい?」
「……あ、えっと、ミルクティーがいいです」
そう答えると「見栄張らないんだね」と足立さんが言った。俺はコーヒーが苦手なのをまだ覚えていたらしい。前に叔父さんに淹れてもらったコーヒーにミルクと砂糖を大量に入れているのを見られて子供だとにやにやと笑われた。俺もちゃんと覚えている。
「夕食は?遠慮しなくていいよ」
「……じゃあ、トマトのパスタで」
「へぇ、トマト好き?」
「いえ、別に……」
目に入ったものを咄嗟に言っただけなのに、反応されて少し戸惑う。もっとよく考えれば良かったかもしれない。と少し後悔しながら席を探す。窓際を選ぶ。ただ目に入ったからだ。深い意味は無い。

足立さんと共にやってきたトマトと茄子の入ったパスタの味はよくわからなかった。ただぐるぐるとフォークで巻いて口に運ぶ。涙はとっくに止まっていたけれど、ハンカチは俺の膝の上に乗せた。
足立さんが頼んだのはサンドイッチだった。それとアイスコーヒー。真似をして「サンドイッチ好きなんですか」尋ねると「別に目に付いただけ」と俺と同じ回答が得られてほっとした。
「でも、君の作ったもの以上のものはまだ食べことないや。あれから舌が肥えちゃったみたいでさぁ」
「……あの、」
「はは、君さ、表情が豊かになったよね。泣いたり喜んだり。誰にでもでも分かるようになっちゃったんじゃない? 表情筋が緩んだのかな。僕のいない三年の間どんな生活してた? 」
するすると出る足立さんの言葉に詰まる。どんな?と尋ねるのは野暮な気がした。生きた心地がしない。確かにそう言ったけれど、大学の生活は普通にしていたし、バイトもしていた。友人と呼べる人も幾らか居る。そういう事を俺の口から言わせたかったのかもしれない。昔足立さんの口から出た別に俺じゃなくても、そんな言葉が思い浮かぶ。膝の上のハンカチを握り締める。
「まぁいいよ。さっさと僕のことは忘れるといい。それこそ、悪夢を見た時みたいに」
「無理です、そんなの」
「無理じゃないさ。君はすぐに忘れるよ」
「……足立さんは、いいんですか」
「……君は、幸せになるべきだ。現になりかけてるだろ?」
足立さんは目線を下げる。ぐるぐるとストローでアイスコーヒーをかき混ぜ続ける。態度からよくない。そう言っているような雰囲気を掴み取る。
「俺が、あなたといることは幸せじゃないんですか?」
「幸せじゃないでしょ、普通に。女の子と付き合って、結婚して、子供を作る。それが一番いいことだ」
カラカラと氷がぶつかり合う音を立て、ストローを回しながら足立さんが言う。なんでそういう事ばっかり言うのだろう、この人は。
「世間体の話はしていません。あなたは俺のこと全然忘れてないじゃないですか。俺がコーヒー甘くないと飲めないのとか、料理の味覚えてるのとかはなんだっていうんですか? 俺だってあなたのこと忘れてない。忘れたくなかった! それでいいじゃないですか。共犯者なんでしょう? 俺達は」
言い切って、少し声が大きかったかもしれない。と辺りを見渡す。誰も気にしてはいなかった。
「忘れないでくださいよ。ほら、俺を監視しなくちゃ」
その言葉を聞いて足立さんは何かを言いかけて口を噤んだ。共犯者とか監視とかそんな言葉を使うのはずるいと俺でも思う。気まずくなって窓の外を見る。都会の光が目に痛い。
「……意地悪言ったよ。なんか、君が楽しそうでムカついた」
「ひどいです。俺折角会えたのに今度こそ二度と会えなくなるかと」
「本当は二度と電話をかけるつもりなんてなかったんだけどね」
かけて良かったけど。照れくさそうに足立さんが続けた言葉は純粋に嬉しかった。

それからはあっという間に時間は過ぎた。三年空いた時間を埋めるようにお互いのことを話した。俺は大学のこと。足立さんはまだ警察をしていてそのこととか他にも色々と。俺が叔父さんや菜々子が稲羽から引っ越したことを聞くと足立さんはほっとしたようだった。先日また霧が深くなったらしいから。それと、昔の話もした。途中で話している間に片方が違う話を挟んだりと会話が途切れる事はなかった。だから、俺達としては盛り上がったのだと思う。

「電車、まだあるの」
「あります」
そう言うと足立さんからため息が零れた。本当の事を言っただけなのに呆れられてむっとしていると眉間に触れられる。シワが寄っていたらしい。少し擽ったい。
「こういう時は嘘でも無くなったって言うもんだよ」
「なるほど。じゃあ、無いということにしてください。泊めてもらったお礼は身体で?」
「……なんでそうなるんだろう」
「えっ、足立さん好きじゃないですか、そういうの」
「誤解じゃない?」
仕切り直しをするように足立さんは咳払いをする。俺もきちんと座り直した。
「電車無いんだろ? うちにおいで」
「すみません。お邪魔します」
「そんなに緊張しなくても取って食ったりはしないよ」
「あ、じゃあ、相変わらず部屋は汚いんですか?」
「君失礼だなぁ」
そう怒った足立さんに「やっぱり汚いじゃないですか!」と言い返すのはもう少し先の話だ。




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