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 雨音に混じって、姉の甲高い怒気に満ちた声が響いていた。
 ばたばたと忙しない音を立てる窓ガラスの向こう側で、細かな水滴が細く尾を引きながらその軌跡で視界をけぶらせている。
 冷たくなった爪先にスリッパを引っ掛け、ソファーにだらしなく背を預けながら音を聞いていた。透明な窓ガラスを雨のしっとりとした冷たい空気がすり抜けて部屋の中を満たす。
 もう、どれほどの時間言い合いをしているのだろう。半年前に結婚した姉夫婦のもとへと引き渡されて以来、この家の中で細く長く伸びた緊張の糸が緩んだことはない。
 いつも彼女は苛立っている。義兄――姉にとっての旦那が、例えば帰りが遅くなることを連絡しなかったとか、仕事帰りに頼んだ買い物を忘れたとか、食事中に、口を開けてものを咀嚼する姿が嫌だとか、食器の洗い方が雑だとか。とにかく、彼の些細な行動ひとつひとつを選定しては、自分にはそぐわない部分を見つけ、そこを糾弾した。それが、私に飛び火することもあった。
 どうして、こんなに毎日苛立っているのに結婚したのだろう。何が良くて結婚したのだろう。そもそもよく3年も付き合ったものだ。一度だけ、それを姉に尋ねたことがある。……思い返すと、姉の苛立ちが私に飛び火したとき、そう彼女を責めたのだ。
 彼女は泣きながら「あの人がパパとママが事故死して落ち込んでいた私を救ってくれたのよ」と言っていたのだったか。そして「妹のあんたは何の支えにもならなかった」とも付け足されていた気がする。それを言われて、ショックだったというよりは、素直に驚いた。妹の私に無関心だったこの人でも、私にそんな期待をしていたのか。
いつもいつも私たちの間を埋める音は習慣である挨拶と、業務的な言葉の往来のみだった。あの人に至っては、機嫌の悪いときは「おはよう」すら返してくれなかった。
 父と母がいた頃も、今も、それは変わらない。
 私たち姉妹の間には、何か、目には見えない決定的な溝がある。きっかけなんて、覚えてない。もしかしたら私が悪いのかもしれない。姉の逆恨みかもしれない。或いは人間として、そもそもその性質が相容れないのかもしれない。……考えても仕方のないことだ。
 ただ、今は、姉の結婚のほんの一週間ほど前に事故で死んだ両親に代わりに、姉が私を庇護する立場にいるというだけだ。
 
 バタン、とリビングのドアが弾けるような音を立てて開く。目を赤くした姉がそこにはいた。白い眼球に、赤い罅が入り、うっすらとその表面を濡れた膜が覆っている。言葉で負かされたのだろうか。いや、義兄は、そういう子供じみたことはしないのだ。いつも、いつも、力無く笑って謝るだけだ。穏やかに、静かに、か細く。そんな彼のいつ切れてしまうともわからない穏やかな一縷の糸が、2人の同居を許しているようにも思えた。
 姉は私に一瞥をくれた後、テーブルの上にあるテレビのチャンネルを横柄な指使いで拾い上げた。そして私がただ眺めているだけだった番組を、ぶつりぶつりと切り替えていく。別に、テレビなんて見ていたわけではなかったから、なんとも思わない。
 だが、今にも泣きだしてしまいそうな衝動を堪え、平生を装うふりのつもりなのか、テレビのチャンネルを回す彼女の姿は滑稽で見入ってしまった。
 「なに」と、抑揚に欠けた低めの声が掛けられる。それに無言で首を振りながら、ソファーから立ち上がる。彼女に付き合うつもりはあまりなかった。高校の課題もあるし、部屋に戻ろう。頭の中で、万が一姉に何か言われた時、それをかわすための科白をそっと用意して、スリッパを引きずるようにして歩きながら廊下へ出た。
 廊下では、義兄が困ったような顔をして立っていた。しかし彼は敢えて苛立っている姉には声をかけない。彼女の苛立ちは時間で消える。そして姉は自ら彼と自分を苛立ちで切り離した時間に怯え、彼に自ら許しを請いに行く。彼はそれをよくわかっているのだ。
 毎日が、そんなわかりきったことの繰り返しだ。私はそれをよく知っている。そしてそれが私の日常なのだと知っている。
 リビングのドアを閉め、薄暗く湿った廊下をぺたぺたと歩き、階段を上り、自室に向かう。
 さっきテレビで見た天気予報では、明日も雨だった。




 両親が死んだのは、こんな雨の日だった。
 その日は、姉の結婚式の1週間前だった。
 そのころの彼女は、今の義兄と同棲をしていた。籍はもう、入れていたと思う。私は両親と暮らしていて、だからといって姉たちと私たちに何か問題があるわけでもなかった。
 私が両親の事故の連絡を受けたのは、確か、5時間目の授業の途中だ。灰色の分厚い雨雲に覆われた、薄暗い時間帯だった。細かい雨滴が細く長く白く地面に向かって一斉に伸びていて、地面からほのかに白い霧が上っていた。ざあざあとざらついた音が鼓膜を撫でていた。窓に近づくと、ひんやりとした雨の冷たさが肌を突いてくる。海の底にいるみたいだ。
 そんな日に、両親は事故で死んだ。買い物の帰りで、雨でタイヤがスリップし、そのまま横転したらしい。打ち所が悪く、即死だったそうだ。
 連絡を受けて、担任の先生の車で病院まで向かった。フロントガラスに叩きつけられる雨粒の群れが、向かう先にある両親の死体を覆い隠しているようだった。
 先生の助手席に座って、定期的に雨滴の群れを除けるワイパーの動きを追う。隣で先生が私を励ます気にもなっているのか、よく、校歌やjポップに並ぶような言葉を吐いている。綺麗でよく聞く馴染のある言葉、耳に馴染み過ぎて鬱陶しい言葉、姉が大好きな、心を休めるために吐き出される言葉。だが、聞きすぎて耐性ができてしまった私には、それに動く心がない。日常の中で、どんどん分厚くなっていく心の表面によって、目の前で蠢く現実に関心が擦り減っていく。

 霊安室に並ぶ両親の遺体を見た時も、そうだ。
 綺麗に並べられた2人分の体が、冷たく沈黙している。目の前にあるのは、確かに私の両親だったはずのものなのに、私には、精巧にできたマネキンを並べているようにしか見えなかった。薄暗い電灯に照らされて、ほの白く浮かんだシーツの輪郭が、ぼうっと光って見えた。シーツに刻まれた細かい皺や、僅かに布の端から覗いた白い爪の形に、なんだか白黒の映画を見ているような気分にさえなる。どんどん現実が意識から剥離していく。
 死んでいるのだ。
 遠くから雨の音が聞こえてくる気がした。
 外傷はほとんどないと聞いた。ただ、傷を負った場所が悪かっただけらしい。たったそれだけだ。内臓も、手足も、顔も、血管も、心臓も、全部そのままこの体の中に綺麗に残っている。例えば手足に付いた泥を落としても、血に塗れた内臓を綺麗に洗っても、そしてそれらを元通りの入りに戻しても、父も母も目を開けることはない。話すこともない。その冷たく硬直した頬が、穏やかな笑みを浮かべることも、私を叱るために強張ることも、もう、二度とない。
 そしてその事実は、途方もなく、現実味を欠いていた。
 今、死んだのではなく、始めからいなかったのでは? 今、目の前で横たわる肉塊は果たして本当に私の親だろうか。見つめるほどに死相が濃く浮き上がるその顔に、ひどい離人感に襲われた。
 後から霊安室へと駆けこんできた姉が、両親の遺体を前に泣き叫ぶ。
 その声は、雨音のようにひどく煩わしかった。

 両親の葬儀は、姉が喪主となって執り行われた。とはいっても、すっかり憔悴しきっていた彼女にそんな役目が果たせるわけもなく、義兄がほとんどその仕事を行っていた気がする。親族のみを呼んだ、小さな葬儀だった。黒い葬列が、点々と式場に吸い込まれていく。その様を茫洋と眺めながら、ただ、時間が過ぎるのを待っていた。
 住職の読経の音、線香の匂い、葬列の足音、出棺間際の、棺に縋りつく姉の叫び声、火葬後の真っ白な両親の骨、塩の辛さと、人の声。
 全てが彩度を失って、ゆっくりと、コマ送りの映画のように網膜に映し出されては流れていく。

「ご両親が突然亡くなられてきっと辛いと思うが、たくさんの人がきっと支えてくれる。だから強く生きるんだぞ」

 担任の先生が、確か、そんなことを言っていた。
 そんなことは、私よりむしろ、姉に言ってやって欲しい。私は平気だ。彼女のように、弱くはない。理性的にものを見ている。決して感情に飲まれて取り乱したりしない。大丈夫。母にも、父にも、言われてきたことだ。「あなたは強い子ね」「しっかりしてるね」「お前がいれば安心だ」だから、大丈夫。

「あなたひとりじゃ生きていけないでしょう」

 姉の言葉だった。だから私たちと暮らしましょう。親戚の方に迷惑をかけるわけにもいかないし、手続きをすれば学費や生活費はもらえるかもしれないけど、あなたひとりじゃ生きていけないでしょう。
差し出された手は、突き刺すように私に向けられていた。今でもよく、覚えている。