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The dear devil was found. It is destiny to love it if it is destiny to fight again. Oh, you are my fallen angel.




凍て蝶 act.5


飛影は深い眠りから目覚めた。重たい瞼がゆっくりとした動作でもってあがることさえも、どこか他人事のような感覚だった。先ほど迄行われていたこと。それらが、全て夢であったならば。無意識に飛影はそう願っていた。奇淋だけならまだしも、“あの”蔵馬に迄抱かれた。云い訳など出来ないほど、喘いで喘いで、男を受け入れ、汚された。朦朧とする意識のなか、自ら最後は蔵馬を求めてさえいた。

どこから歯車は狂ってしまったのであろうか。

「やあ。漸くお目覚めのようですね」

覚醒すると共に、1番見たくはない蔵馬がいた。どこから持って来たのか、1つの椅子にその長い足を組み座して。ふてぶてしい迄の表情を浮かべ。狂気を司る悪魔が存在するならば、おそらく、眼前の蔵馬がその称号をうけるに最も相応しいであろう。

「・・・」

「クスクス。そんなに睨んでも遅いですよ。そうそう、はい、プレゼント」

半身を起こしたベッドの上に、1枚のDVDが投げられた。白いそれに、なにが映っているかなど聴かずとも飛影は理解した。沈澱していた怒りと屈辱が、冷えることを知らないマグマの如く再燃する。爪が手のひらにくい込むほど飛影は拳を造っていた。その後、ベッドに立てかけておいた愛刀に手が延びていた。静寂であった室内に、切り刻む音と飛影の声にはならない悲痛な叫びが鳴り響く。それらは床へと散り散りに散布された。光りを放つそれらに、己の瞳が映っていた。空洞化したような虚無の赤い瞳。まるで、今の自分自身がそのようであると示されているかのようで、飛影は唇を噛むと、その赤々と映っている欠片に剣を深々と突き立てたのだった。何度も、何度も。自らを斬るかのように、それは激しかった。

抵抗出来なかった自分自身への怒り、この自身に抱かれた屈辱と敗北感。それらが飛影の裡で荒れ狂う様を、蔵馬は冷ややかな眼差しでもって眺めていた。

不意に唇の端だけをつり上げ、蔵馬は冷静に言葉を紡ぐ。

「フフフ、そんなに粉々にしても無駄ですよ。それ、コピーですから」

「・・・。だろう、な。実に貴様らしい」

「誉め言葉とうけとっておきますよ」

蔵馬はおもむろに立ち上がると、殊更に美しい笑みを造った。誰が主導権を握っているかを知らしめるかのように。その翡翠の瞳は、この時、間違いなく飛影を圧倒さえしていたのである。見えない鞭で、全身を絡めとられたかのような恐怖が飛影を襲う。

「勘違いをしていませんか、貴方」

「どういう意味だ」

「自分だけを被害者にしていませんか。俺と貴方は同罪です。いや、俺をこうした罪を考えれば、貴方の方にこそ寧ろ大罪をとうべきでしょうね」

「・・・?」

「貴方はただ純粋に幽助を愛していただけだ。そう、云いたいのでしょう。愛することは罪ではない。俺だって純粋だった。でも、ね、飛影。貴方は幽助を裏切ったんです」

同時に自身へも、幽助が最も愛している彼女に対しても。裏切りに勝る罪はない。だからこそ、そこから始まる復讐はこの世で最も残忍であり、そして、残虐なのであろう。その黒い焔は、自らをも焼きつくすと承知しながら。あるいは、復讐者は焔を消し去る術を自ら放棄するのであろうか。それゆえに、他者からはその復讐の焔は、黒々と、また、恐ろしく感じるのかもしれない。何れにしても、蔵馬は自ら定めた運命の扉を閉じる意思はなかったのである。

「信頼も友情も親愛も。あのたった1度の口づけで。貴方が全て壊したんです」

耐えていればよかったのに、ただ耐えてさえいてくれたならば。そうしていてさえくれたならば、こんなにも醜い闇を心の裡に見つけ出すこともなかった。他人から云わせれば、詭弁にさえも値はしないであろう。それでも、いや、それだからこそ、蔵馬にとっては正論だったといえた。ただ、黙って貴方を見守って生きたかった。寄り添っていたかった。例え愛してくれなくとも。貴方と伴にありたかった。ささやかなそのたった1つの願い迄をも、貴方自身の手で砕いたのだ。

だから、全部奪って壊してあげる。貴方から全てを。幽助を愛しいというその感情も、砕かれ始めた心の欠片さえも。奪って奪って、奪いつくして、・・・

貴方の罪深さを、そして、自身の愛憎の深さを、その身に刻み込んであげる。

「貴方のしたことと、俺のしたことになんの違いがあるというんです」

「・・・っ!」

飛影の腕に突然痛みが走った。蔵馬に腕を掴まれた為だった。

「い、痛い、蔵馬」

「ええ、俺だって傷が痛みますよ。貴方につけられた傷が、ね」

永遠に消えない傷跡。そして、広がるばかりの醜い跡。そこから流れ落ちる血は、無念の涙なのだろうか、それとも、別の意味を有しているのだろうか。今の蔵馬にはそれを知る術はなかった。知ることを拒んでいたのかもしれない。

「でも、もう覚悟を決めたんです俺は」

貴方のたった1人に。貴方自身にさえ、購うことを赦さない死神になるのだと。

「・・・」

「これを」と、手のひらに包まれた機械に飛影は訝しげに蔵馬を見上げた。しかし、そこにいたのは、飛影がよく知っていた蔵馬ではなかった。始めからこういう奴だったのだろうか。なにもかもを拒むかのような暗い翡翠の瞳が飛影を見下ろしていた。それとも、それとも、己が蔵馬をこのように代えたのであろうか。疑心暗鬼の厚い雷雲が飛影の裡を蝕んでゆく。やはり、罪は全て己に帰すのだろうか。愛してはいけなかったのだろうか、幽助を。でも、もう、心を昔には戻せない。

「携帯です。これが鳴ったら人間界に来て俺に抱かれてください」

「な!?ふざけるな、貴様の性欲処理に付き合う義務はない!」

「クスクス。義務?言葉を間違えないでください飛影。俺はね、“命令”しているんです」

「っ!・・・、嫌だ、と、云ったら」

「フフフ、判っているんじゃありませんか。命令違犯は即“あれ”を巧く利用させてもらいます。貴方が最も嫌悪するであろう方法で、ね」

そのセリフにゾッとする。脳裏に焼きついた忌まわしき光景。奇淋に、そして、目の前の蔵馬に。この時になって飛影は漸く、自分自身の両手両足に蔵馬が張り巡らした蜘蛛の鎖が巻かれたことに気づいたのだった。自分自身の軽率さがもたらした罠。もがけばもがくほどあがなえない蜘蛛の巣に囚われた、と。

蔵馬から離れた飛影は、壁を背にずるずると崩れ落ちてゆく。鼓膜には、蔵馬の不気味な笑い声だけが鳴り響く。

「クスクス、判ってくれたみたいですね」

少しでも逆らえば、雪菜、そして、幽助に見せると、言外に蔵馬が云っていることに気づき、背筋にいやな汗が流れ衣類を濡らした。それは、まさに、見えない恐怖との幕開けでもあった。

それほど罪なのだろうか。ただ、幽助を好きになったという一事が。

「・・・、俺は、ただ、ただ」

座り込んだままの姿勢で、飛影は機械のように、そればかりを続けていた。ほんの一瞬、蔵馬の瞳が細められた。憐れんでいるようにも、怒りに震えているようにもそれは見えた。

「ええ、貴方の気持ちはよく判りますよ。愛しい人に愛してもらえない苦痛を、ね」

誰よりも1番に判る。だって、貴方を愛しているこの気持ちに、嘘偽りなどないのだから、・・・

やがて蔵馬は漆黒の長い髪を靡かせながら、飛影の部屋をあとにした。





※ ※ ※





百足の上で、今日も代わらずパトロールの指揮をとる飛影。しかし、その醸し出す雰囲気に幾人か訝しむ。やつれたと云うに相応しく、また、それを如実に露にしていたのは、その虚無な両の瞳であったかもしれない。意思を示していたかのような、赤々と松明を思わせた美しい光りは消え去り、代わって、暗く濁った汚泥が沈澱していた。

何事かが飛影をそのように代えたのか、その興味はあれど、誰1人としてそれを質す者はいなかった。1度、飛影を慮り休養をすすめた妖怪がいたのであるが、その者は、次の日忽然と百足内からもこの広大な魔界そのものからも姿を消したのだった。その為、飛影へ向けるものが純粋な心配であったとしても、触れてはならないという暗黙の了解が百足の戦士たちの間で交わされたのだった。飛影と、もう1人奇淋は、神隠しのように消した妖怪が誰であるかを悟ってはいたが、本人にそれを質すことは叶わなかったのである。もとより、もうその妖怪はこの世にはいないであろう。それが判るゆえに尚更。

ピッピッと、どこか乾いた機械音が辺りを包む。その音に幾人かは確信を抱く。この音が奏でられると、この百足から元筆頭戦士が姿を消す。そして、数日後、よりいっそうなにかにとり憑かれたかのような表情で舞い戻るのだった。

飛影は慌てる訳でもなく、淡々とした表情でその場を後にした。あるいは、飛影はそのような態度をとることで、失われつつある理性をどうにか保っていたのかもしれなかった。その姿を目に捉え、逡巡の後、奇淋は飛影の後を追った。

「待て、飛影」

「・・・、なんだ」

「蔵馬からの呼び出しなのであろう?」

答えたくはないのか、それとも、奇淋自体にかかわり合いを持つことを恐れてか、飛影は無言になる。奇淋の方も敢えてそれに言及はしなかった。

「少しでも休め。今のお前は見ていられぬ」

「・・・、クッ、フフフ」

飛影には似合わぬ、乾ききった単調な笑い声だった。裏を返せば、それほど迄に今の飛影は追いつめられているという他ならない。

「今更謝罪のつもりか」

「確かに、今更だ。お前に今の元凶を与えたのは俺自身だということは痛いほど認識している。だからこそ、罪滅ぼしをさせてくれ」

「馬鹿か貴様は。そんなことをすればどうなるか、先日消えた奴の二の舞になるのは判りきってるだろう」

ここ─百足─には蔵馬が仕掛けた盗聴機がそこかしこにあるのだ。躯とて気づいてはいない。飛影との接触、それ自体、蔵馬からの報復は免れ得ない。奇淋とて、重々承知の筈だ。

「蔵馬のとこから帰ったら、俺の部屋で休むといい」

「・・・。貴様の部屋だと?」

「誤解するな。もうお前をどうこうするつもりはない。俺の部屋のなかはもう盗聴機の類いはない。お前自身の部屋には奴が仕掛けたものがあるのだろう。だから休め」

確かに、蔵馬から携帯を渡されてからというもの、睡眠さえろくにとってはいない。眠ろうとすると蘇ってくる屈辱感と、それをもたらしている蔵馬の数々の表情。食事さえも喉を通らずにいた。明らかに体力の限界は目の前に来ている。しかし、休息などをとっても、この煉獄からの根本的な脱出に繋がらないことを、誰よりも飛影自身が判っていた。

「構うな、放っておけ」





「いらっしゃい飛影」

「・・・」

飛影は蔵馬の部屋に入ると同時に、自ら進んで服を脱ぎ始めた。

「クスクス、いい心がけだね」

「さっさと犯れ」

「その前に確認です」

「?」

「奇淋にまた抱かれたの」

奇淋の名が出てきたことに、訝しむより速く飛影は察した。先ほどの会話を聴いていたのは明らかである。

「聴いていたんじゃないのか」

「まあ、ね。でも、貴方自身からも聴きたい」

ここで、抱かれたなどと嘘を云ってもなにも代わらない。しかし、目の前に然も当然のように君臨する蔵馬に対し、ふつふつと沸き上がる抵抗心がこの時ばかりは飛影は抑え得られなかった。今迄抑えつけていた負の感情が一挙に爆発し、そしてそれは、反射的に肯定的な言葉を飛影に紡がせていた。

「そうだ。と、云ったら」

突然であった。かわそうと思えばかわし得たかもしれない。しかし、蔵馬の常軌を逸脱したかのような狂気の瞳が、この時の飛影の動きを完全に封じてしまっていた。頬に残る痛みを再認識し、飛影は呆然と蔵馬を見上げた。そこには、代わらず支配者が君臨していた。

「誰がそうしていいと云った」

血の通わない冷静沈着な声だった。淡々と、目の前の事実だけを貪欲に求める冷たい氷のような。

「・・・」

「貴方を抱いていいのは誰」

「・・・。蔵、馬」

「クスクス。そうです。さあ、おいで飛影」










2012/6/9

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