AMRAK | ナノ





紅葉狩/伍




愛していたのです。
愛していただけなのです。
ただそれだけだったのです。

それすら罪だとおっしゃるのですか。

「ええ、それは利己です」

利己を貫いた結果です。
因果応報なのです。



【紅葉狩、伍】


「こうして紅葉は命を落としました。紅葉が真っ赤に染まる季節。以来水無瀬は鬼女が去った地、鬼無里と呼ばれるようになったのです」
「……」

女の言葉に、俺は一瞬だけ呼吸を止めた。鬼無里――それは俺が生まれ育った里だからだ。
心臓を冷えた手のひらに鷲掴みにされるような不安感に、息を呑む。すると能面のような無機質な表情を携えた女が、俺の様子に僅かに笑んだ気がした。
得体の知れない恐怖が背筋を這い上がる。
一体この女は何者なのか。何故こんな話をするのか。俺を誰と勘違いしているのか。
まさか、あれを知っているわけではあるまい。
冷え切った指先を叱責するようにきつく握り締めた。

「雨が」
「!」
「やみましたね」
「あ……ああ」

途端に変わる話題に俺は何故か身構える。同時にこれでここから解放されるのだと悟った。捻った足の痛みも落ち着いてきている。まるで何かに急かされるように、ぞんざいな礼を口にして俺は立ち上がった。――出口は、確かこの障子を明け右に進んだところだ。早く帰ろう。
いつの間にか立ち上がり、俺の背後に立っていた女に僅かに肩が震えた。女は薄い唇の間からお歯黒を見せ、不気味な笑みを浮かべてこう続けた。


「道中お気をつけて。業は、廻るものでございます」





一体なんだったのだろう。
ようやく獣道を抜け出したところで、大きく息を吐いた。辺りは沈みかかった日に照らされ、真っ赤だ。視界を赤一色に染める夕焼けは、無意識にあの女の話を思い出させた。
そうしていつの間にか足の痛みも忘れて、山の麓まで降りてきた。ここまで来れば、家はすぐそこだ。僅かに乱れた呼吸を整えるようにゆっくりと深呼吸を繰り返した。
――同時だった。

「圭太」
「!」

聞き慣れた声が耳朶を撫でる。俺は心臓が凍り付く思いがした。深く息を吸い、呼吸を止める。振り返った先には、見慣れた柄の小袖を纏う若い女がいた。
――呉乃。あの女、やはり呉乃と。
俺は一歩、後ずさる。
呉乃とはかつて恋仲であった。しかしそれは昔のことである。今の俺には伴侶がいる。呉乃はそれを機に村を出ていったと聞いた。だというのに、女の執念とは甚だ醜い。眉を寄せ呉乃を睨むと、彼女は僅かに痛みに耐えるように笑んだ。

「圭太、私、圭太を許すわ」

一歩、彼女はこちらに歩み寄った。どこか覚束ない足取りが、無意識に不安を掻き立てた。

「やや子も、やっぱりダメだったの」
「!」
「ごめんなさい」

二歩、三歩、四歩。

「でも、私頑張ったのよ、頑張った、のよ」

五歩、六歩、七歩。

「あ、ああ、あい、していたの、ほんと、ほんとなの」

八、九、十。

「愛していただけなのに」

距離が無くなる。
呉乃はその細い肢体をすり寄せてきた。そして枯れ枝のような腕を俺の背中に回した。驚くほど強い力だった。


「あなたが私を裏切るから」


背中に冷たさが突き立てられる。それはスッと背中から胸を貫通した。次いで焼け付くような激痛が全身を巡る。目を見開き、呉乃を見た。

「くれ……の、お前……」
「私の腹を殴って、余所の女を選んだあなたを許すにはこれしかなかったの」
「……!」
「やや子は流れてしまった。私たちより先に極楽にいるわ。だから、行きましょう。私たちも。謝りましょう。そして」

背中に突き刺さった何かが抜かれる。出刃包丁だ。真っ赤に染まった出刃包丁は、再度確認するように俺の腹に突き刺された。肉を裂き、内臓を抉り、大量の赤が吹き出される。体を支配する激痛に耐えきれずに倒れ込む。

「かぞくで、しあわせに、なるのよ」

口内いっぱいに広がる生臭さと鉄の匂いに咳き込んだ。喉の奥からせり上がってきた熱を舌で押し出す。血の塊が地面に散らばった。眼球だけを動かし、未だに目の前に立っている呉乃を見やる。彼女をこちらを見ては薄気味悪い笑みを浮かべ、再び刃を構えた。

「しあわせに――」

呉乃が、己の喉に出刃包丁を突き刺した。視界が赤一色に染め上げられる。血管から噴き出した血は、辺りに紅葉のように舞った。
すぐ目の前に落下してきた彼女の顔に、俺は絶命していく心音を耳にした。

辺りは、真っ赤だ。




紅葉狩/了

20120224