私はきっと、人一倍卑屈な人間なのだろう。 中学生や高校生が「勉強が社会に出て何の役に立つんだ」と愚痴を零すような、そんな現状の不満に対し、現実的な屁理屈を唱えて駄々を捏ねるような節がある。 そんな自覚があった。 私たちは役に立たないことを学んでる。 古典の係り結びの法則だ、円周率、物理の法則、とにかく数値化してもろもろを求める公式の数々。 そんなもの、試験以外で活用した試しがない。 だというのに、学校では肝心なことは教えてくれないのだ。 壁にぶつかった時の対処、挫折したときの持ち直し方、上手く他人と折り合いをつける方法、人の受け入れ方、人の愛し方、私の愛し方。 ……なんて、後者は口にしたら恥ずかしくなるようなことばかりだ。 だが、ならば、私たちが何かを拗らせるのは仕方ないのだと思う。 価値のないことばかり詰め込まれた頭では、中身のない人生しか送れるはずがない。 他人も自分も失敗して当たり前で、間違えて当たり前で、生きていたってどうしようもなくて、でも生きていて、結局、「そういうふうに」できてるんだ。 ニヒリズムを掲げて、失敗も間違いも惰性も、自分の中で片付けてきた。 容姿が優れた子が、それに見合う恋人を持てるのは当たり前だ。 私のような地味な人間には、友人がいるだけでもありがたい。 社会性の高い子が常に誰かのそばにいられるのは当たり前だ。 私のような臆病者は、社会の一員として受け入れてもられるだけで倖せだ。 世界はとても平等だと思う。 個人に見合った状況しか与えない。 それ以上のものもそれ以下のものも与えない。 最大多数の最大幸福、なんて、まさにその通りだ。 切り捨てて初めて「上」ができる。 私は、切り捨てられる側の人間だ。 しかしそんなこと、もちろん親や友人に言ったことなんてない。 形にしない。 そういう感情は、形にしないことに価値があるんだ。 だから私はいつだって「良い子」だった。 友人にとっても、親にとっても、良い子だった。 聞き分けの良い子。 優しい子。 面倒臭くない子。 でも、でも知ってる。 私だけが知ってる。 私は、そんなことばかり考える私は、すごく嫌な人間なんだって。 ▽ 詰まらないことだとは思う。 でも、嫌なことが積み重なってた。 右手に食い込むズシリとしたレジ袋の重みに、引きずるように帰路を辿る。 四肢に絡みつく倦怠感に、重い吐息が口から這い出てくる。 ふと視線をあげると、向かいから走ってくる小さな影が、ぱちぱちと跳ねるような笑い声をあげている。 小学生も下校の時刻なのだろう。 太陽は傾いている。 首を傾げて、嫌な笑みを浮かべてこちらを見ている。 そんな気がした。 赤みの強い日差しが路面を反射している。 瞳孔に突き刺さる色に、道ですれ違う他人の話し声が反響した。 体が怠い。 頭が重い。 何もかも嫌だ。 夕飯の材料が入ったレジ袋を持ち直す。 ――例えば、父の失業、過剰な飲酒、毎日の母との喧嘩、友人に最近彼氏ができた、それで、少しだけ1人になりがちだ。 ……別に1人は嫌いじゃない。ただ、彼氏ができた途端にそればかりの友人を見てると、私が何か、代用の利くモノみたいで嫌だった。 ただ、毎日が厭だった。 家も、学校も、何もかも重くて厭だ。 考えたくない、 すれ違う人とか、子供の笑い声とか、話声とか、全部が妙に耳障りだった。 耳から入り込んだ「厭」が頭の中をぐるぐる廻る。 気を抜けば厭な現実がすぐに鎌首をもたげる。 もちろんそんなことを考えようと考えまいと、何がどうなるわけではない。 わかっている。 荷物を持ちなおそうと、一度立ち止まっただけだった。 ――その瞬間、少しだけ眩暈がした。 指にどんどん食い込んでくる重みに、引き千切れそうだ。 帰ると、またあの厭な家が待ってる。 母の機嫌を取らなければ。 これ以上悪いことにならないように、母の好きなものを作ろう。 父の好きなものも。 作れば、お酒ではなくご飯を食べてくれるはずだ。 昨日はそれで喧嘩をさせなくてすんだ。 今日も。今日も。 私が頑張ればきっと大丈夫だ。 頑張らないと。 もっと。 もっと。 もっと頑張らないと。 私が。 ――「大丈夫?」 「!」 不意に耳元に降ってきた声に肩が強張る。 反射的に息が止まる。 それが自分に向けられたものであることは、声との距離でわかった。 ……地面が近い。 指先から重みが消えている。 そこで初めて、自分が道でしゃがみこんでいることに気付いた。 アスファルトに投げ出されたレジ袋から、ジャガイモが顔を出していた。 「具合、悪い? 君、お隣さんの御嬢さんだよね?」 「え……」 「ああ、えっと、隣の家のって言っても、今年から俺、大学生で、そこに下宿させてもらってるんだけどね」 「……」 「それ持つよ。俺もちょうど帰りだから」 頭がいまいち状況について行かなかった。 年は、私と同じか、私より上か。 物腰の柔らかい青年だった。 ……近所付き合いなんて、ほとんどしないから気付かなかった。 今年から下宿ということは、もう4か月前には隣人であったのか。 隣の家には、確か、フリーのカメラマンの男性が住んでいた気がする。 その人が数か月前に事故で奥さんを亡くしたことは聞いていた。 しかし、いつの間にか新しい住人を受け入れていたことには気づかなかった。 呆然としている私を意に介さず、一方的に話を進める青年は私の荷物をひと通り腕に抱えた。 「あ、もしかして救急車、とか呼んだ方が良い?」 「はっ?」 「歩ける? こういう状況ってあまり出くわさないから、俺が車乗ってればよかったんだけどさ」 「気にしないでください。体も平気です」 「顔色良くないけど?」 「……」 「目蓋、真っ赤だよ。寝不足?」 「!」 その言葉に、ビクリと身体が震えた。 日差しのせいだ。 そんなわけない。 途端に急に恥ずかしくなった。 こみ上げてくる嫌悪感に唇を噛む。 視線を合わせないように荷物を奪い返した。 「あ、ちょっと」 親切で声をかけてくれたのに、酷い身の振り方だとわかっている。 しかしどうしても耐えきれなかった。 私は頑張っていて、我慢をしていて、それは他人なんかに気取られたくない。 それをわかってほしい人はちゃんといる。 お母さん。 お父さん。 アキ。 なんでわかってくれないんだ。 寂しいって。 頑張ってるんだって。 気付いてよ。 我慢してるんだ。 わかってよ。 頑張ってるんだ。 私が頑張ってるから、あなたたち、そんな好き勝手できるんでしょう。 私が我慢してるから、そんな自由に振る舞えるんでしょう。 考えてよ。 頑張ってるんだ。 私だって頑張ってるんだ。 気付いて。 労わって。 もういいよって言って。 もっと大人になって。 気持ちを考えて。 私だって。 私が。 私のことだって、心配してよ。 気付いてほしい。 あんなすれ違っただけの人間じゃなくて、ずっと一緒にいる人に気付いてほしい。 それだけなんだ。 苛立ちと得体のしれない孤独感が、じわじわと頭の中を焦がしていった。 20140413 |