吹雪く日に視界が悪くなるのは当然のことだった。名前も顔も知らない誰かが今日もこの土地に訪ねてきたことは喜ばしいが、今日に限って挑戦しに来た相手は空を仰ぐ素振りさえみせずに掴みかかってくるかのような勢いで俺と視線を合わせ問うてきた。これは相当鍛えてきたのだなあと相手の気迫から伝わってくる。
「あれ、あの人いないんですか」
さっきまでのいきり立った様子も瞬時に消えたのかと思えば、彼はよく知りもしない表情をするのでなにも読みとることができない。ただ天の邪鬼なだけなのかそれとも性悪かははかり知ることができなかった。
「いつもこんなところにひとりきりなんですか」
「ひとりじゃないけど」
「え、じゃあ誰か居るんですか」
いないよ、とだけ簡単に答えさあどうするのか、バトルをしにきた訳でないなら帰れと視線を投げかけた。雲は厚く空を覆いなにも通しはしないだろう半透明な灰色は重く暗かった。山々からはどこからかは特定できそうにないさえずりが聞こえ耳が心地良い。それでも空気は凍るように冷たく指はかじかむのだ。
「聞いてます?」
「ねえ、ゴールド。帰った方がいいよ」
「ええー!今日こそは勝とうと思って気合い入れてきたのに!ここまで登ってくんのに労力どれだけ使ってると思ってるんですか」
「ゴールドは雨の音を聞いたことがある?」
突出した投げかけに瞳を剥き出しにするような目をこちらに向けてきたもんだから心底俺は驚いた。
「ありますよ。当然ですよ。レッドさんはまさかないなんて言いませんよね」
「あるよ」
「もしかして傷薬が切れたとかなら今からちゃっちゃと買ってきてくれても構いませんよ。俺はいつまでも待ちますし。そもそもレッドさんのその格好をどうにかしてください」
みているこっちが寒いんですよ、と顔をしかめた彼はその場に座り込んでしまった。ゴールドこそ雪の上に直に座るなどという失態を犯していながらてんで気づいていないところが彼らしいので少し笑ってしまった。
「からかってんだったら俺帰りますよ」
ため息を今にもつきそうだ。もちろんバトルはしたい。だけれど今日はやつが来る。空を見上げれば雨の音がした。しとりしとりという音が聞こえてきそうな大らかでどこか粘り気のあるそれは耳が被いたくなるほど嫌だった。
「ほら山の天気は変わりやすいんだから。とりあえずは休戦。早く下に降りた方がいいよ」
しぶしぶ重い腰をあげたかと思えば、今度こそ負けませんからね、と彼は言い残し去っていった。彼がいなくなった後はとにかく耳を被って山小屋に戻った。もちろん足取りは覚束なく端からみればおかしな人間に違いなかった。なぜ今になって雨が降るのか。こういうときは決まってこの空を呪いたくなる。
「あーあ」
まあ正直仕方がないなあと思う。雨が降れば自然と雪は溶けるが外気が低いために氷のような雪が地面にへばりつき地面はやたらときらめきつるつるとしたものができあがる。当然転ぶ。それはもうすごい勢いで派手に転ぶのだ。いくら当人が気をつけたとしても関係はほぼない。お構いなしにこの地面は牙をむく。
「お腹空くじゃんか、」
小屋に着いたはいいが、食料も底をついた頃だった。りんごにかぶりつきとりあえずは腹ごしらえだ。自炊も滅多にしないから、大概自分で作るとなると悲惨なできになると言っておこう。いつもはあいつが作ってくれるのだ。食料だってありったけ持ってきてくれるし、寒いだろうと防寒具だってたんまりだ。
「ねえ、くると思う?」
ボールにはなしかけてはみるが返答は当たり前だがない。腰をかけるものは椅子くらいしかなく(しかも固い木だ)仕方がないから小屋の隅に肩を預けて天井を見上げて耳を澄ませる。
全部全部一人じゃできないし、ここで一人というのもなかなか寂しいのだ。特に雨の日はあいつは訪ねてはこない。自分だってこんな日に雪山に登ろうだなどとばかげたことは考えもしない。あいつも雨の日ばかりは危険だと承知しているからだ。
それだから俺は雨も雨音も嫌いだ。せめてもで自分の心臓の音をよく聞く。
生きているのかいないのか、生死の確認をしなければ一体自分は今どうしているのかとか、本当に生きているのかとかそれさえ気づけないほど脆い存在となる。
来てはくれないだろうか。僕をひとりにしないで欲しいんだ。
「おいこら」
がたんと扉の開く音がした。雨は吹雪に変わったらしく隙間からびゅおおと雪が入り込みやつの足下はさらに白く染まる。
「おい、死んでんの?」
さみいだのなんだののぼやきと共に手と手をこすりあわせてやつは現れた。ちなみに俺は一回洞窟で滑って軽く死にかけたんだぞ、ほら立て飯だとさらに一言。続けて僕の手を引っ張り体ごと攫った。
それからなにかを思いついたかのように、ただいまと言ってのけ、僕はといえばやつの心音に耳を傾けたのだった。
心臓ふたつ
---------
いろいろ好き勝手にやっちゃってなんだかなあという。ただいまっていい言葉だなあと思います。ちなみに緑赤←金を一応目指しましたが余りに金が男らしくて打ってて自分でびっくりしてしまった。(100902)