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The dear devil was found. It is destiny to love it if it is destiny to fight again. Oh, you are my fallen angel.




 大奥─幽玄─ act.2


幼い頃は何度もここで蔵馬と遊び、太陽が傾き暗くなると母氷菜が迎えに来てくれたものだ。道場の帰りには、蔵馬は己の大好きなおはぎを造って、この木の下で待っていてくれた。この大樹の下で交わした幼い約束。何時か、何時の日にか夫婦になろう、と。互いに、世の非情さをなにも知らなかったがゆえに交わし得た世迷い言。だが、それも遠い過去。いや、もしかすると、己だけが記憶していて、蔵馬の方はそんな約束など忘れてしまっているかもしれない。

「すまない、呼び立てて」

「クス。いやだな遠慮なんて。俺と飛影の仲じゃないか」

「・・・」

なにから話そうか。どう云えばいいのだろうか。己から呼び出しておきながら、心のなかは未だ整合性を見出だせずにいた。

「最近、貴方会ってくれないんだもん。だから、嬉しかった」

蕾が綻ぶように蔵馬は微笑む。だがもう、あの頃のように幼くはない、素直にその笑みに応えられないほど互いに柵だらけの狭い大人の世界に入ってしまった。夢を夢として語らうことさえも出来ぬほど。

「なにを云ってやがる。忙しくしていたのは貴様の方だろうが。毎晩毎晩、女と一緒のくせに」

「・・・。クス。俺が女たちと寝てるのは、薬の代金代わりだよ。払えない代金の一部をそっちで払ってもらってるだけさ」

そこで一瞬蔵馬の表情が変化した。どこか怒りを抑えているように、美しい眉間にはシワが走り目元に剣が加わる。

「貴方の方こそ、本当にタダで女と寝てやってるじゃないか。この前も、その前もさ。モテてけっこうなことで」

常にない嫌みなセリフに、飛影は一瞬傷ついたような表情を垣間見せた。

「タダたから来るんだ。別に女にモテてる訳じゃない」

「・・・。ふーん」

素っ気なく応えた蔵馬の声は思いの外硬く、どこか人を寒くするなにかを孕んでいた。

始めて飛影が女を抱いたと知った時、強烈に嫉妬した。どす黒い感情が心を支配した。どこに自身のなかに内在していたのかと思うほど、強く、激しく。殺してやりたいとも本気で思った。その女を。飛影に対しても同様だった。優しさで抱いたに過ぎないと充分に判っていても。いや、だからこそよけいにその優しさに触れた女を赦せなかった。優しさに負けた飛影をも、その時だけは憎んだ。それ迄、飛影の優しさに触れられる資格を持っているとの自負は、その時粉々に砕かれた。ただただ、悔しかった。悲しかった。幼友達という歯痒い立場にも。それ以来、何度この気持ちを打ち明けてしまおうかと思ったことだろうか。貴方を攫ってゆけたらなば。

判っている。今の世の中は男子が少ない。正常な婚姻が出来ない者たちが大半なのだ。男と女の数が等しかったなんて話しははるか昔。いや、もしかすると、お伽噺に過ぎないかもしれないそんな話しは。それゆえに、女は必死に、懸命に、そして、強かに命の松明を繋げてゆきたいのだ、と。生きるよすがが欲しいのだと。自身とて、何人も女を抱いてきた。子供を授けてください、と、懇願する女たちを無下には出来なかった。飛影だけを責めるのは筋違いだということも判っている。

それでも、それでも、・・・

「女は子供が欲しいだけだ。俺が欲しい訳じゃない」

「優しい、ね。でも、残酷だ。・・・、そうそう、忘れてた。この前貴方に種をもらったって女、子供を懐妊したって家に来たよ。悪阻が酷いとかで」

嬉しそうに笑うその顔を切り刻んでやりたかった。腹の子供ごと。憎かった。どうしようもなく、憎たらしかった。自身では成し得ないことを、飛影には成してあげれないことを、その女は成した。意図も簡単に。望んでも望んでも、その肌に触れられない自身が惨めでならなかった。堪らなく悔しかった。悪阻に効く薬を渡した手が、怒りと屈辱で震えていたのをきっと一生忘れられない。

「そうか、お冬が。よかった」

よかった、だって?その言葉を聴き、渇と躰が熱くなった。無意識に蔵馬の表情は黒いものへと変質した。気づくと、自身でも思ってもないことを紡いでいた。

「フフフ。でね、その娘に堕胎剤あげたんだ」

「・・・っ!蔵馬、貴様!」

どうして貴方がそこで怒るの。何故、飛影。

飛影は蔵馬の胸ぐらを掴み、激しく躰を揺さぶった。

「何故そんなことをした!お冬は子供が欲しかっただけだ!それなのに、それでも貴様は薬種屋か!」

「・・・」

「なんとか云ったらどうなんだ、蔵馬!」

「・・・。嘘、ですよ。堕胎剤なんてあげてません。貴方の血を受け継いだ子供だもん。殺したくても俺には出来なかった。っ、・・・、ただ、憎かった。悔しかった。悲しかった。貴方に触れたことが。ただ、女ってだけで」

蔵馬の瞳からその時一筋の涙が零れ落ちた。始めて見るその顔に、飛影はただただ困惑した。

「蔵、馬?」

「子供が欲しいなんて理由は、自己満足の延長なだけじゃないか。そんなものの為に、貴方が犠牲になる必要がどこにあるっていうんだい。そんな安っぽい女なんか生きていく必要なんかない!」

「・・・、蔵馬。女たちは、ただ」

「判ってるよ、俺だって!皆ただ子供が欲しいってことくらい!俺だって何人もこの目で見てきたさ!」

貧しくて、種が買えない女たち。それでも、と、必死に働いて僅かな財産をなげうって懇願する憐れな女たちの姿。婿とりなど金がいる。ならばせめて、種だけをと。だが、例え生まれたとしても、男子であったならば、半分以上赤面疱瘡で死んでゆく現実。その際の母親が流す涙ほど、みられたものではない。あれほど悲しい涙はない。あれほど辛い涙はない。

どんなに望んだだろう。治療薬を夢みたことだろうか。薬種屋のくせに、誰1人救えない。救ってやれない。それでも必死に子供を生かそうと、みすぼらしい姿で家の暖簾をくぐり嘆願する。だが、それに応えてやれない。ただ、憐れに嘆く女たちを、その亡骸を抱く姿しか見ることが出来なかった自身。

でも、でも、でもね飛影、・・・

そんな憐れな女たちよりも、貴方の方が大切なんだ。

「俺は、俺は、・・・。ねえ、約束したじゃないか、昔。ここで、2人で誓いあったじゃないか」

飛影の双眸が驚愕で見開く。蔵馬は忘れたとばかり思っていた。

「そ、それは」

「駆け落ちしよっか、飛影。それとも、心中の方がいい?」

殊更蔵馬は笑ってそれらを云った。本心であるがゆえに。

「・・・。出来る訳ないだろう、そんな馬鹿なこと」

1度も考えなかったと云ったら嘘になる。でも、己にも、蔵馬にも大切な家族がいる。守るべき家族がいる。守るべき家がある。それを棄てる勇気はなかった。蔵馬にも棄てて欲しくはなかった。どれだけ蔵馬が母親を大切に思っているか知るがゆえに、尚更。蔵馬の父親も、赤面疱瘡で亡くなっている。その後、店を切り盛りしながら蔵馬を育ててきたのだ。愛情をたくさん注ぎながら。

「フフフ。そう、だね」

「・・・」

自嘲に笑みを浮かべる蔵馬の姿が、暫く忘れられそうになかった。

「で?」

「・・・、え?」

「クスクス。え、じゃないよ。貴方が俺を呼び出した本当の訳は?」

「・・・、っ!」

そう、だった。

1つ、2つ、と、飛影は息を飲むのと深呼吸を同時に行った。怖さからではなく、それは、未だに蔵馬に云うべきか否か迷っている証でもあった。

「・・・。俺、俺、な。“大奥”に行く」

刹那、2人の間に流れていた空気が凍結した。蔵馬の顔色は、塩のように蒼白になっていた。重苦しく、苦いものが漂い、それが更に2人を窮地に追いこんでいたのである。

「いつ?」

蔵馬は乾いた声でやっとそれだけを返せた。だが、反応は奇妙に歪んでいた。

「明日」

間違えようがない答えに、蔵馬の表情が苦々しく変化する。

「・・・!」

飛影に子供が出来たと知った以上に、蔵馬に衝撃が胎内を駆け巡った。あるいはそれは、限りなく恐怖に近かったかもしれない。

大奥、だって?

この時蔵馬の怒りは頂点を超えた。奇怪な笑みが口元を飾り、美しい筈の翡翠の瞳は、毒の光彩を放っていた。

「・・・。へえー、そう。貴方、そんなに綺麗な格好がしたいの、それとも、出世欲かい、行く行くは側室様とやらになりたいの、将軍様の父親になりたいのそんなに、今の公方様って確か御年7歳だったよね、そんな少女趣味だったんだ貴方?」

「ち、違う!蔵馬聴いてくれ!」

「なにが違うんだよ!」

ここ迄の怒りを見せた蔵馬は始めてだった。それだけに、飛影はいっそう途方にくれる思いだった。

大奥、なんて、大奥なんかにあがったら、一生会えなくなる。そんなの耐えられる訳ないじゃないか。

「・・・。雪菜に惚れてる男がいるんだ。でも、そいつは」

「知ってるさ、あの前田家の江戸邸家老の子息だろう」

蔵馬がそれを知っていたことに、飛影は驚き息を飲む。

何度か見かけたことがある。名だたる家の子息のくせに、お伴もつけずに。真面目そうな顔で、家に薬を買いにきたこともある。名家の子息らしからぬ気さくな振る舞いは好感がもてた。その際、恥ずかしそうに彼女のことを語っていた。だが、所詮は片思いだと何故その際たかをくったのであろうか。こんな、滑稽な結末が用意されていたなんて。

・・・、結局女に邪魔されるのか。どんなに貴方を思っても、どんなに貴方を望んでも。

雪菜ちゃんを嫌いな訳じゃない。飛影の大切な可愛い妹。でも、これでは憎んでしまいそうだった。飛影を奪われそうで。これ迄も、彼女は飛影の妹だから、と、自分自身に何度云い聴かせてきたことであろうか。それなのに。

飛影が大奥に行く理由にも察しがつく。可愛い妹の為に。氷龍の家を守る為に。

突然飛影は腕をとられ体勢を崩す、気づくと蔵馬の腕のなかにいた。きつく抱きしめられる腕のなかは心地よく、このまま時が止まれば、と、思うほど。

「行かせない。行かせない、絶対に」

「蔵、馬」

「行かせない!」

「蔵馬。もう、決めたことだ」

「嫌だ!行かせない!」

「蔵馬。それに・・・、俺はもう耐えられないんだ。見てられないんだ。お前が女を抱くことに」

ゆっくりと片方の腕を蔵馬の背に絡めた。直に伝わる体温が嬉しかった。

「卑怯だよ、そんな言葉は」

卑怯でもなんでもよかった。そこにしか、逃げ場がないのだから。雪菜の為、氷龍の家の血を絶やさない為も本音だ。だが、本当はそれ以上に蔵馬に抱かれる女たちの存在が怖かった。

「俺は俺は、飛影貴方のことが」

そっと、その続きを遮るように飛影は指先で蔵馬の唇を塞いだ。そして、静かに飛影の瞳から雫が1つ流れ落ちた。

「云わないでくれ、それは。聴いたら、行けなくなる。後生だから」

「・・・。飛影」

「・・・、頼む蔵馬。雪菜のことを。あいつ、きっと俺に変な遠慮して結婚を拒む。だから、お前が諭してやってくれ。頼む」

「判ったよ。・・・。でも、1だけつ約束して。貴方が公方様を守る為にすることはどんなことでも我慢するから、でもでも、男に抱かれないで、抱いたりしないで。お願い飛影」

「・・・。ああ、約束する」

もとより、もうこの心は蔵馬の為にあるのだ。躰を繋げる以上に深く。

見上げると蔵馬の翡翠の瞳と交差する。背伸びをした瞬間、ジャリと足音がたった。見開く蔵馬の唇に、そっと己のそれを重ねた。これでもう思い残すことはない。

離れてゆく唇に、蔵馬は噛みつくように再び重ね合わせた。貪るように、飛影の咥内を荒らす。幾度も角度を代え飛影の柔らかな咥内を味わう。微かに漏らす甘い吐息さえ愛しい。だから、力いっぱい抱きしめた。これが、おそらくは最初で最後だから。

蔵馬の胸に飛影は手のひらをあて、そっと押し退けた。

「飛影」

「・・・。達者でな」

境内を走り去る後ろ姿を、蔵馬はただ黙って見つめた。その瞳に焼きつけるように。完全にその姿が消えると、蔵馬は大樹に拳を降り下ろした。それと共に幾枚かの葉が地面へと哀しそうに揺れた。それはまるで、泣き方を忘れてしまった蔵馬の為に流された雫のようだった。










2012/11/17

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