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The dear devil was found. It is destiny to love it if it is destiny to fight again. Oh, you are my fallen angel.




 大奥─幽玄─ act.3


蔵馬が家に帰ると、母、志保利に呼び止められた。客が来ているから、と。自室へと向かうと、想像していた彼女がいた。

「・・・。雪菜ちゃん」

「蔵馬さん。お久しぶりです」

「なにかな、用って」

云い淀む彼女の顔色は浮かなかった。それが、悲しいからなのか、それとも、淋しさからなのか、蔵馬には判別出来なかった。いや、正確を帰すならば、彼女の気持ちを理解したくはない心の動きがあったのであろう。それは、蔵馬自身が未だ、納得していないことも示していた。

彼女がここに来た理由も、大方察していた。

「兄を止めてください。お願いです、私や母では無理でも、きっと蔵馬さんならば、兄も必ずや」

「・・・」

返事を返さず、翡翠の瞳が揺れる。そっと静かに瞼を下ろし、その美しい彩りをみせる瞳を隠した。それにより、自分自身の心を隠すかのようでもあった。

いつ迄も応えようとしない蔵馬に焦れ、些か激しく蔵馬の名を呼ぶ。

「蔵馬さん!」

「さっき、飛影に会ったよ」

「では」

「うん、聴いた。大奥に入るんだってね」

2人の顔色は、等しく失われたかのように映った。互いに、飛影を大切に思っている。兄を慕う心も、好いた心も、飛影の前では通用しなかったのだ。あるいは、互いに無力感が襲っていたのかもしれない。方向は微妙なズレを伴ってはいたが。

「・・・、私の為なんです。私なんかの。兄上を犠牲にして迄私は結婚などしたくはありません」

涙をこらえたまま、それだけを紡いだ。おそらくは、それしか云えないのであろう。悲痛な胸の裡が、そこから幾つも零れていた。

だが、その表情を見ても、蔵馬は眉1つ動かなかった。穏やかに笑みを貼りつけてはいたが、蔵馬は雪菜のその思いじたいを、苦々しく思ってさえいたのである。それが、限りなく醜い嫉妬であると承知していても。羨望と焦燥が、交互に蔵馬を締め付けていた。彼女を怨む筋合いではないと、うちなる声が自身を諫める。だがしかし、反対に彼女の存在がなければ、と、悪魔の息吹きは確実に蔵馬の首を締め上げてもいた。

だが、それよりも、飛影の最後の言葉が浮かぶ。「雪菜を諭してやってくれ」それは、蔵馬のなかに深く深く刻まれた刻印だった。

「雪菜ちゃんの気持ちも判らなくはないけど。・・・じゃ、飛影のやろうとしていることは全くの無駄なの?飛影の優しさを責める権利が貴女にはあるの?」

「そ、それは。でも」

「ねえ、雪菜ちゃん、貴女が飛影の優しさに応えてこそ、飛影は幸せなんじゃないかな。飛影は報われるんじゃないかな」

「・・・。蔵馬さんはそれでよろしいのですか?兄上がいなくなってもいいと仰るのですか」

それ迄穏やかに微笑を浮かべていた蔵馬の顔が、この時始めて変化した。雪菜も見たことがない奇妙な顔つき。その表情に、何故か雪菜はたじろぎに似た感情が支配していった。もしかすると、開けてはならない蔵馬の裡を刺激してしまった結果なのだろうか。蔵馬が飛影に向ける愛情を、雪菜は誤解していた。純粋なだけではないなにかが含まれていたことを、始めて雪菜は肌で感じた瞬間でもあった。そして、それでもなおも蔵馬は飛影だけを思っていることも。一途なその気持ちは、他人が口にした瞬間、穢れてしまいそうなほど脆く儚い。

「フフフ。正直な話しね、俺は氷龍の家がとり潰されようが、血が絶やされようが、そんなことどうでもいいんだ。貴女が結婚したくないというならそれでもいっこうに構わない。所詮は貴女自身の問題ですからね。俺の知ったところじゃありませんよ。でもね、俺にはたった1つだけやぶれないものがある。それは、飛影がなによりも大切だってことです」

母よりも、この南野の家よりも。無論、眼前の少女などよりも、はるかに。この世でたった1つの蔵馬の宝なのだから。

言外に込められたそれらの言葉は、雪菜自身に迫った。

「飛影の言葉は俺にとっては神託にあたいします。悪魔だろうが将軍だろうが、それは誰も覆すことは不可能なんです。無論、させる気もない。その飛影が、貴女と桑原殿を結婚を望んだ。だから、俺はその望みを叶えてあげたい。それが、俺の責務だと思ってる。貴女が拒むならば、無理矢理でも貴女を添い遂げさせます。どんな汚い手を使っても、ね。飛影を悲しませたくはありませんから」

「・・・」

「さあ、もうお帰り。貴女には飛影を笑顔で送る役目がまだ残ってるんですから」

残酷であり、優しい役目が。貴女にしかそれは出来ない。飛影に未練を残させない為にも。

「蔵馬さんは、それで幸せになりますの」

「・・・。誰も彼もを幸せには出来ないよ雪菜ちゃん。貴女のその手は1つしかない。世の中は、誰かの犠牲の上に成り立っているんだから。貴女には貴女にしか捧げられない愛情がある。それを待っている人を幸せにしてあげなさい。そうすれば、自ずと飛影を幸せにしていることにもなる。飛影が幸せならば、この俺もまた。貴女は幸せになる義務を与えられた。それを侵すことは、飛影への冒涜だ。俺は、飛影を泣かせたくはない。飛影の意思は俺の意思です。・・・、だから、もうお帰り雪菜ちゃん」

「・・・。ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい私」

ごめんなさい兄上。ごめんなさい蔵馬さん。愚かな私を赦してください。小さな私を赦してください。罪深い私を赦してください。

兄上、私は自分自身をも支えられない。それでも、兄上の力になりたいのです。兄上の幸せを願っているのです。蔵馬さんの幸せも願っているのです。全てを望んでしまう。こんなにも全てを望んでしまう傲慢な私は、優しい兄上の妹に本当に相応しいのでしょうか、・・・

流れ続けるその涙を、始めて蔵馬は愛しく思うことが出来たのだった。





※ ※ ※





翌日。飛影の姿は江戸城内大奥にあった。

通された室内の豪華な襖や調度品に驚き、興味深く辺りを見回す。やがて、襖に影がささり、飛影は手を畳につき頭を下げた。ゆっくりと襖は開けられ、映った美しい裾が、上座の席に移動する。

「苦しゅうない、面をあげよ」

「はっ」

飛影の顔を真っ正面から対峙し、その男はなにかを察したかのようにスッと目を細めた。この男は使えるかも知れぬ。意思の強い赤い瞳を男は気に入った。

「私は御中臈の仙水と申す」

「本日より御三の間に入らせていただきます、氷龍飛影と申しまする」

「うむ。付いてまいれ」

一歩外に出ると、そこには別世界がひろがっていた。右を見ても男、左を見ても男。男、男、男。江戸の町と真逆の世界のなかへと入ってしまったのだと、飛影は一瞬身震いした。思わず、圧巻のため息が零れるほどであった。

「巷では大奥3千人などとも云われているが、実際には仕える男の数は8百名にも満たぬ」

前を歩く仙水の背中を見ながら、その美しい反物から仕立てられた着物にため息が零れそうだった。流石に、大奥の御中臈だ。この男も色男というものではないものの、奇妙に惹き付けられるなにかがあった。その佇まいは凛としており、漂う空気、それそのものが、江戸城下で見てきた男たちとは明らかに違う。足さばきからしても、おそらくは武芸もそれ相応の実力者なのではないか。そんな考えが浮かぶ。

「その8百名がまず上様にお目通りが叶うお目見え以上と、お目見え以下とに大きく2つに分かれる。更に、お目見え以上にも細かな役目に分かれてお、るっ」

「!・・・」

「?」

急に前をゆく仙水が足を止めた。不思議に思いながら、飛影は微かに首を傾げた。が、次に発せられたセリフは、飛影の想像していたものではまるでなかった。

「踏んでおる」

「・・・。え?」

飛影は己の足元に視線を動かした。そこに映し出されていた光景は、己の足が仙水の長い裾を踏んで歩の妨げをしている光景だった。

「あ、し、失礼しました」

言葉と共に、慌てて裾から足を退けた。

「・・・。ゴホン。で、あれに見えるは呉服の間の者たちだ。大奥の着物いっさいをあの者たちが仕立てておる。掃除をしている者たちは御半下の者たちだ。御半下とは、お目見え以下の中でも最下位の下男のことじゃが、下男とて身元のしっかりとした商家のせがれたちだ」

その時、廊下の先の戸が開かれ、1人の長身の男が現れた。身につけている衣装から、おそらくはお目見え以上であることがうかがえた。それも、かなり上級職にあたる者であろう。端に寄り、道を開ける仙水に倣い、飛影も同時に頭を下げ、その男が眼前を通過するのを待った。隙のない身のこなしがひどく印象に残った。

「今の方は大奥総取締役の黄泉様だ。この大奥で、1番の権勢を誇っておられるお方だ」

ほんの僅かではあったが、仙水の声には剣が潜んでいるように飛影は感じた。

「そなたが入る御三の間は、お目見え以下の中でもっとも格上だ。励めば、御中臈も夢ではない。それから、最後に1つ。・・・、この大奥で見聴きした一切他言無用。もし、その禁を破れば」

仙水は自らの扇子を抜き、剣に見立てて首筋を一直線に横へと引いた。その仕種を見、飛影はなにを指しているか瞬時に理解した。つまり、首が飛ぶということか。そして、その場合は、武士として切腹は叶わぬ、と、いうことも理解したのだった。

案内された場所に着くと、喧騒が襖の向こう側から漏れ聴こえてきた。今日からここが住みか、か。一呼吸した後飛影はその襖を開き、無言で中へと入ってゆく。突き刺さる無数の視線。なかには、はっきりとした侮蔑の視線もあった。が、しかし、それらに飛影はいっさい動じることなく、黙々と歩を進めた。空いてる一角に荷物を置き、辺りを注意深く一瞥する。

「おい、貴様!挨拶もなしか!」

居丈高な声が飛影の勘にさわったが、無視を決めこみ、黙々と荷物の整理を始めた。

「貴様!なんとか云え!口が聴けぬ訳でもないであろう!」

「まあまあ、玄武、新参者だ。見てみよ、あの形を。薄汚い鼠のようではないか」

「確かにな青龍。なんと貧相なガキか。鼠臭さがこっち迄匂ってきそうだわ」

「ヒヒヒ、臭い臭い!どうせ、くちべらしでここに送られて来たにすぎぬわ」

「白虎の云うとおりだな」

口汚く罵っている3人の後ろから、やけに整った顔の男が現れ、飛影を睨みつけた。不遜な笑みは、虚勢からくるものなのか、たんに自信過剰からか、飛影には判断出来なかった。もともと、他人からの謂れのない命令に対し、飛影の導火線は短く出来ている。仕事で失敗したならば、その責任はとる覚悟だが、こうしたことに対しては吐き気さえ覚えた。他人をあげつらい、自分自身を高く見せようと躍起になる。その心理が理解出来ぬ。媚びたりする輩が1番嫌いだった。

「私は御三の間を取り仕切っている朱雀だ。先ずは、私に挨拶してもらわねばな」

挨拶とはなにか。馬鹿馬鹿しさに飛影は却って朱雀とその取り巻きたちを睨み返した。

「仕事は自分自身で覚えてゆく。貴様らに迷惑をかけるつもりはない。それとも、たんなる嫌がらせか。そんなもんをしているから未だに上にいけないんだ。どっちがガキかよくよく考えるだな」

「き、貴様!」

朱雀と云われていた者の顔色が、渇と怒りにより変化する。他人からの指摘に慣れていない証だ。

「そこ迄にしたらどうだ皆。もうすぐ午後の仕事の時間だ。それに、大奥での私闘一切これを禁ず。破ればどうなるか朱雀殿もよく存じておろう」

その清んだ低い声は、その場を救う力があった。朱雀を始めとするその輩は、舌打ちを残して去って行った。振り向くと、雪菜に似た髪色をした男が静かに佇んでいた。その男は柔らかな笑みを浮かべ、飛影に向けて縹色の着物を差し出していた。

「挨拶が遅れた。俺は凍矢と申す」

「・・・。飛影だ」

この男は人を信用させるなにかを持っている。差し出された着物を受け取りながら、飛影はじっと目の前の男を見た。

「クスクス、誰かに俺は似ているのか」

「あ、すまん。ちょっと、妹と、な」

「そうか」

これが凍矢との出会いだった。










2012/11/17

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