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The dear devil was found. It is destiny to love it if it is destiny to fight again. Oh, you are my fallen angel.




meaning of tears act.2


そして決行の時がきた。

飛影がその日来ると知りながら、女を抱いた。来るというより、呼びつけたと云った方が近い。以前から自身に対し色目を使っていた馬鹿な女だった。まあ、10人いれば半数以上は女の美貌に振り返るに違いない。だが、蔵馬の方は容姿どころか、この時点で既に名前を脳裏から追放していた。というより、覚えている必要はなく、今日という日さえ終えれば用済みなのだ。そんな女の名前を、記憶の片隅に残す労力を最初から放棄していたといえた。無論、セックスの後、女の記憶消去も後片付けの一環であり、なんらの罪悪感を抱くことさえない。ばかりか、馬鹿馬鹿しと思わずにはいられなかった。

久々の女、なのに、何故か心が萎縮していることに蔵馬は気づいてはいたが、躰は久しぶりの甘い匂い、そして、柔らかな躰にそれなのに昂る。互いに最後を迎えるべく、蔵馬はよりいっそうその女を深く貫く。卑猥な水音と、肉と肉が激しく絡み合う音が室内にも鼓膜にも刺激となる。

だが、その女を抱きながら、心のなかが何故か冷え冷えと変化していく。悶える女の顔が醜く映る。背に廻される手のひらに、云いようのない嫌悪に似た感情が湧いては霧消する。まとわりつく肉の蠢きが吐き気さえする。昂っていたものが、急速に質量を減速し、ただ無意識に腰だけを動かしていた。おそらく今、先走りの液さえ、ろくに出てはいないであろう。まるで、機械人形のように洞窟内に穿つだけだった。

そして、何故か終始、彼の淫靡で扇情的な顔がちらつくのだった。その時だけ、萎えかけたそれが隆起し、女を喜ばせた。自身がどんな気持ちで抱いているかも知らずに、その下で喘ぐ女の顔が堪らなく醜くみえてならなかった。

その時だった。甲高い喘ぎ声と、窓ガラスの向こう側に降り立った飛影が重なったのは。女だけは遂情したが、自身は彼を視界にとらえた瞬間完全に萎えた。

女の躰から自身の萎えた竿を引き抜き、窓ガラスへと意味ありげに蔵馬の唇が奇妙に吊り上げられた。

いいタイミングで来てくれましたね、飛影。待っていたよ、貴方を、貴方だけを。

蔵馬はガラス越しに目を細めて、殊更笑ってみせた。刹那、飛影の息をのむ音が聴こえた気がした。哀しみが凝縮された青息吐息に聴こえたようにも思えた。小さな肩が、幾つも幾つもさざ波をたてていた。握りしめられた拳さえ、色を失っていた。そのルビーに、困惑、寂寥、創傷、そして、絶望、その他あらゆる負の感情が浮き上がる。

そう、これが目的だった。この為だけに、顔も名も忘れる女を抱いた。彼の目の前で。

さあ、泣け!

泣け!

泣け!

泣け!

涙を流せ!

氷泪石を流せ!

この妖狐蔵馬の為に。

カツーンカツーン、と、その時空気を切り裂くような乾いた音が確かに鼓膜に届いた。散乱する涙の雫の音が共鳴しあい、無秩序な音符のように舞い上がるようにもみえた。だが、それとともに自身の心臓の音が時を刻むのが止まった。血の流れが逆流していくのがはっきりと判った。あれほど望んでいた光景の筈なのに、ひどく息苦しさを感じていた。

緋色の瞳からは、赤い赤い、これ迄なん百なん千と見てきた血の色と同じ色をしていたのだった。その赤は、小さな流れ星を幾つも描きながら硬いコンクリートに美しい流線を描きながら落下していく。

何故、躰がこんなにも震えているのだろうか。何故、これほど迄に自身は怯えているのだろうか。嬉しい筈であるのに、今まさに、禁忌の色をした至宝が己の手の届くところ迄きた筈であるのに。その彼の姿を見て抱いたものが、激しい苦痛と後悔だと知った。

だが、自身は愚者であった。

白皙の肌は今や蒼白に等しく、硬直した姿のまま、唇がおのが名前をかたちどった。その瞬間、とるべき途を誤ったのである。

タオル地のバスローブを羽織り窓ガラスを開けると、人間界の風と、彼から香る仄かな魔界の瘴気。混乱する頭とは裏腹に、出たセリフは非道な自身そのものだった。

この時の蔵馬は、まだ認めたくはなかったのかもしれない。それとも、溢れ出した自身の気持ちに制御をかしていたのであろうか。爆発的に成長した思いの深さゆえに。躊躇い、困惑する。そして、自分自身で犯した愚かな罪。飛影に対する思いの後ろめたさ。あるいは、それらを隠したい心情が働いていたのかもしれない。それゆえに、蔵馬は強気に出てしまったのだった。不遜な笑みを浮かべて云い放つ。

「クククッ、見つかってしまいましたね。実は貴方に飽々していてね。だって、貴方セックスしても泣きゃしない。物足りないんですよ」

「!?」

美しい赤い流れが形となり、頬を濡らしている。そう、これが見たかった。これを手に入れたかった。

だのに、何故、これほど迄に心が引き裂かれるのだろうか。愛してなどいなかった。貴方を愛してなど、・・・

それなのに、この感情はなんだ。何故、こんなにも切なくなるのだ、何故、こんなにも苦しいのだろうか。何故、今更、貴方のあの穏やかな笑顔が浮かぶのであろうか。

傷つき悲鳴をあげているにも関わらず、何故唇から出るセリフは意思に反するのだろうか。口にすればするほど、心に毒が回る思いだった。ただ1つだけ蔵馬には判っていた。もう、引き返す船は去ってしまった、ということが。いや、自分自身の意思でその船を見送ってしまった。

「これが欲しかった。泣いてくれるの遅いんですよ。おかげで要らぬ苦労しましたよ」

コンクリートの上に散乱している星屑を1つ、おのが手のひらへと包む。不思議な色であった。確かに紅いのに、氷のような乳白色と透明感。なにもかもを吸いとってくれるような暖かな色合い。蜃気楼のようにも、オーロラのようにも煌めき輝いていた。そしてなにより驚いたのは、宝石独特の感触ではないことだった。まるで、血が、そのなかで乱反射し息づいているかのように、温かった。そうか、この温かさは、貴方の愛のかたちなのか。貴方の愛の重みなのか。貴方の愛の深さなのか。貴方はこんなにも深く強く愛してくれていた。馬鹿だった。自身の方がよほど。愛情を知らなかったのは、この己の方であった。なにを母から学んできたのだろうか。この18年もの間。なに1つとして、その大切さを理解していなかった。妖狐としての矜持だと、笑わせる。とんだお笑い草だ。盗賊の名声だと、そんなものは色褪せた玩具でしかない。そんな下らないもので、彼を裏切り泣かせた罪は重い。

そして、何故、忌み子の涙が貴重であるのか、その本当の意味を知る。禁忌を犯した愛、その結果産み落とされた忌み子、その子が本当の愛を知り始めて流す涙。そこには、無条件の愛情だけが輝き光彩を放つのだろう。

だからこそ、美しい。

この世でたった1つの至宝。

これ迄手にいれてきたものが、がらくたのみだったのだと思わせるほど、それは美しく、まさに、至宝と呼ばれるに相応しい気品に満ちていた。

ギュッと手のひらを握りしめると、飛影の鼓動が聴こえてきそうで。ただただ、嬉しかった。その一粒に彼の、彼だけが自身に向けていた愛情が凝縮されていた。こんなにも熱く、こんなにもたくさん。だが、もう、自身にはその嬉しさを共有することは赦されないのだ。彼の心を裏切ったのだから。こんなにも自身を愛してくれた彼を。

自身の本心を今更気づき、どの面さげて愛してますなど云える。こんなゲスな方法で彼を謀ったのだ。信じてくれる訳はない。せせら笑いをさせられるか、冷たくあしらわれるに違いない。もし、自身が逆の立場であったならば、この場で死の旅立ちを強制しているだろう。

覚悟をし飛影を見つめ、視線が交差する。その刹那、なにかを察したのか、唇が苦々しく歪むのが見てとれた。そして、自嘲の悲しい声が音となってあらわれた。

「クッ、フッ、ハハハ。・・・、最初から“それ”が狙いだった訳か。俺は貴様の手のひらで踊らされていたってことか。楽しめたか?さぞ、滑稽だっただろうな!」

「飛、影」

紅い流れはもうそこにはなかった。代わりに芽生えたものは、間違いなく侮辱と軽蔑、そして敵意と殺意だった。あれほど惜しみなくみせてくれていた愛情は、一粒たりともなかった。

当たり前だ。それだけのことをしたのだ。なのに、どこかでなにかを期待する愚かな自分がいた。

コンクリートの上に尚も輝きを続けていた飛影の、飛影だけの氷泪石を、飛影は自らの足でもって粉々に砕いた。散り散りに流散したそれら、だが、それでも、そんな一欠片でも華麗な美しさを誇っていた。

苦々しい表情を見せ無言で背を向けた。魔界への道のりへと、消えて行ってしまった飛影の後ろ姿。もう、2度と彼はここ─人間界─には来ないであろう。もう、2度と、自身の言葉を信じないであろう。例え、真摯に告げても1ミリも彼の硬化した心を解せはしないであろう。凍ってしまった貴方の心を溶かすこの熱は、はたして愛情に値するであろうか。ただの良心の呵責ではないか。しかし、そうは思いながらもやはり醜く恋情の未練が燻る。可能性は限りなく0に近い、がしかし、今から追えばまだ間に合うかもしれない。だが、せめぎあうなか、最後に勝利者を得るのは、飛影のあの後ろ姿だった。あんなにも彼の後ろ姿は儚げで小さなものだったろうか。なにもかもを拒絶するような。重く悲しげな後ろ姿。あの後ろ姿には、悲しみと絶望の全てが覆っており、蔵馬は一生忘れ得ないだろうと思わずにはいられなかった。そして、心のおもむくまま追えば、必ず今以上に彼を苦しめるのではないか。違う涙を流させることになりはしないか。その恐怖が、蔵馬の足を止めた。

手のひらにある飛影の氷泪石を見つめ、自身がなにを失い、なにを得たのか判った。

今日も、蔵馬の胸には1つの宝石が輝いていた。

赤く、紅く、朱く、緋く。──美しく。










Fin.
2012/1/15
Title By HOMESWEETHOME

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