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不愉快だ。

壁1枚隔てて響く子供の声に、テレビの音量を1つ上げた。外は快晴だ。中途半端に閉めたカーテンからは、煩わしいほど眩しい白い陽光が差し込む。風に揺れるカーテンに合わせて、形を変える陽光は時折網膜に突き刺さった。その痛みにも似た感覚を忌々しく避けるように体をずらす。ベッドを背もたれにし、薄暗い部屋の中で茫洋とテレビの画面を乾いた眼球で舐め上げた。

父方の家系が無駄に有名な財閥だった。
大学も金さえ払っていれば適当に卒業できる。出席を友人に任せて、適当にレポートを提出すればいい。そんなくだらない、無意味な毎日だった。
そう理由を付けて家に閉じこもることは、珍しくなかった。現にそれは今日で3日目だ。けだるさを感じる体を引きずりながら、傍らにある缶ビールを手に取る。しかし予想に反して重みのないそれに、つい舌打ちをした。
――自堕落的な毎日だ。
誰の目から見ても、自覚もあるほど。それでも何もせずとも生活に困ることはなかった。放っておいても親が勝手に講座に金を入れてくれる。何もすることはない。ただ金をもらってだらしなく時間を浪費する毎日。不幸もないし苦労もない。倖せかと聞かれれば、何もしなくたって生活ができるのだ、倖せだろう。ただ、空っぽだ。詰まらない。くだらない。テレビのアナウンサーが殺人事件の解説をしている。他人の死の目でなぞりながら、その不幸を鼻で笑った。

(シアワセで悪かったな)

現実は下らない。価値が見いだせない。自分はまるで、ただの肉塊だ。
自嘲を零しては缶を放り投げた。カランと音が響き、ゴミ箱からそれた缶はフローリングを転がる。同時に携帯が鳴り響いた。友人からだ。また詰まらない説教だろう。財布と携帯をポケットに押し込み、家を出た。
俺の世界は、友人とこの狭い箱の中で成り立ってしまう。





「来たな」
「何だよ」
「何だよじゃねえよ、人がせっかく家の中で苔むす勢いで過ごしてるお前を呼んでやったんだぞ?」
「余計なお世話だ。それに、俺はコンビニで酒買ったらすぐ帰るから」
「あーはいはい。そのくらい予想はしてたよ」

わざとらしく大きく溜め息をついてみせた友人を、一瞥して歩き出す。幸いコンビニはすぐそこだ。さっさと買って帰ってしまおう。
足早に道を進んでいく。憎たらしいほど冴え渡る青空になんだか気後れした。それから逃れるようにコンビニの自動ドアを抜ける。店員の「いらっしゃいませ」というやたらと甲高い耳障りな挨拶が耳を突いた。

「なあ、つまみは何がいい?」
「来る気か、てめえ」

ふざけんな、と言いながら振り向こうとしたところで、勢い良く何かにぶつかった。小さな悲鳴が響き、次いで落下音が断続的に響く。どうやら品だしあたりしようとしていた店員にぶつかってしまったらしい。辺りに散らばる缶の数々に、一瞬だけ眉をひそめた。

「すみません、申し訳ありません、私が不注意なばかりに」
「……いや、君、大丈夫」
「はい、すみません」
「何やってんだよ」

床に散らばる缶を集める店員につられて、しゃがみこむ。そして手伝う真似をするかのように缶を拾った。……缶は酎ハイや缶ビールだ。炭酸抜けただろうな。そんなことを思いながら、何気なしに店員を見る。バイトだろう。まだ若いその容姿に、特に何を思うわけでもなく拾った缶を渡した。

「炭酸、抜けただろうな」
「え、あ……はい、大丈夫です。責任持って私が買い取りますので」
「ふうん」

苦笑を浮かべる女性に、僅かだか罪悪感がよぎる。少なくとも自分にも多少は非があるのに、飲むかどうかもわからない酒を買うなんて災難だろう。彼女が籠に入れた缶ビールを見て、逡巡した後に、3つだけ缶ビールをそこから抜き取った。

「あの」
「もともとこれ買うつもりだったから」
「!」
「どうせまた買うし、1日くらい炭酸暴発したヤツでも構わないよ」

……なんて、格好付けて買ったはいいが、やはりずいぶんとまずかった。



翌日は、前日のリベンジも込めて今度こそ美味い酒を買おうと再びコンビニに向かった。相変わらず空は快晴で、子供の声は煩わしくて、テレビでは見知らぬ他人が事故で死んだだの殺されただのと流している。詰まらない毎日。感慨の持てない毎日。自己嫌悪するほど、立派でもない世界。

「いらっしゃいませ」
「……昨日の」
「はい、ちゃんと取っておきました」
「!」

笑いながら、彼女はビールを3本差し出した。果たして店員が客に贔屓じみたことをして良いのだろうか。つい眉をひそめると、彼女は昨日の侘びだと眉を下げた。

「怒られたりしないのか」
「秘密でお願いします」
「……」

おどけたように言った彼女に、小さく笑った。そして踵を返し、コンビニの自動ドアを抜ける。
その時に、コンビニのすぐそばのガードレールに花束が供えられていた。
――昨日はあんなものあっただろうか。

それから家に帰って、いつものようにベッドにもたれながらテレビを点けた。ニュースは相変わらず興味のない政治やスキャンダルばかりだ。いたずらにチャンネルを回していくと、昨夜に事故があったというニュースが流れていた。意外にも、この近くだ。何でも飲酒運転をしていた男性によりコンビニの店員が亡くなったらしい。コンビニの店員が。「亡くなったのは」というお決まりの科白と共に、死んだ女性の写真が画面に広がる。写真に息を呑んだ。

――ついさっき見たばかりの、顔だった。

ふと、右手の指先にあるはずの感覚が抜け落ちる。口に運ぼうと、右手に持っていた缶がいつの間にか消えていた。買ったはずのモノが、ない。
さっき会った女性は。このニュースは。死んだ。事故。買ったモノは。彼女は。

――不愉快だ。

壁1枚隔てて響く子供の声に、テレビの音量を1つ上げた。外は快晴だ。中途半端に閉めたカーテンからは、煩わしいほど眩しい白い陽光が差し込む。風に揺れるカーテンに合わせて、形を変える陽光は時折網膜に突き刺さった。その痛みにも似た感覚を忌々しく避けるように体をずらす。ベッドを背もたれにし、薄暗い部屋の中で茫洋とテレビの画面を乾いた眼球で舐め上げた。

(ビックリするくらい……)

何とも、思わないものなんだな。

知らない他人が死のうが生きようが、何も思わない。ニュースで流れたって、次の日には忘れている。他人の死は忘れてる。人間なんてそんなものだろう。知らない他人には、残酷なほど無関心だ。

だって俺には関係ない。
関係ないけど。
今だけは、少しだけ寂しいのかもしれない。


「これでいいよな……」




見知らぬ他人の冥福を祈るだなんて、偽善は安っぽいジョークだろう。
上空にある空は不気味なほど晴れ渡っていた。