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The dear devil was found. It is destiny to love it if it is destiny to fight again. Oh, you are my fallen angel.




条件付き恋愛宣言 act.1


ある日の休日。前日、休日出勤する代わりに得た休日だった。視線を何気なく通りの反対側に向け驚いた。彼がこちら─人間界─に来ていたことにではなく、不似合いなカフェなどにいる光景に。だが、それだけならば、飛影が1人きりであったならば、蔵馬は何事もなかったかのように、その場を離れていたことであろう。彼を心底好きではあるが、彼を束縛して機嫌を損ねるのは本意ではない。本音は別のところに生息していたが、それを彼に向け露にすれば最後、自身でもその悪魔を止める自信がなかった。そして、望まぬ悪魔は自身ばかりでなく、飛影をも跡形もなく焼きつくであろう。

蔵馬は、飛影と彼らが居る反対側で、翡翠の目を細めた。妖気は普段から消している為、向こう側で談笑している彼らは誰1人気づく様子はない。それはそれで、非常に不愉快であり面白くない。声にならない声が、気づいてくれてもいいではないか、と、疎外された淋しさから注文していた。無論、今日の休みは突発的であり、彼らは知らなかったにすぎない。第1、一々彼らに休みを教えている訳ではない。だからこそ、自身を誘わなかったにすぎない。そう、理解しても、荒れ狂う感情の嵐を完全に留めるには至らなかった。それ迄優しげに彩っていた口元は一文字になり、奥歯からギリッ、と、不穏な音が空気を切り裂いた。底冷えしそうな氷の彫刻像。まさに、それだった。誰しも振り返る美貌を有し、この時もすれ違った幾人かがその美貌に感嘆の吐息を溢していた。だが、その時施された無の仮面の裡を推し測る人物は幸いにして当人しかいなかった。覗ける者がいたならば、窒息していたに違いない。嫉妬という名の暗黒の海に。

心音がやけに速くなる。躰のいたるところで悲痛な悲鳴をあげていた。その原因が、彼の肉親への情に対する苛立ちからくるものだと判ってはいても、不愉快に違いはなく、蔵馬は裡に芽吹いた苦虫の数々を億単位で噛み潰した。

判っている。自身とて彼以外に大切に思う人物がいる。だが、理屈では判ってはいても、感情が旨く連動しない。出来ることなら、今すぐ駆け出して彼だけを攫い、誰の目にも届かぬ場所へと閉じ込めてしまいたい。そして、彼が誰の者であるか、彼にも、そして、他者に対しても判らせたい。可能ならば、今すぐにでも彼を公衆の面前で抱いてもかまわない。彼がそれを望まないとしても。

ほんの僅か、飛影の唇が優しく微笑んだ。知っている。判っている。あの微笑は、彼女だけに赦された特権であり権利だ、と。が、それをこうして離れた場所で悪戯に眺める不愉快さは例えようもなかった。しかも、自身の関知しない場所でである。それは、充分に蔵馬のなかに眠っている嫉妬の悪魔を刺激していた。

「・・・、はあー」

声に出してそれらの刺激物を追い出した。行動に出したことにより、多少は落ち着きを取り戻すことに、それはこうをそうしたようであった。





黄昏色の太陽が、穏やかに射し込む時間帯。蔵馬は自身のマンションで飛影を待っていた。淡い期待をこめて。あのまま魔界へと帰ってしまった可能性が高いが、もしかしてここに立ち寄ってくれるかもしれない。邪眼で確認して、今日自身がオフであると判れば、その身を休める為に来てくれるかもしれない。昼寝の場所でもいい。次いででかまわない。彼女の次でもいい。貴方が、自身にだけに向ける眼差しが今は欲しい。その瞳で、自身だけを見つめて欲しい。

「期待というより、願望だな」

開いているだけで、活字などいっこうに追ってはいなかった本をテーブルへと些か乱暴に投げながら呟く。次いで、自嘲ともとれるため息が零れた。瞼を閉じると、先ほどの飛影が浮かび上がる。同時に、胸の奥から灰色の靄が全身を襲う。それは、今にも雷雨をはらんでいた。

何度魔界へと、彼の傍らへと行きたいと思ったことだろう。願ったことだろう。心のままに行動するには、今の蔵馬には大きな枷がありすぎた。あと、3、40年、だ。どれだけ長くとも50年ほどであろう。半世紀、それだけ耐えればいいのだ。あとそれだけを、人間として過ごせばいいのだ。千年生きてきた自身からすれば、ほんの一瞬で過ぎてゆくような時間。瞬きとなんら代わらない時間だ。母の死を見届ける迄は。穏やかに、そして、幸せに満ちた最後をこの目でみとることさえ叶えば。

不意に窓辺に妖気を感じ、思惟を中断しそちらへと視線を向けた。そこには、蔵馬の、蔵馬だけの愛しい黒い妖怪が佇んでいた。

カラカラ、と、窓が開かれる乾いた音さえも愛しい音に聴こえた。彼がいつでも開けられるようにと、1度としてそこには鍵はかけられたことはない。そして、おそらくはこれからもないであろう。それと同時に、内心でもって現金なものだと自嘲する。

「よかった来てくれて。もしかしたら、魔界へ帰ってしまったと思った」

その言葉に対し、訝しげな表情で蔵馬を一瞥し続けた。

「・・・、俺がこっち─人間界─に来ていたことを貴様に云ったか?」

それに対し、ほんの一瞬切なげに蔵馬の翡翠の瞳が揺れた。

「いいえ。・・・、さっき、貴方たちをカフェで見かけたから。よかった、嬉しいよ」

ここに来てくれて。俺を忘れていない証拠のようで。まだ、貴方のなかに自身は息づいている。そのささやかな幸せの、なんと甘美なことだろうか。

蔵馬は、その細い躰を自分自身の腕のなかへと半ば強引に導き掻き抱く。ささくれていた心が、彼の匂いに包まれた瞬間霧消した。彼の体温を肌で感じると、不思議と心が凪いでゆく。しかし、それは蔵馬には一瞬の幸福を意味していた。飛影の妖気から、そして匂いから微かに別の匂いを感じとり、おさまっていた嵐が進行を逆進へと変換を遂げた。それとともに、あの飛影の微笑が脳裏に鮮やかによみがえる。決して、自身へとは向けられないその微笑み。彼女だけの、彼女だけの為にある微笑。甘さを含み、優しさを含み、穏やかさを含み、たった1人の為だけに。同じ血を分けた、唯一の妹だけに与えられた微笑み。嫉妬と同等の量で敗北感と屈辱感、それらが毒針の如く蔵馬の裡と外を刺し、苦く自嘲的な表情を造らせた。

「蔵馬、痛い」

ああ、飛影。貴方をこのまま自身の腕のなかだけに閉じ込められたならば、どんなに幸せであろうか。

逡巡の後、飛影の耳に向け殊更低く問うた。

「・・・。ねえ、飛影。もし、雪菜ちゃんと俺が崖から落ちそうになったら貴方はどちらを助ける?」

質すのも馬鹿馬鹿しい喩え。答えなど100%判りきっている。はたして、なん千なん万という恋人とたちの間で繰り返された問いであろうか。そして、この問いは、質題者の心情をほぼ確実に裏切る問いであるのだ。あるいは、希望を現実へと代える問いであるのかもしれない。

蔵馬の腕のなかで一瞬身動ぎをみせたが、動かせないことを悟ると視線だけを上へと向ける。そして、きっぱりと云い放つ。

「雪菜だ」

「やっぱり傷つくな、その答え。少しは考えてよ」

傷つきつつ憮然とした表情の裏に、隠しきれない不遜さがあることを飛影は看守していた。最も、質題者の方も、返ってくる答えなど最初から判っていたに違いないのだが。

「考える必要がどこにある、馬鹿馬鹿しい」

無論、飛影とて、蔵馬が望む答えなど最初から判っている。だが、例えそのような状況が飛影の前に現実になったとて、迷わず妹の手をとる。しかし、この狐は本当に判っているのだろうか。妹の手をとる意味を。そして、その後を。

「大体だ、貴様がそんなドジを踏むか。貴様はその喩えの2人を嬉々と突き落として、高みの見物を決めこむ方だろうが」

「ちょっと、それはあんまりじゃありません」

「じゃ、違うときっぱり断言出来るのか」

「・・・。うーん、ちょっと、自信ない、かな?」

自分自身、その光景を見て薄く冷ややかに笑う様が容易に想像出来てしまう。そして云うのだろう、断崖の上で、この世の最たる苦悩を前に涙している人物に、「さあ、どちらかを選べ」と。莫大な妖気を脅迫材料とし、氷女よりも凍てついた瞳と声で。その時の自身は、その断崖に佇む者には、死刑の宣告を告げる悪魔に映るのだろう。

「・・・。それにだ、嫌な想像をさせるな。胸くそ悪くなる」

雪菜と蔵馬。もし、万が一、そのような場面が眼前で展開されたならば。雪菜の手だけを握らなければならないのだ。助けたくとも、こいつは云う。「雪菜ちゃんを」と。互いに、誰が大切であるか知るがゆえに。そして、己はそれに贖えない。そう、こいつは己の為にならば、その身を簡単に犠牲の羊にする。赤の他人には冷酷であり非道極まりなく、容赦という概念をどこかに置き忘れたかのように接する。が、しかし、己や幽助たちへの態度や行動は明らかに落差があるのだ。自惚れでなく。それがなにより怖い。

「じゃ、俺も質問するがな、・・・、貴様の母親と俺が崖から落ちそうになったらどちらを助ける」

「・・・」

始めて蔵馬は言葉に窮した。絶句しているといっても過言ではなかった。

腕の拘束がその時ほんの僅かだか緩んだ。その隙にスルリと抜け出し、ソファーへと逃げた。

母親を助ける光景を見て、満足して己は崖から手を離すのだろう。そして、蔵馬は己が雪菜の手を掴んだ時微笑を浮かべながら落ちてゆくのだろう自ら。おそらく限りなく正解に近いそれらの想像は、飛影を不愉快への湖へと沈めるには充分だった。

「貴方を助けます」

低く、地を這うような声色だった。怖いくらい無表情であり、それが却って本気であることを如実に語っていた。

「蔵、馬?」

「飛影を助けます」

「馬鹿か貴様は、万が一そうなったら俺より貴様の母親の方が体力がもたんだろうが」

人間と妖怪なのだ、考える迄もない。なのに、きっぱりと蔵馬は云い放った。

「そうだね、だから、あと半世紀ほどは母を優先します。でも、その後は貴方だけです。他の誰が一緒に落ちそうになってても貴方しか助けませんし、貴方が不覚をとって落ちそうになったら、その場にいる人物を残らずこの俺の手で奈落の谷へと突き落とします」

「・・・。フン、狐だなやはり貴様は。口だけは達者だ」

「フフフ」

そこにいた蔵馬は、妖狐の際に見せる微笑を浮かべていた。不遜であり不敵な、恐れを知らぬ微笑み。そして、同等のものを要求している苛烈な意思。

「・・・やる」

「聴こえないよ飛影」

「だから、貴様と幽助だったら貴様の方を助けてやると云ったんだ!これで文句はなかろう!」

「フフフ、嬉しいなあー、それは」

「チッ」

半ば、蔵馬からの無言の脅迫に屈した感は否めない。だが、まあ、幽助ならば自力で這い上がる、そこで妥協した結果だった。それに、あいつには手を差し出す相手は多く存在する。己が手を伸ばさなくとも。潰れ顔の名を出してもよかったが、おそらくは蔵馬は納得はしないであろう。何故か知らんが、雪菜の次にこの狐は幽助に警戒を抱いている。親愛と二律背反にそれは蔵馬の裡を暗く黒く蚕食していることに飛影は気づいていた。

それに、やはり嬉しかった。母親よりも、己の名前を口にしてくれたことが。例え期限つきでも。こちらを気遣う嘘であっても。

「泊まっていくでしょう?」

「帰らす気などないくせに」

「フフフ。俺のことを理解してくれていて嬉しいよ飛影」

美しく妖しい笑みを浮かべ、飛影のその暖かな唇を塞いだ。

はたして、より深く愛しすぎているのはどちらであろうか。飛影にも蔵馬にも判らない。だが、もし、蔵馬と己の2人、断崖から落ちそうになった場合、その時は迷わない。おそらく蔵馬も同じ選択肢を選ぶであろう。2人であるならば、どこにでも堕ちてやる。生を望むならばどこへでも一緒に行ってやる。

蔵馬の背に廻された飛影の細い腕に、力が込められた。彼の思いを理解し、蔵馬は口づけを深いものへと代えた。

貴方とならば、どこへ堕ちてもいい。その手を離しはしない。生と死、そのどちらでも。決して貴方の手を、魂を離しはしない。










Fin.
2011/12/23
Title By 確かに恋だった

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