(水戸部と紫原)


はて、あそこでうずくまっている人は一体誰だろうか。
絵を描いているようで、ブランコのちいさな柵の中に入り、土を突っつき回している。ぱさり、とどこかで見た藤色が顔を隠しているが、やっぱりどこかで見た人だ。

「うぅん、やっぱ似ないや」

近づいてみると、次第にその人がとても大きな体をしているのがわかった。ひどい勢いで射し込んでくる日射しに自身を投げ出して、多分彼ぐらい大きさのある日陰なら猫の一匹二匹は入れるだろう。

「もーちょい髪の毛少ない方がマサちんみたいに……誰? あ、誠凛のひとだ」

もしかして覚えていてくれたのか、その通りなので軽く頷くと、名前を訊かれた。まああまり出張った役割ではなかったからしょうがない、俺のことなんか眼中になかったんだろう。きっとジャージで誠凛だとわかったんだ。彼の隣に同じようにうずくまると、俺は地面に棒切れで名前を書いた。水戸部凛之助。

「あらぁ、難しい漢字書くね」

一応高校生なんだよなと思いながら、漢字の上にふりがなを振る。みとべりんのすけ。分かりにくいのか、仮名をじっと見つめていた紫原は、ふと「ねー」俺を呼んだ。学生団体専用だというここのスポーツ施設には、そばに幼稚園があるからか敷地内に公園がある。周りに人はほとんどいないから、きっと呼ばれたのは俺だろう。

「とべちん、でいい?」

一応年上なんだよな俺。こんな気持ち悪い程元気な太陽で得する人なんざ、ここで遊ぶ子供たち位なんだろうなあと風に揺れるブランコを見て、それから紫原を見た。うん、子供。

『いいよ』
「いいよ……って、喋んないんだね。まあいいけど」

地面に返答を書く。それを少し不思議そうに見た彼は、ポケットからキャラメルを出し口に含むとまた落書きを再開したようだった。外国の絵本のような、デフォルメされた人間が四人と、二足歩行の動物が描かれている。腕の太さから、どうやら霊長類のようだ。

『これ サル?』
「それ? うーん、ゴリラ、ってことにしておいて」
『今描いてるのは?』
「マサち……監督。うちのチームみんな大きいから、マサちんは小さいの」

成る程、彼のなかで描き分けは出来ているようだ。よく見ると、あの女性監督らしき人物には睫毛があったし、それぞれ身長も髪の長さも違い見ていて微笑ましい。それにしてもはじっこのゴリラは一体何を意味しているのだろうか。
気にはなったが、黙々と棒を動かし続ける紫原の目がとても真剣だったので、訊くことはやめておいた。

『うまいね』
「そお? 室ちんとかけっこういいかんじじゃない?」
『うん 特徴が掴めてると思う』
「ほくろ描いたらぐっと似たんだよね」

室ちんとは氷室辰也のことかな、とぼそぼそと喋る紫原を隣で観察しているとき、急に休憩を返上して外周を続けようとしていたことを思い出した。無意識に時計を探し振り向くと、寄贈品らしき低いポールの上に時計は張り付けてあった。簡素な円盤の上にこれまた簡素な数字だけが並んでいたが、昼前だというのに短針は6を指していた。

「どしたの?」
『虫追い払ってた』
「マジ? 俺虫きらい」

きっと壊れているんだ。休憩の終わりにはチャイムか何か鳴るはずだから、きっとわかるだろう。
ところで何故俺は他校の後輩と地面に落書きして遊んでいるんだろうか。

「そーそー、俺虫きらいなんだよね」

重そうな瞼をゆっくり閉じて、紫原はまた瞳を開いた。宝石のように透き通ったアメジストの色が、涙の膜を通して映った。

「峰ちん言ってたんだけど、セミってずっと土のなかにいて、地上に来たら一週間で死ぬんでしょ? 何のためにって思ってて」

彼は、四人と一匹になった落書きのすぐそばにセミを描き始めた。特徴を捉えていて、すぐセミだとわかった。舌ったらずな話し方をしてはいるけど、その割に聞き取りやすい声で彼は続ける。

「でもさー、やらなきゃなんないことがあって出てくる訳でしょ」
『子孫をのこす?』
「それそれ。弱っちくても、それだけはやって死んでくんでしょ。前まで意味わかんねぇとか思ってたけど、なんか高校入ってわかるようになってきた」

からセミだけは好き、と紫原はもうひとつキャラメルを出して、食べた。ミルクの甘い匂いがする。彼はきっとセミだけじゃなくて、その隣で笑っているチームメイトのことも好きなんだろうなあ、と思った。おもむろにまた棒切れをとった俺を、紫原はじっと見つめる。

「……何描いてんの」
『紫原』
「…………うまくね?」
『ありがとう』

鼻にかかるぐらい長い前髪と高い背、半眼さえ描ければそれはもう紫原だ。興味津々に俺の手元を見ていた彼は、ふと鳴り出した携帯ぼやぼやと返事をしていたが、急に何かを思い出した顔になって俺を振り向く。とうに描き終わっていた。

「俺ととべちん呼ばれてんだって。もう休憩終わって……うわっ! びっくりしたーこんなところに目なんて描いたっけ俺」

紫原の足元には、人間の瞳が片方だけ描かれてあった。絵がうまいのか、睫毛まできっちりと描かれていて、きりっとつっている。でもまあ、それよりも今は本館に戻るのが先だ。

「じゃあ行くか遠いからほんとめんどくさいけど。一緒にいこー、とべちん……えっと、先輩」

口元だけをねじ曲げて、紫原はにへ、と笑った。学年は覚えていたのに何故あだ名だったのかと思ったけど、そういえば彼のチームメイトは先輩も全員あだ名だったことを思い出す。歩き出した彼に駆け寄ると、また続けた。

「誠凜のセンターは木吉が強いって言われてるけどさ、あんたももうちょっとヒョーカされてもいいんじゃね? けっこうそう思ってる人多いっぽいから」

完全に足の止まってしまった俺を見て、また笑った紫原は「行かないと俺も怒られるんですけど」と言った。なんでこんなとき、言葉で感情を伝えられないのかもどかしい。ねーねー、とTシャツの裾を引っ張る彼を見ていた俺は、最初の目的である外周なんて、もうひとかけらも覚えていなかった。















菫色 すみれいろ
#7058a3

「俺と彼の語った指先」

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