君を自転車の後ろに乗せて
じっとりした茹だるような暑さは、残暑特有のものだと知っていても顔をしかめずにはいられない。知らぬ間に眉間に皺が寄っていたようで高尾の指がそれを突っついた。そういう高尾こそ、熱気にふらつきながら水分をむさぼっているというのに。

「なにこれ息するのもつらいってどゆこと……」

彼はいつもふざけたように曲げている眉をだらりと下げて、ソーダのボトルから唇を離した。へにゃとか音がするぐらいだらしのない顔がこちらを振り向いたら、すぐに目の前の光景にはしゃぐ。

「あっ見て真ちゃんアスファルト、陽炎やばい陽炎」
「陽泉のPGでも呼んでくるか?」
「緑間さんそれカゲロウちゃうミラージュや」

夏休みに入ってすぐの部活は気味が悪いぐらい遅く終わる。今日は終業式があって学校自体午前中で終わったので、やることもない高尾はどこかをぶらつこうと俺を誘ってきた。俺は宿題をしようと思っていたから断ろうとしたのだが、こいつがなあ頼むって真ちゃぁんだとか言うから仕方なく出てきてやったに過ぎない。
めらめらと湯気でも立ちのぼりそうな緩い上り坂。ここをすぎれば公園はすぐそこなので、高尾はおもむろにチャリアカーに足を掛けた。荷台のほうも大概蒸していて、汁粉の冷たさが染みた。




最近、こいつの様子がおかしい。
話をしても何だか上の空だし、部には支障はないのだけれど(なので俺は黙っていた)、クラスやチームの前では明るく振る舞う手前、俺と二人きりになるとたまに脱け殻のようになってしまうのだ。
無言でペダルをこぐ彼は舌を出して呼吸する。短く切るような息に、しかめた眉間に、俺が耐えられるはずもなく。

「高尾」
「へ、なに」
「何か、あったのか」
「えっ真ちゃん心配してくれてんの? 大丈夫大丈夫こんぐらいの暑さじゃあ和成君倒れないよ」
「馬鹿者そんなことでは」
「俺は丈夫だよ、真ちゃんが思ってるよりも」

無理にぎゅっと瞑った目尻だとか、それが汗に濡れている様だとか、こいつを隅から隅まで見ては、そのたび痛々しい何かで包まれているようにしか見えなくて思わず左手首を掴んだ。細い。皆の前で見るよりも、ずっと。いつもは好奇心いっぱいに忙しなく動く瞳が驚きのあまり真ん丸になっているが気にしないことにした。もうこいつの意向など知るものか。

「ちょ、なにすんの」「代われ」
「え!?」
「俺が直々に代わってやると言っている」

一人荷台に揚げられた高尾は運転席の俺を気にしておろおろしている。元はといえば信号でじゃんけんするというルールだったはずなのだ、下僕が板についてきたということなのだろうか。馬鹿か。

「黙って俺についてくればいい話なのだよ」

そう、その泣きそうな顔が駄目だ。自分はなんともないですよ、を装うその笑い顔。

「真ちゃん、ありがとう」

心臓の音がどんどん加速する。額に伝った汗を無言で拭った高尾は、申し訳なさそうに瞳を閉じた。





     ***





今日ばかりはと家に宿泊の電話を入れる。東の空が色づき始める頃に、目的地に着いた。途中から起きた彼も漸く俺のしたいことに気がついたらしく、コンビニで勝手に購入してきたビニール袋と高尾和成高校一年生がリヤカーの真ん中に陣取っている。
じゃり、地面と車輪が細かな音をたてた。眼下に広がる光景に、高尾は俺を茶化す。

「真ちゃんもなかなかロマンチックなことするねェ」
「馬鹿尾が」
「マダオみたいに言われたっていいもん! でも」

久々に来たかな、海。
そっと囁いた彼の横顔は、汐の薫りにさらわれてしまいそうなほど儚い。「っしゃあ! もうここまで来たら花火やるっきゃないっしょ真ちゃん!」

コンビニの袋をひっつかんだ高尾は、颯爽とリアカー出てを階段をかけ降りる。靴に砂入っただとかうるさい下僕に水を汲んでくるようバケツ押しつけて、俺は蝋燭に火をつけた。あいつが帰ってくる前に、先端に火薬をかざす。勢い良く弾けとんだ火花に、彼はにたにたしながら靴下を脱いでいた。自主練帰りの鞄は万能だ。タオルや着替えは全て詰めてある。

「怪我をするぞ」
「大丈夫、靴はくから」

俺達の目の前だけが、周りの光の全てを集めたように閃光を放つ。
みるみるうちに赤から黄、水色から青、紫へと姿を変えて、海の表面に反射した。俺の手前だからだろうか、彼は申し訳程度に手持ちの箒花火を振り回している。どれぐらい時間が経ったのかも分からなかった。ただ、彼のはにかむような笑い顔は、彼にとっての海のように久々に見たと思った。誰もいない夜の浜辺で、高尾の顔の輪郭を花火の緑色がなぞっている。


ねえ真ちゃん、俺ってそんなにばれやすいのかな。当たり前だ馬鹿。なんて。


しゅう、と光が尻すぼみになる。駆け寄ってきた彼の手には燃え尽きた手持ち花火が何本も握られていて、それは放り込まれたバケツのなかで小さく鳴いた。

「真ちゃーん! もしかして花火使いきっちゃった?」
「まだ線香花火ならあるが」
「おっやろやろ〜」

線香花火を束から一本掬う。細く、すぐに切れてしまいそうなそれは、高尾には全然似合わない。ちりちり火薬の燃える音が足元から聞こえてくる。無言を保つには良い物だったらしいが、彼の火の玉は最盛期であっけなく落ちてしまった。
砂の上に落下して尚陽気に弾けていた花火の残骸と、高尾の姿が重なる。

「ちくしょーなんで落ちんだよう」
「これは集中力の勝負だからな、今のお前には……無理なのだよ」

俺の言葉に力なく笑う高尾は、ひどく現実味を帯びていた。

「へへ、やっぱり緑間にはわかっちゃう、かな」
「当たり前だ。どれだけ側にいると思ってる」
「どれだけって真ちゃん……それデレなの?」


はらり、とかいう擬音がよく似合った。

「ごめんね緑間。俺、もう隣に居る資格なんてないよ」

一粒一粒、丁寧に流れる涙を、彼は拭おうともしなかった。砂の上だったり服の上だったりに惜しげもなく、それはかかっている。訥々と自身の短い睫毛を濡らして、全く俺のほうを見ようともしない。

「緑間、俺お前のこと好きなんだよ。気持ち悪いだろ。もっと一緒にいたいだとか、もっと触りたいだとか」

「教室で本読んでるところも、汗かきながらバスケしてるところも、緑間のスリーポイントでブザービーターしたときも、いっつもそのあとすぐに俺を見てくれるときとかも、何もかも全部」

「嫌なんだよ。俺は、お前の『相棒』以外で居たくなかったんだよ。こんな気持ちでいるんなら、緑間に迷惑かけるんなら、俺なんかお前の隣にいれなくたっていい。緑間の邪魔だ」


えずきだした背中がやけに震えていて、ああこれは触れても良いものであろうかと思案してみる。何故こんなに落ち着いてしまっているのかというと、涙を流す高尾が蝋燭の光の中でとても綺麗だったからだ。

「ごめん、ごめんな緑間。最後まで、お前の隣にいたかったよ」

お前はいつもはそうやって笑わないから、こんな時ぐらい何をしてもいいのだろう、と。

「お前は人の話を聞かない」
「は」

線香花火をバケツに放って、高尾を抱き締めた。汗の匂いと海の香り、お互いの心臓の鼓動が混じって気持ち良い。彼の熱い手のひらが、まだ宙を漂っている。

「誰がお前のことを不快だと言ったのだ。先輩……クラスメイト……ではないな。誰にも言ってはいないか」
「っ離して」
「嫌なのだよ」

彼は今さらのように身体をよじる。まったくもって馬鹿らしい。ここまで来てまだ分からないのだろうか。

「俺はそこまで回りくどいことは好きではないのだよ、高尾。だから言わせてもらうと」

胴に巻き付けた腕に力を込めると、高尾は急に押し黙った。まるで死刑宣告の直前みたいだ。そんな物騒なものではないのに、だから今日だけは優しくしてやろうか、なんて考えていた。

「お前、やっと言ったな」
「ぇ」
「俺もだ」

後頭部を引寄せる。額をシャツの肩あたりに付けさせて、体重を俺にかけさせた。二周りは小さな身体。薄い背中。どこにも、けして女のような柔らかさはない。ばさばさになっても、しなやかさを失ってはいない髪。汗の酸い匂い。
全部まるごと俺の手中にあるなんて、どうやら自分は贅沢者らしい。


「み、どりま」
「お前が俺の世間体やら何やらを気にしたりすること、そんなことは目に見えていた。だからいつか吹っ切れて、自分の中で咀嚼できるようになれた日、お前から言ってくる日を、俺はずっと待っていたのだよ」
「ぅ、しん……ちゃ」
「今までずっと泣けなかったのだろう? 俺が許すのだよ。



……好きだ、和成」


はりつめていたものがふつり、と切れるようだった。体温を交換するようにしてさすった体はもう震えるわ跳ねるわで、いつも俺の隣であっけらかんと笑んでいる高尾からは想像もつかない。しゃっくりの合間から聞こえる「おれも、おれもだよ、真ちゃん」が、どうしようもなく愛しかった。誰もいない夜の海がこんなにも静かな訳は、好きな人の声をちゃんと聴いてやるためだったのかもしれない。
何十分、何時間経ったのだろう。胸のあたりから声がして、俺は高尾の体を離した。

「ありがとう緑間、俺、もう大丈夫だよ」

それは文字通り消えそうなあの微笑みではなく、いつもの能天気な自転車に跨がる時の笑顔だった。目は赤いままだったけれど、彼も頑固なほうだったので頭を撫で手を引いてやる。だがあろうことか彼は潮風の十分染みたシャツの袖で瞳を擦ろうとしたので、急いで制止した。

「馬鹿者。商売道具を邪険に扱うな」
「あ、ごめん」

真っ赤に熟れた目元を舐める。そこまで塩辛くはなかったけれど、慌てふためいて俺の名を連呼する高尾が面白かったのでよしとしよう。

「しっ真ちゃん何がしたいのよ!?」
「宿はさっき取った。早く行くぞ」
「えっあっはい」

いつ取ったのさ真ちゃん、と少し訝しげに俺を見ながら歩き出す彼の手を引く。やわらかく笑った彼のつり目が、再び自信を取り戻したことを物語っていた。ふと跳ねた手のひらと手のひらの感触が、すっかり黒く塗り潰された目の前の世界の上で、独立して浮き上がっているように、それは苦しくて甘ったるいほど主張している。彼をリアカーに促すと、高尾は呆れたように首を振った。

「近いんだろ? これはどっか置いといて、2ケツしてこうぜ」

自転車に跨がった俺の腰に、細い腕がまわる。真ちゃんの背中おっきい、なんて幾分低い位置から聞こえた高めのテナーボイスが耳にくすぐったい。夏の夜の涼風の中で冷めた体温が、触れた所からまたきゅうと上がるようだった。目の前の下り坂に、俺はブレーキをめいいっぱい踏み込むのだ。


どうかこの時間が、限りなく続くようにと。


















今までで一番長いんじゃないでしょうかヒィィ
某柑橘系デュエット歌手の某曲(見た瞬間これだと思った)がすごくチャリアカーだったので思わず筆が進みました。大好きです。
それにしても真デレがすごい。いざというときは甘やかしてくれる緑間氏であればなあと思いました。





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