The dear devil was found. It is destiny to love it if it is destiny to fight again. Oh, you are my fallen angel.
Immortlle act.2
飛影は月明かりの夜空を駆け抜けていた。速く、と、自らを急かす一方で、思考はどうしても先ほど迄一緒の空気中にいたあの妖に向かう。八つ手、奴の支配下に唯々諾々とおさまるような器の持ち主では無いあれは。もっともっと、残忍で非道で、そしてこの世で最もタチが悪い部類の人種、いや、妖種だ。
言葉では云い知れぬ不安が広がる、が、飛影はあえて己の裡に育ち始めたその不安を払いのけ、前方だけを見つめ、己を叱咤しながら足を速めた。その先には、生きている雪菜がいると信じて。
突如、背後に先ほど別れた男が現れた。
「どういう風の吹き回しだ?」
「状況が代わりましてね」
「さっきの女か?」
「気になりますか?」
「・・・何故?」
馬鹿馬鹿しい、昔の大妖怪が堕ちた、それだけのこと、人間と親しくしていようが、人間社会に溶け込み騙して暮らしていようが、関係無い。なのに、この妖怪の一語一語が、まるで、麻薬のように、あるいは棘のように己の裡に浸透する、それがたまらなく不愉快でならない。
人間や妖怪を喰う輩は、その体力や妖力を上げる為に行うことが大半、残る半数は、ただただ、偏執な快楽者。氷女ほどの妖怪を食べたとなれば、八つ手の妖力は計り知れない。悔しいが、今の赤子同然の己の妖力では太刀打ち出来るとは考え難い。ちらり、と、隣を疾走する蔵馬と先ほど名乗った妖怪を盗み見た、人間界に長くいすわり、人間に肩入れしている、かつて、残酷、非道、残忍、その見本的代名詞だった大妖怪。だが。一見すると、先ほど見た女を慮り、取り戻そうと焦っている、表情、かもし出す妖気は切実にそう物語っていた、が、その全てが嘘だと飛影は見抜いた。ほんの僅か、見過ごすほどほんの僅か、口元が、これからの血のやり取りを前に興奮して歪んだ。やはり、こいつは“あの”妖狐だ、まぎれもなく。どういう経緯で、今のような人間のふりをして暮らしているか知ったことでは無い、が、こいつのある種の残虐さは、今のところ信用出来るかも知れない。なまじっか、人間に肩入れし過ぎているなまくら妖怪や半端な力の無い妖怪より、人も世も何もかも騙してのらりくらりかわしているこいつの方こそ胆力がすわっている、裏を返せば、今、裏切りから最も遠い位置にいる存在。だったら、今は八つ手を倒すには、こいつと組んだ方がまだ分がある。
誰かと馴れ合い闘うのは己の本意では無い、が、背にはらはかえられ無い。
八つ手が根城にしている廃屋に着くと、そこらじゅう血の匂いを感じた。
「育ちの悪い野郎だ」
だが、その品格の無い妖怪相手に、今、苦戦を強いられている己はなんと滑稽なことだろうか。
「もう1度聴く、貴様が喰った氷女の名は?」
「さあな」
「今日、女を攫ったな、彼女はどこだ」
八つ手は薄汚い手に、得意気に人身の喰い残した足をつまみ上げた。
「貴様ー!」
蔵馬が葉で造り上げた剣で、八つ手に飛びかかる、そのあまりにもの激情の変化に一瞬の遅滞を己に招いた、そして、対峙している八つ手には余裕という最も与えてはならない馬鹿なものさえ与えた。見誤ったか、やはり、こいつは人間界に長くいすぎた、堕ちた妖怪だった。高々あれしきの挑発に、この代わりよう。だが、そう思わせることにこそ、奴の真価が隠されていたと気づかされ、八つ手を相手にしていた際にも感じなかったある種の恐怖が、汗となって冷たく背中に一筋流れ落ちた。あの一瞬にして策を練り、交差した瞬間、己の耳元に囁いた。誰にも真似出来ないほど優美に、優雅に、そして、今まさに行っている血の宴を楽しむかのように。その瞬間、あの微笑が口元を飾った。その笑みを視界の端に捉え、ゾッとした。この己がだ。
八つ手を倒すことは成功した。が、雪菜の行方に繋がる情報は得られなかった。
こいつも違ったか。
では、何処にいる。
無事か、それともやはり。
蔵馬が女を背負い、廃屋を後にする。
「そういえば、まだ君の名前を聴いてなかった」
「・・・飛影」
一瞬の躊躇いの後、名を告げると、蔵馬は興味深い視線を投げかけ、まるで、観察するかのように上から下へと視線を撫でる。その何もかもが一々気にくわない。
「風の噂で聴いたな。確か、魔界で盗賊してましたよね。それが何故邪眼迄移植して人間界に。ああ、ユキナ、さんの為か」
失態だった、薬で眠っていたとはいえ、滑らせてしまった大切な大切な妹の名。己でも判らぬ怒りが侵食し、蔵馬が大事そうにしている背中の女の首筋に磨かれた刃をあてがった、ほんの数ミリ動かせば、女はこと切れる。が、蔵馬は八つ手の時に見せた激昂を一片たりとも見せなかった、そればかりか、この場に不釣り合いな不敵な微笑さえ浮かべていた。その笑みは暗闇に映えていた、憎たらしいくらいに優雅に。
「貴方の方が余程焦ってみえますね」
「何故動かない」
「云っておきますが、俺は始めからこの子を助けるなんて云ってませんよ。勝手にこちらの縄張りを荒らした八つ手が悪い、この子は云うなればついでです。しかし、自身の妖力を過大評価してませんから、昔ならいざ知らず。今の俺は残念ながら1人では八つ手にお仕置き出来ない。それを貴方に協力してもらっただけのこと。それが真の目的だったのですから。貴方が、今、この要済みな子を殺しても、俺にとっては痛くも痒くも無い」
なるほど、な。睨んだ通りだ、こいつやはり、女を餌に見せかけ八つ手の居場所を。そして、突然現れたこの己すら使い捨ての駒に使った。化け狐、正にこいつはその称号に相応しい。憎たらしいくらい。
「やはり、そっちが本音か。だが、女が街から消えたとなれば、人間どもは騒ぐ、違うか」
再度、脅すが、表情に然したる変化は見られなかった。
挙げ句。
「そんなの、どうとてもなる」
その言葉に毒気を抜かれた。それと同時に、奴の裡に危険な匂いを嗅ぎとる、語り合っていては、こいつのペースにづるづる巻き込まれ、いつかこいつの料理にされ消化される。苦々しく刃を鞘に納め、蔵馬を鋭く一瞥した。が、やはり、動じる気配はいっこうに無い。警戒、という灯が裡に確実に宿っていた。
「蔵馬、だったな。覚えておいてやる」
「光栄だね。ああ、お礼に最後に1つだけ」
「・・・」
「噂ですが、ね。貴方が探してる氷女かは知りませんが、最近、氷泪石が人間界の裏側で売買されてる様子です、どうやら、組織的にやってるようですね、だとすれば、おのずとバックに強力な妖怪がいるのは間違いないでしょう、あるいは、氷女が魔界からいなくなったと知った霊界そのものが関与しているかも知れませんね」
「・・・」
何故、そんな情報を与えるのだ。信じて良いのか、この油断ならぬ狐の言葉を。だが、嘘をつき、撹乱する理由が見当たら無い、少なくとも、こちらにはこの狐の怨みを買う機会がなかった筈。
「疑ってますね、まあ、当然でしょう。信じるか信じないかは貴方の自由です」
ニコリ、と、穏やかな笑みを浮かべてそう締めくくった蔵馬。その微笑の裏を謀るには、この時、飛影は無力だった。
その言葉を最後に、この胡散臭い妖怪と別れた。この時は知りようがなかった、この出会いそのものが、これからの始まりになるとは。
種はまいた。後はあの邪眼師の妖怪がもう1度自身の前に現れるように巧く情報操作すれば、彼をこの手に入れることも叶う。焦る必要は無い。獲物は、じっくり罠にかけてから堪能するものだ。
この時、蔵馬自身も自身の思いを勘違いをしていた。この衝動的に働いた思いが、何に、何処から、由来するのか。千年以上生きてきて、始めて自ら心底欲しいと願った、その真意を。
魔界から離れ久しく、人間社会の影となって生きてきた自身。だが、ちょうど良い玩具を見つけた。あの邪眼師を翻弄することは、魔界でしていた頃の遊びを思い出す。きっと、あの妖怪は、忘れて久しい魔界の、匂い、風、血、全てを思い出させてくれるに違いない。退屈しのぎ、その為だけに、蔵馬は飛影という妖怪を欲したのだった。
その認識に誤りはなかった、少なくとも、この時点においては。
※ ※ ※
あれから、1年。
蔵馬は少々焦り始めていた。あれからまるで自身の前に姿を表さ無い、邪眼師。時々、自身が人間界に張り巡らした情報網によって、氷泪石の売買組織に関わったグループなり、妖怪が、誰とも知らぬ者の手によって無惨な最後を遂げている。おそらく犯人は、飛影。十中八九間違いはなかろう。
だが、自身が撒いた肝心要の情報に食いつかない。気づいているのか、と、疑惑が浮かんでは消える。
時間的猶予もある。南野志保利、彼女の命の灯火はあと僅か。せっかくの囮が先に逝っては話しにならない。このままでは間に合わない。こちらから彼に接触を謀るべきだろうか、とさえ思う、が、それでは最初にたてた計算が狂う。
出口の見えないまま、尚、数日たったある日、蔵馬は自身の家にたどり着くと、1年前に記憶したあの気配が部屋にあることに心が乱舞した。薄く口角を上げ、罠に飛び込んだ獲物を堪能する時がきたことに、この上ない歓喜が沸く。
部屋に入ると、彼、飛影はそこにいた。
1年前と同様に、その紅く鋭い瞳のまま。
「久しぶりですね。飛影」
白々しくそう挨拶すると、彼は憮然とした表情を崩さず、こちらが1年前に撒いた核心に漸く近づいた。
「霊界が保管してる闇の三大秘宝を知ってるか?」
思いの外長かった、貴方からその質問を請けるのに、1年、1年もかかった。本当、この妖狐蔵馬をよくもまあ待たせるものだ、この妖怪は実に愉快で面白く、益々気に入った。
だが、その胸中の呟きを語源化せず、蔵馬は彼の話しの聴き役に回った。
「まあ、盗賊家業していましたからね。で、それがどうしましたか?」
「この手に入れたい」
「入れて何をするつもりですか?」
「手下が欲しい」
飛影、貴方が、今、脳裏に描いているその計画は果して巧くいきますかね。蔵馬は内心で意地の悪い予測をたてていた、が、口にも表情にも一切出さなかった。
「人間の、それとも妖怪のですか?」
飛影はそこで始めて沈黙し、逡巡した後、殊更鋭利な表情と口調を造り、脅迫とも取れる提案を出した。だが、それこそが、こちらの願っていたこと。
「貴様の母親の命が危ないらしいな」
さあ、ここからが化かし合いの始まり。蔵馬は心中で1つ吐息し、慎重に慎重に表情を造り上げ、誰がどこからどう見ても、哀しげな、儚い、人間の表情の仮面をつけた。その演技力は称賛に値しただろう。
「・・・よく、ご存知で」
飛影は、その蔵馬の表情を信じた。蔵馬がこの時有利にたっていたと知らず、額面通り信じてしまったのだった。
後に、後悔することになるとも知らずに。
「三大秘宝の中には暗黒鏡がある。どんな願いも叶えるというな。盗むのに手をかすというなら、条件として貴様にそれを譲る」
最初から譲る気など更々無いくせに、この蔵馬を実験台にするのが見え見えで傲復だ。だが、ここは素直に頷くしか無い。彼を手に入れる為に。獲物は騙して捕えるものだ。今は、まだ、真実を告げてはならない。
そして、何れは・・・
今は、御しやすいと見せておけばいい。
「・・・協力すれば、本当に俺に暗黒鏡を譲ってくれるんですね?」
「ああ、協力すればな」
「・・・判りました。協力しましょう」
やむを得ぬ、蔵馬は唇を噛みしめ、悔しげな顔つきで項垂れて見せた。それとは対照的に、飛影は口元に怪しげな笑みを浮かべ、勝ち誇った表情をした。それは、己がたてた思惑通りに進んだと信じてのことだった。
「もう1人剛鬼という奴がいる。1週間後、この地図の場所に来い。良いな」
飛影は懐から1枚の紙を取りだし、それを蔵馬に残して去って行った。
完全に飛影の気配が消えたのを確認すると、蔵馬は家全体に結界を張り巡らし、クックッ、と、高らかに笑い声を上げた。
「1週間後、ね。楽しくなってきた」
誰にも告げることの無い、それは、蔵馬の戦勝の確信の笑い声だった。
2010/12/18
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