(小金井と黄瀬)


体育館でいちばん涼しいところを、贅沢にも俺ともう一人で占拠している。二年生と一年生である俺らが何でこんなことできるかっていうと、単に体育館を出たほうがもっと涼しいからだ。三年生とかはだいたいそっちに行く。

「あぢー……」
「蒸してんスね……」
「よく脱水症とかおきないでやってるよなぁ、あいつら」
「あっ黒子っち倒れた」

半ば死体のような黒子を心配する黄瀬の横顔は、全開になった体育館のドアから吹く風に煽られてきらきら金髪を飛ばした。女子の好きそうな雑誌に載ってた、きれいな蜂蜜色の瞳が空のアクエリを指で弾いて呟く。コガセンパイ喉渇きません?

「あの黒子っち見てたらなんか飲みたくなって」
「うん、わかるよそれ」
「俺一緒に買ってきますよ? 何がいいスか?」

パシりになることに慣れているのか、何の気なしに言ってのける彼の顔がぐんと遠くなる。誠凛にはそういうのあんまり無いわ、と言うと、黄瀬はくりっと目をむいて、いいなあ、と笑った。何か飲みたいと言っても、すぐに商品名が思いつく訳ではない。彼の手元のせいで、俺にはスポーツドリンクという選択肢しかなくなってしまったのである。

「あー……ポカリで。あるかな、あるよな」
「無かったらアクエリでいいッスか?」
「おうよ」

了解ッス、と軽く敬礼を残して黄瀬は廊下へ走っていった。
自分も財布を持ってこなくてはとふと立ち上がると、同じ方向に向かって全力疾走する青峰が目の前を掠める。何だと思い馬鹿でかい背中を見ると、そこから足と手がつきだしているのが見えた。きっと誰かを運んでいるんだ。確か桐皇とゲームをしているのはウチ……って行ってしまったものを今考えても意味ないか。





黄瀬が戻ってくる頃には、すでに小休憩が始まっていた。ミニゲームをやっていたグループ以外の選手は自主トレに近いものをしていたので、休憩と言われてもそこまで選手の動きが変わるわけではなかった。俺と黄瀬はそれにあたる。水戸部は外周だったかな、と扉の外を覗いたけれど、特に人影は見当たらない。確か公園と自販機はこちらがわではなく、向かいの建物にあったはずだ。

「遅くなりました!」
「おっおつかれ! 遠かったしょ」
「微妙に不便ッスね、ここの設計……っつか、新鮮」
「何が?」

そりゃもちろん遅れてもどつかれないことッスよ! と拳をつきだして大袈裟に喜びを表現した黄瀬は、ミネラルウォーターの蓋を開けた後何かを思い出したように廊下を振り向いた。どうやら青峰とすれ違ったらしく、俺からお金を受け取った後あの人も丸くなりましたよねと言って、たぷり、ボトルを回す。どうやらクセのようだ。

「中学ん時は荒れてましたからねー……ま、みんなそうだったけど」

まるで他人事のように目を細め、顎の下の汗を拭う彼の声音は、こんなことを思うのも変だけど本当に人間的だった。長めの前髪が揺れるのも、撮影の為に剃ったという脛も、すべてはそこにいた。写真や液晶の中にいるのとは訳が違う。天才には必ず陰りがあるというけれど、こういうことなのか。

「これ聞いてますかね? 黒子っちいなくなってから尚更殺伐としちゃって」

こいつは賢い人なんだ、と俺は思った。面倒事を押し付けられた訳ではあるが、可哀想だとは思わなかった。目の端の睫毛が伏せられるのは、多分嫌だったからではない。ただ仲間たちの絆の修復を望んでいたからだ。

「みんなあんまり馴れ合うのしないタイプじゃないッスか。自分で言うのもなんだけど、ぎすぎすするの抑えるの、全部俺の役目だったんス」

もし彼の役目が彼以外の誰かに移りそうにでもなれば、彼は本気で仲裁の場所を譲らなかっただろうな、と思った。第三者の、しかも終わったことに対しての意見だから、なんとも無意味なことではあるけれど。ホント大変だったんス、と言って黄瀬は一口ペットボトルの水を飲んで、俺に向き直った。雑誌には載ってなかった、青臭い高校一年生の顔があった。

「ハハハ、要らないことくっ喋ってスンマセン……ところでポカリとアクエリの並んでる自販機ってシュールじゃないッスか? 俺写メってきたんスけど」
「黄瀬はえらいな」
「え?」
「うん、とくべつ黄瀬がえらい」
「……コガセンパイ?」

水銀灯の光をぴかぴかと反射する頭に俺は手を突っ込む。見た目通り柔らかいそれは、多くのフラッシュに晒されて傷んでいるように思えたけれど、当然違った。座っている彼の横から髪に手を入れるには、俺はどうしても膝立ちになる必要がある。
挙動不審になりながら撫でられ続ける黄瀬を、俺は少しだけ遠いところの存在としていたのかもしれない。くしゃり、俺の手から細い金が逃げるたび、彼が顔に当てたタオルの下から苦笑が漏れた。

「……なんなんスかこれ!」
「背の高い奴は撫でられ慣れてないから、こういうのに弱いらしーって聞いたけど、どう?」
「あー、でも高校来てからやられるようにはなりました」
「笠松さんとかやりそうなイメージ」
「あっは、そんな甘いもんじゃねッスよあの人は。撫でられるより叩かれるほうが多いッス」

調子にのってうりうりかき混ぜてみる。いつも目の前に立ちふさがってくる大きな体躯が、今は背中を少し曲げ萎れているように思えた。黄瀬はというとフェイスタオルに顔を埋めたままで、もしかしたら嗚咽が漏れてくるかな、と勘ぐったけど、別にそんなことはなかった。

「……コガセンパイは優しいんスね」
「え? 俺はお前を誉めただけだけど?」
「本当ッスよ。…………黒子っちのこと、よろしくお願いします」

あの人も周り見えなくなるタイプですから心配で、なんて言われても俺にはどうしようもない。なぜなら俺が今いちばん心配なのは、紛れもなく黄瀬なのだから。自分のしたいことをやっているのにも関わらず、知らず知らずのうちに膿の溜まってしまう黄瀬なのだから。
本心を告げようとしたけれど、目の前の男はワンオンワンやりませんか? と無垢な問いを投げかけてきた。多分、海常の主将はこいつの性格を判断した上で、敢えて野放しにしているんだ。自分のことに自分で気付かないように。彼を重荷から少しでも守るために。

「……やっぱ、お前らすごいな」
「えっ何スかもっかい言ってく……もしかしてワンオンワン嫌ッスか?」
「いーや、なんでもねーよ。コート空いてるうちに行こうぜ!」
「やったー! 了解ッス!」

きっと、俺の足が地面と離れたのではないんだ。ただ単に、黄瀬の細っこい背中に真っ白な羽を付けたかった、付いていると思い込んでいただけだったんだと思う。地上でフローリングの床を蹴るゴールドは、廊下の奥の方を見て、それから俺を呼んだ。黄瀬は、本当に俺の近くにいた。
















蒲公英色 たんぽぽいろ
#ffd900

「俺と彼のやわらかいところ」
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