「私に彼女のことを語る資格はございません」 青白い顔をした女は淡々と言葉を紡いだ。 外からは未だにせわしない雨足の音が聞こえる。 運が悪かった。 長屋を出るときに、母の言う通り番傘を持ってくれば良かったのだ。 山菜を取りに向かったところ、鉛色をしたぶ厚い雲は帰り際に泣き出した。最初こそ構わず帰ろうと獣道を進んでいたが、運悪くぬかるんだ地面に足を取られ捻ってしまった。負傷した足を引きずりながら、この山を下りることは難しい。近くに休めるところはないか、と困惑していたところ、この女に出会った。 女は俺を見るなり二言三言察したように零し、この平屋へ招いた。果たしてこのような山奥に平屋などあっただろうか。疑問を抱きながらも、これ幸いとこの場所にたどり着いたのだ。 通された部屋には何もない。 ただ中心に行灯があるだけだ。行灯の赤い光に、障子が不気味に影を映す。俺が呼吸をするたびに揺れる影は、何故か次第に肥大していくようだった。 雨粒を吸い込んだ袖口が、ぺたりと肌に張り付く。背骨に絡み付く外気の冷たさに、ザワリと鳥肌が立った。 「彼女も存じておりました」 「貴方がここに来ること」 「貴方が名前を呼んだこと」 女の言葉を理解することはできなかった。 彼女とは誰だろう。首を傾げ、俺は眉をひそめる。この女は誰かと俺を勘違いしているのだろうか。女は言葉を続けた。 「あの雨の日」 「私でよろしければ、お話しましょう」 「雨が止む頃に」 「貴方もまた帰ることができるでしょう」 運が悪かったのだ。 雨が降っていた。 足を負傷した。 帰ることができない。 俺は女の話を聞くことにした。 「彼女は、あなたを許さない」 それが俺の業らしい。 20120205 |