spherical you 『思えば剣城も随分丸くなったよなぁ』 そんなことを言い出したのは誰だったか。浜野先輩だったような気もするし、狩屋だったような気もする。つい1時間程前のことであるのに記憶が全くもって鮮明でないのは、声の主を認識する暇もないくらい動揺していたからだ。すぐさま用事などと嘘を吐いて部室を飛び出してきたのだって同様の理由で、お馴染みの河川敷の斜面に腰を降ろした今でも、荒ぶり揺れる鼓動が収まる気配はない。 『丸くなった』 一見プラスな言葉の裏には、かつて雷門中を潰そうとした俺の姿が確かにあって、こびりついたそれは消し去りたくてもどうすることもできないものだ。 ぎりりと歯がみをするのに合わせて、学ランの裾が風にはためく。気温が下がってきたのか、腕が少々肌寒い。日は着々と傾いているようだった。時刻は既に5時をまわり、住宅地の電気がちらほらと瞬き出す。不規則に揺らめく姿は俺の心情のそれだ。
『こいつ、シードだろ!そんな奴信用できるか!!』
突如電気が点くように降ってきた台詞。雷門に加わった後に練習試合をした学校の選手からかけられた言葉だ。自分のシードとしての過去は紛れもない事実で、何を言われてもしょうがないのは十二分に理解していたが、実際にあのような目を向けられてみると、そのダメージはなかなかに重い。 (今の俺は、雷門イレブンのメンバーだ) 気丈に振る舞っても、こうしてふとした瞬間に傷付いた部分が痛みだす。同時に、蓋をした思いも沸き出して来るのが厄介だ。雷門の仲間が過去を引きずる人たちじゃないのは知っている。なのに、 『シードだったくせに』 本当は彼らもそんな風に思っているんじゃないかと疑っている自分がいる。 先の台詞に過剰反応してしまったのもそうだ。怖くて、先を聞きたくなくて。 …もし嫌われていたら? 『剣城なんか嫌いだ』 太陽にも似た笑顔が嫌悪に陰る虚が脳裏に浮かんで、意図せず脚が震えて立ち上がれない。仕方なく草に背を預けて、ぼんやりと明度の落ち始めた空を眺める。あいつは今どうしているだろう。急に練習を休んだ俺を責めているだろうか。いや、きっといつも通りボールを追い回しているに違いない。絶対革命を成功させるんだ!なんて底無しの自信を溢れさせながら。 「まつかぜてんま…」 あいつは風だ。サッカー界に吹き荒れる革命の風。全て包み込んで巻込んで。誰にでも愛されるそよ風。雷門の光。俺なんかとは違う。 「あぁ、」 (痛い、な) シードを辞めた事を、革命に参加した事を後悔しているわけじゃない。だけど仲間を知らなければ、嫌われる怖さも知らなくて済んだかもしれなかった。そんな考えが、チームの輪へ踏み込む足を止める。 「俺は…こんなに弱かったのか…」 態度も台詞も服も仕草も生き方も、何もかも強く在らねばと、決心で身を固めて牙を研いで、いつだって強くいたつもりだった。 尖りに尖ったバリケードで心を覆って、誰も寄せ付けないように。 それは今だって大して変わってはいないはずだと、自分では感じているのだけれど。 それでも、本当に俺が丸くなったんだとしたら。
「剣城!!」 (風が、吹いた)練習を途中で抜けてきたのか、視界いっぱいにたなびくイエローのユニフォーム。俺ほどではないが癖の強い茶髪、大きな瞳。 「…松風、」 こいつに出会ったからなんじゃないかと思う。 「剣城!!探したよ」 いつまで経っても見上げるだけの俺に焦れたのか、坂を駆け下りてくる。もう、と頬を膨らませる様子はこいつの目指す格好いい、からは程遠い。 「急に帰っちゃうから心配したんだよ。顔色も良くなかったし…何かあったの?」 「な、何でもない。ただ具合が悪かっただけだ」 「本当に?」 煮え切らない俺の返事を訝しんだらしい。目を細めてにじり寄ってくる。妙なところで鋭い奴だ。逃げようにも、坂道で平地ほどバランスがとれないためか、後退りがうまくいかない。ならば走ってこの場を去ろうかと策を巡らせても、今履いているのは通学用の靴。普通に走って振り切れる可能性はほぼ皆無だろう。 「…お前、練習はどうした?みんなが待ってるんじゃないのか?」 苦し紛れに早く帰れと手をひらひら振って促してみる。 「それは大丈夫だよ。俺ちょっと試したいことがあって1人でドリブル練習してたから。抜けてきたのは俺だけ」 くそ、用意周到な奴め。 焦りから握り締めた拳の内側、滑る汗が気持ち悪い。 「いや、それでもな、松風」 「"天馬"」 「は?」 「なんで、名前で呼んでくれないの?ふたりきりなのに」 いくらかトーンが落ちた声。アルトに近い音調はぎりぎりのテノールまで下げられ、目元は俯いたせいで影が隠してしまう。 もしかしなくても、この状況は非常に不味い。問い詰められる理由を増やしてしまった。 「あ、それは…」 「嘘ついてる時」 言い訳を探す俺を真正面から射抜く宣言と、視線。 「…ッ」 息を詰めた。真実を突き付けられたからではなくて、言葉を遮るなんてらしくない真似をした男の目に点る光が、爛々と燃えていたからだ。 今のこいつは所謂、凪。とうに朱に塗りつぶされた背景の中、双眼が静かに意を主張している。 「知ってた?剣城はね、嘘ついてる時、俺のこと名前で呼ばないんだよ」 己の知らぬ事実に気をとられた隙、あっという間に距離を詰められる。耳に掠めるか否かの微妙な距離で触れる吐息があざとくて腹ただしくて、好きだ。 「だから、教えて?」 京介? 「て、んま…」 酷く甘い問い掛けに誘われるままに、がんじがらめに施した錠が難なく外れる。 (馬鹿天馬) こいつはいつだって、わかってやってるんだ。
――怖いんだよ。
ようやっと零した音が届いたのかはわからないが、発した直後にいつになく荒っぽい手つきで引き寄せられた。掌が添えられた背骨が痛い。 「ま、ままま松風!?」 「"天馬"だよ。京介」 恋人モード垂れ流しの天馬から無理矢理目を反らす。いくら人がいなくたって、ここは外だ。理性が総動員して熱を生成、全身が茹で上がるのが鮮明にわかる。腕を突っ撥ねてみようかという案もよぎったが、最終的には恥かしさよりも温もりへの未練が勝って、頬を目の前の肩口に擦り付けた。はあ、と気道から空気を抜けば襟元から落ち切らない仄かな汗混じりの天馬の香りがして、飢えた部分を埋めるようにそれを思い切り吸い込む。胸が熱くなる。熱くなって、隅々まで行き渡って、自然と食いしばった唇が緩んだ。
「考えすぎだよ」 ばかだなぁ、京介は。 俺が散々悩んだものを間髪を入れずやけにバッサリと切ってくれた天馬は、やたらといい笑顔を振りまいている。緩い表情に反して、腕の力は緩まない。あれから誰も通行人がないのは救いだった。日はとっくに落ちてしまっているから、見られる心配もそんなにしなくて済みそうだ。 「先輩も勿論俺も、京介を疑ったりなんてしてないよ」 なんで言い切れる? しがみついたまま唇を尖らせた俺の気配が伝わったのか、天馬がさらに声を出して笑った。振動に合わせて、周囲の草も揺れているのが見える。 「だって京介、サッカーが好きだって顔に書いてあるもん。みんなだって、同じこと思ってると思うよ」 ねぇみんな! 「え、」 天馬から離れる暇も、居るのかよ!と文句を言う間もなかった。 呼び掛けに応え何メートルか先にある植え込みの隙間からリズム良く飛び出したのは、サッカー部同学年の顔ぶれ。忙しなく駆け寄って来ると、天馬と抱き締められている俺の周りをぐるり一周取り囲む。なんでナチュラルに天馬とハグしているんだとかずっと待たされてた事への文句とか、普通突っ込むであろう部分を無視して、彼らは口々に言葉を飛ばしてきた。驚きで声も出せない俺は、ぎこちなく首を僅かに振る仕草でそれに応える。 「ほら、元気出して!」 真っ先に糊のきいたハンカチを掌に乗せてくれたのは空野だった。 「大丈夫?ねぇ剣城大丈夫?」 視界の隅で揺れるとんがった髪は西園だろうか。 「無理しないで、溜め込まないで。僕たちチームメイトなんだから」 影山、ありがとな。 「意外と泣き虫なんだ、イイ事知った〜」 狩屋…あとでデスドロップかます。おまけにロストエンジェルも。 「みんな京介が心配でついて来たんだ!」 肩越しに聞こえる声は楽しげに弾んで、嘘偽りの欠片も見当たらない。それこそ不安になっていたのが『ばかだなぁ』と思えるくらいには。 「そうか…」 「過去なんて関係ない!京介は俺たちの大切な仲間なんだから。それでもまだ不安なら、全部ボールにぶつけちゃえばいいんだよ」 「…!」 喜びに胸がぎゅうっと絞られる感覚がいとおしい。照れ隠しに天馬の首元に額を押しつけて礼を言えば、四方から返事が返ってくる。どの声も、とても暖かい。 「まぁあり得ない話だけど…たとえみんなが京介を受け入れなくても、まだ俺がいるよ」 ――なんてったって、恋人なんだからね。
「大丈夫、なんとかなるさ!」 風が、吹いた。
…俺も、なれるだろうか。 どれだけ打ちのめされても潰れなくて、憎らしいくらい軽やかに弾んで、高く、高く跳んで行く。お前が愛するサッカーボールみたいな、丸に。 想像するのは難しいが、きっと角の取れた自分もなかなか、悪くないはずだ。
でも。 今はまだ、素直に弱音なんて吐けないから。 もう少しだけ、この胸を借りてもいいだろうか。 音にならない問いに答えるように、腕の力がそっと、強まった。
部活動の大先輩である胡桃先輩とイメージソング交換小説企画というものをやらせていただきました! ちなみに曲は
>私リクエスト キセノンP ♪まるくなる(天京)
>胡桃先輩リクエスト crystal kay ♪こんなに近くで…(兎虎)
でした。
……こんな可愛いものもらって良かったのでしょうか……ね…… キャラクターと世界観を壊さず、でも需要はしっかり押さえる。すごく尊敬してます……すごく…… 胡桃先輩ありがとうございました!
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