「こうして呉葉は己の身代わりを作り出し、都へと父と母を連れ逃げ出したのです」 女はそこで一度話を切った。 俺はただ黙って、御伽噺でも聞くような心地でそれを聞くだけだった。 少なくとも、俺の知り合いに「呉葉」と名乗る女はいない。やはりこの女は俺を誰かと勘違いしているのだろう。 行灯の灯りに揺れる目玉から顔をそらし、そっと息を吐いた。 すると女は立ち上がり、次いで僅かに開いた障子の隙間に手を伸ばす。何事か、と身構えると、廊下をパタパタと走っていく軽い足音が響いた。 「覗いてないであちらへおゆき、今は、お客様が来ていらっしゃるのだから」 女は足音に向けてそう言い放つ。子供の笑い声のようなものが辺りに響き渡った。 【紅葉狩、弐】 都とは華やかな場所であった。綺麗な織物を皆が纏っている。会津では見たこともない華美な建物があちらこちらに建っている。賑やかな場所だ。まるで毎日が祭りのようだった。 都に来て数日経ち、母の提案により、私もそれに相応しい名へと変えた。本当は「呉葉」のままでも良かった。しかし母が新しく与えてくれた「紅葉」という名前も、読み方によっては「くれは」になる。何よりもこちらの方が私に相応しいと、両親が喜んだ。だから前の名は偽物に渡してやった。 新しい地で、新しい名で、倖せに暮らしていく。私の願いだった。 そんな中で、ほんの好奇心から、以前から弾いていた琴を教えることも始めた。そうしたら、偶然なのか。 偉いお方がお見えになった。 その方は私を嫁に貰ってくれるのだそうだ。あの卑下た男とは違う。父も母もたいそう喜んだ。この方なら、私を幸せにしてくれるのだという。 母も嬉しいそうだ。 父も嬉しいそうだ。 なら、私も嬉しいのだろう。 契りを結んで子をなして、気付けば私は裕福だ。父も母も、豊かな暮らしを約束された。父は私を褒めた。母は私に感謝した。二人は私を愛している。私も二人を愛している。いや、今は二人だけではない、経基さま、私の伴侶。新しい家族。私たちを倖せにする手助けをしてくださった方。願いは叶った。倖せだった。 ――そう思っていた。 しかしどうにも納得がいかぬ。御台所が我が身を厭うていた。我が子を授かった時も、ひどく不快な顔をされていた。 いけない。 これでは私も我が子も、父や母までもが殺されるやもしれない。 生まれる前にややこが殺されてしまうかもしれない。 私はこの倖せを崩す外的要因を見つけてしまった。 私は強い子。 賢い子。 守らねばならぬ。 この倖せを。 彼らを。 家族を。 私が守るのだ。 そのためだったのだ。 だというのに、あの僧は何なのだろう。 比叡山から来たという僧は、我が術を見ては呪詛だ何だと、そしった。 それを受けたあの方は、私を戸隠に追放したのだ。 何故、何故、何故。 私を愛しているのではないのか。私は家族ではないのか。私よりあの女が大切か。家族を守ろうとした私より、貴方は――。 戸隠の水無瀬は、紅葉が綺麗であった。 私はそこで子を生んだ。あの方がいつかきっと呼び戻してくださると信じ、「経若丸」と名付けた。私とあの方を繋ぐ子。私が守るべき命。 無事に生むことができた。 村の人々もたいそうよくしてくれる。 母や父の言うとおり、私が賢くなったからだろう。 しかし都に親を置いてきてしまったのだ。両親を、残してきてしまった。 これはいけない。 迎えに行かねばなるまい。 あそこの暮らしはたいそう楽しいものであった。 我が子はそれを知らぬのだ。 そうだ。 だから母も父も都にいるのだ。 家族皆が楽しい思いをしないというのはおかしい。 我が子にもそれを教える為に、都で待っているのだ。 親が私の帰りを待っている。 都に行かねばなるまい。 しかし戸隠から都は遠い。 金がいるのだ。 金が必要だ。 だが今のままでは足らぬ。 稼がねば、ならぬ。 私は近隣の村を、山賊を率いて襲い始めた。 20120211 |