56


「……つっかれたー……」


今日最後のドリンクも用意し終え、私は木の建物の部屋にあるソファに倒れこんだ。


「お疲れー芹菜ちゃん、頑張ったねー」


洗濯カゴを抱えながら入ってきたのは恵子さん。
私と同じかそれ以上お仕事しているはずなのに、あんまり疲れているようには見えない。


「……けいこさーん、つかれてないんですかー?」

「いや疲れてるよかなり。あたしは去年も経験してるからね。伊達に3年間マネージャーやってないよ」


そっか、去年も合宿いったって橘くんいってたな。
ってことは去年はこれを恵子さん1人でやってたんだね。
素晴らしい体力だ。


「今回は芹菜ちゃんが仕事半分手伝ってくれたから、ほんとに助かったよ。ありがとう」


そういって私の頭をよしよしと撫でてくれた。
最近は男の子に撫でられることが多かったけど、やっぱり女の子だと違うな。
指も細いし、触り方とか優しいし、恵子さん美人だし。


「……芹菜ちゃん、顔緩みまくってるよ」


おっと失礼。





練習はあと30分ほどで終わる。
その後部員はお風呂に入ることになっているらしい。
なので、私たちはそれまでにこれから別荘で夕飯の支度をしなければならない。

基本的に大人は干渉しないというのがこの合宿のルールだから仕方ないんだけど。



「夕飯、何にしましょう?」

「んー、初日だし無難にカレーでいいんじゃん?合宿に慣れてない1年にいきなりガッツリしたもの出しても可哀想だし」

「あー、そうですね」


料理についてはなんとか大丈夫だ。
これでも毎日家で作ってるもん。
自己流とはいえ、人並みには出来る。


ということでキッチンに来た私たちは夕飯の準備をする。
まあカレーは野菜やお肉を切って煮るだけだから楽だ。


「おー、芹菜ちゃん手際いいね!!料理は結構やってるんだ?」

「はい。私がいつも兄たちに作ってるので。たまに交代もしますけど」

「……兄たちって、芹菜ちゃん家兄弟何人?」

「あ、いや、兄弟は兄1人で、あとは翔音くんが」

「………………結婚すんのッ!!??」

「違います!!」


包丁持ちながらこっちに詰め寄ってきたので、私は慌てて後ずさった。

お願いだから包丁をこっちに向けないで!!
刺さる!!


「……まあ、かなり気になる話だけど、家庭のことについては聞かないことにするよ。野暮だしね」

「……そうしてもらえると、嬉しいです」

「でも”翔音くんのこと好き?”っていう質問には答えてくれるよね?」

「ぶはッ!!」


思わず吹き出してしまった。
もちろん、切ってる野菜とは違う方向いたよ!!


「な、ななななんなん……!?」

「あっはは!!顔真っ赤ー!!聞かなくてもわかるねこれは!!」

「そ、そんなに笑わなくても……ったァア!!」

「……えっ、芹菜ちゃん?、嘘、ごめん指切っちゃった!?」


かなり動揺した私は思わず包丁で自分の指を切ってしまった。
切ったっていってもそこまで深くないけど、ツーッと血が流れていく。

うわぁ、料理はじめたばっかりのときはよくやってたけど……。
切ったの久しぶりだなぁ。



「……先輩ら、料理するときもうるさいんですね」

「「うわあぁぁああっ!?」」


突然後ろからの声に私と恵子さんは驚いて同時に叫んでしまった。


「き、桐原!!脅かすな、こっちは包丁持ってんだから!!」

「勝手に驚いたんでしょう。俺は悪くありません」

「あんたほんっと生意気な!!夕飯抜きにするよ!?」

「たかがこれだけのことで夕飯抜きにするなんて心が狭いですね。サッカー部の正マネージャーとしてどうなんですか。ねー、芹菜先輩?」

「そこで私に振るの!?」



どうしていいかわからず、焦っていると、その桐原くんの後ろから部長さんがやってきた。


「おお、夕飯はカレーか!!いいな!!……にしても桐原、風呂でてすぐにここにくるなんて、そんなにこの2人に会いたかったのか?」

「部長、そんなにカレーと一緒に煮られたかったんですか。待っててください、今デカイ鍋持ってくるんで」

「すいまっせんっ!!桐原様許してぇぇぇ!!」






「そういえば、中里と藍咲は風呂まだだったよな?」


夕飯を全てテーブルに運び終えたとき、部長さんがそんなことを聞いてきた。


「そうだけど?何、セクハラ?」

「何でだよ!?聞いただけだろ!?」

「いや、あんたの存在そのものがもうセクハラみたいなものじゃん」

「桐原も中里も2人して俺に対する当たりが強いよ!!俺部長だよ!?」


嘆く部長さんに、ハイハイとテキトーに相槌を返す恵子さん。
うん、仲がよろしくてなにより。


「で?そのお風呂がどうしたの?」

「あ、あぁ。夕飯の片付けは俺らでやるからさ、飯食ったら風呂いっちゃっていいよって。な、藍咲も風呂いってこいよ」

「この眼鏡!!芹菜ちゃんにまでセクハラすんな!!この子は健気にマネージャーの仕事頑張って疲れてるんだから!!」

「えぇぇえ話振るのも駄目なの!?」


口を挟む隙もねぇ。



「あっ、そうだ芹菜ちゃん、指は!?さっき切っちゃったでしょ?大丈夫!?ごめんね!!」


切ってしまった私の左手の人差し指を見て恵子さんが謝ってくれたが、そういえばすっかり忘れてた。

切ったままにして消毒も絆創膏も何にもしていない。


「んー?何だ、藍咲は怪我でもしたのか?」

「……あ、いや、包丁でちょっとだけ指切っちゃっただけだから……」

「そうか。あー、天城ーっ、いるかー!?」


私の切った指を見た後、この部屋にいるであろう陽向くんに向かって声を大きく上げた。


「はぁーい、いますよ!!何ですか部長?」

「悪いんだけど、救急箱持ってきてくんねー?」

「……?はーい!!」


これくらい大丈夫だと言うよりも前に陽向くんはいってしまったために、私の声が通ることはなかった。





「持ってきましたよ部長ー!!」

「おー、サンキュー!!」


陽向くんから救急箱を受け取った部長さんは、その中から消毒液とコットン、絆創膏を取り出す。

この状況にピーンときたのか、陽向くんが突然挙手をした。


「あ、それ!!僕やりたい!!僕にやらせてください!!」

「ん?あぁ、まあいいけど、ただの消毒だぞ?」

「こういうことは、1年の僕がやることですから!!」


部長さんから消毒液などを受け取ると、陽向くんは私の手を引いてキッチンの方へと歩き出す。



「……あ、あの、陽向くん?消毒くらい自分で出来るよ……?」

「いいんです、僕がやりたいだけですから!!」

「いやぁでも、せっかくの夕飯冷めちゃうし」

「……僕に手当てされるの、嫌……ですか、?」


眉をハの字に下げて顎を引くものだから、どうしてもその表情が上目遣いをしているように見えてしまう。

それに加えて泣きそうな顔をしてくるのだ。


ああああ何だこれ、何かイケナイことをしている気分!!


「……手当てを任せられないくらい、僕は頼りないですか……?」

「そ、そんなこと思ってないよ!!……ただ、夕飯はあったかいうちに食べた方が美味しいよっていいたくて」

「確かにそうですけど、僕らのために作った料理で怪我をしたなら、尚更こっちを優先したほうがいいですよ」


ね?と、私の怪我をしたほうの手を両手で優しく包み込んで微笑んでくれた。

何も言い返せないなと思い、困ったように笑いながら手当てをお願いすると、パァァッと笑顔になった陽向くんが元気よく返事をした。



「……そういえばさ、」


手当てをしてもらったあと、私たちはやっと夕飯にありつけた。
端っこの席しか空いてなかったので、陽向くんと向かい合って座ることになる。

そして食べている最中ではあるが、私はふと思い出したのだ。


「さっき、桐原くんに会ったよ」

「えっ、ほんとですか?」

「うん。夕飯作ってるとき。多分早くお風呂から出たからだろうね」

「あぁ……確かに棗先輩はすぐに上がりましたねー」


カレーをもぐもぐと食べながら思い出すように視線を上に向ける陽向くん。

そんな彼のお皿にはタマネギだけが綺麗に残っていた。
……タマネギ嫌いなんだね。


「……んー、桐原くん、特に不機嫌そうには見えなかったけど」

「……そうですか。僕の勘違いですかねー?」

「部長さんと恵子さんと普通に話してたよ。いつもの生意気さありきで。……あぁー、でも、最後に同意を求める感じで私に話を振ってきたのはちょっと珍しかったかも」


普段ならそんなことはしないと思う。
あなたも同じですよ的なことを言われそうなのに。






それからしばらく陽向くんと喋りながら夕飯を食べ終え、私と恵子さんはさっそくお風呂へと向かった。

もう旅館としかいえないくらい立派なお風呂で、しかも露天風呂付きである。


「芹菜ちゃん、どうする?泳いじゃう?」

「そうですね!!……っ、え、いや泳ぎませんよ!?」

「あっはは!!まっ、そりゃそうか」


危ない危ない。
そのまま乗せられるところだった。


「ゆっくりお風呂ーっていきたいところだけど、この後全体のミーティングあるから、早めにでないとね」

「あ、そうですね。……ミーティングって何するんですか?」


頭や体を洗い終え、せっかくなので露天風呂につかる。
体の芯から温まり、今日の疲れが取れていく感じがしてとても気持ちいい。

頭を洗ったシャンプーやトリートメントも、持ってきたものではなく、置いてあるものをつかった。
1回使っただけなのに、髪がとてもサラサラになって感動しているところだ。


「うーん、まぁ大体は今日の反省だね。お互いに言い合うことで分からなかった自分の欠点を見つけられるし。そしたら次の日、それに気をつけて練習できるでしょ?」

「あー、なるほど」

「あと、どんな練習をしたいかっていうのを決めたりもするかな。ある程度は決めてあるけど、実際練習してみないと、今後に必要な練習なんてわからないし」


その他にも、ミーティングには交流を深めるって意味もあるらしい。
確かに普段部活をしているだけじゃ、話す機会なんてあんまりないもんね。

合宿って泊まりがけだから、いろんな事が経験できるんだね。
普段そんなに話さなくても、修学旅行で同じ部屋になった子と急に仲良くなるのと似た感じかな。


「……そろそろ出よっか。髪乾かす時間欲しいしね」

「あ、はい!!」






髪を乾かして集まった場所は、畳が敷き詰められている大部屋だった。

サッカー部員は数十人はいるのに、余裕で部屋に入ることができた。

全員が畳に座ったところで、部長さんがあたりを見渡す。


「よーし、みんな集まったかー?早速だけど、まずは今日の反省会から始めようと思う!!」

「はーい、今日も部長の眼鏡はイマイチでしたー」


挙手しながらいった恵子さんの言葉に、部長さんは頭から地面に沈んだ。
そんな部長さんを、1年生たちが慌てて慰めている。

……いつもの光景なのかな。


「さ、眼鏡は使い物にならないから……桐原!!あとはよろしくー!!」

「……何故俺が指名されるんですか」

「桐原は次期副部長でしょ?今んとこ次期部長のほうはまだ決まってないから、もしかしたら桐原が部長って可能性もあるんだからね。こういうときに経験したほうがいいよ!!」

「……最初からそのつもりで、部長を使えなくしたんですね」


桐原くんの睨みにものともしない恵子さん。
とばっちりを受けた桐原くんだけど、彼だって来年は副部長だ。
ため息をついて面倒くさそうな顔をしつつも、すぐに真剣な表情に変わった。


「……じゃあまずは1年から、その次に2年、最後にレギュラーの順で発言してください。人数が多いから、学年ごとに分かれて反省どころをまとめてください。レギュラーは1人1人発表をお願いします」


そして20分間話し合う時間をもうけられた。
恵子さんは様子見のために1年生のところへ行き、私は知りあいが多いということでレギュラーの話し合いに参加することになった。

ちゃんと書き留めたほうがいいと思ったので、私は持ってきていたノートとシャーペンを取り出す。

ここに来るときに、恵子さんに必要かもしれないと言われてたから持ってきたけど、役に立ってよかった!!






話し合いの時間も含めて約1時間のミーティングが終了した。
今日反省したことを意識しながら明日の練習で克服していく。

もちろん、克服するのは難しいだろうけど、駄目だったところに気づくことが出来たのは大きな進歩だと思う。
明日からまた大変になりそうだな。



部活の合宿ということで、とくに決まった消灯時間はないため、ミーティングの後は各自自由時間となった。


「んー、何にしようかなー」


そのまま部屋に戻るのもつまらないので何か飲もうかと思い、ちょっとした休憩所みたいな場所にある自販機に来た。

もう夜も遅いし、電気を付けると全体が付いてしまうので、ここの階は真っ暗だ。


「……な、何か出そう…………うわやだ早く買っていこう!!」


とりあえずコーラでいいかと思い、ポチッと押した。
ガシャンという缶が落ちる音だけがむなしく響く。

飲み口を開けようとして、ふと手が止まる。

……そういえば、普通はこれ片手で持ってもう片方の手で開けるけど、たまに片手だけであける人いるよね。

何故かはわからないけど、パッと思いついたくだらない発想。
私は右手で缶を持ち、飲み口の取っ手に人差し指をかける。


カツン、という指が滑った音しかしなかった。


開けられねーよ!!
何、みんなこれどうやって片手で開けてんの!?


相変わらず、カツンカツンという音だけが響く。
無理だ、人差し指に力が入らない。


カツンカツンカツンカツン




「……何してんの」

「っ、うひわぁ!!??」


突然自分以外の声がして缶を落としそうになった。

や、やばい何かいる……!?
話しかけられた!!
うわあああ嘘だ嫌だ!!


「ああああ悪霊退散悪霊退散!!」

「……ハァ……、よく見てよ」

「……ん?」


自販機の明かりをたよりに、ゆっくりと顔を上げる。


「…………か、……のん、くん」


私の目の前には、呆れた顔をした美少年がいた。







しばらく無言の状態が続く。

え、何この空気。
私が一方的に会いづらいだけなんだけど、それとはまた違う感じ。
そんなに私が今やってたこと変だった!?
だからそんなため息ついてんの!?



「……缶、開かないの?」


私の手にあるコーラを見てそういった。


「……あ、……えーっと、うん……」

「……貸して」


翔音くんに手渡すと、やっぱり両手で開けようとしている。
……あ、どうせなら。


「……あの、さ、それ片手で開けられる?」

「……?」


私の言葉にきょとんとしていたが、渡したコーラに視線を戻すと、それを右手で持ち、人差し指を取っ手に引っ掛ける。


カチッ、という音とともに缶が開けられた。

えええッ!?
何、翔音くん凄い!!
実は怪力の持ち主だったの!?


「……凄いね翔音くん、片手で開けられるなんて。天才だよ」

「……普通じゃない?」

「そんなまさか」


全く普通じゃねーよ!!
世の中の普通の人に謝れ!!

そして開けた缶を私に渡してくれるのかと思いきや、なんと翔音くんは自分で飲み始めてしまった。


「ええっ、ちょ、それ私のコーラ!!」

「……喉渇いてて」

「自分で買えばいいでしょ!!」

「金が無い」

「バイトでがっつり稼いでるじゃんんんん!!」


たかが100円だよ!?
つかその100円で取り乱してる私もどうかと思ったけどさ!!

そう言い争ってる間に飲み終わったようで、空き缶をゴミ箱へと捨てた。

あー、私の100円……。




「……芹菜は、1人で何してるの」

「何って、寝るまで暇だったから飲み物を買いに……、」


そこまでいって私はハッとする。
何か普通に会話しちゃってるけど、今とても気まずい状況だった!!

ど、どうしよう。
今更開き直るのもあれだし、避けてたのにこのまま話し続けるのも変だし……。


…………に、逃げるか?



「……逃げないでよ」


即、後ろを向いて逃げ出そうと足を踏み出した瞬間、腰に腕を回され逃げられなくなってしまった。

有無を言わせない声のトーンに身震いする。
うわ、終わった。
何がって、私の運命が!!
散々避けてたもんね。
殴るとかそういうことはしないと思うけど、怒るくらいのことは絶対ある。

避けてたこと謝ればいいんだけど、きっと翔音くんは避けられた理由とか分かってなさそうだしなぁ。

……怒鳴られるかなぁ、見たことないけど。
それとも無言の圧力とか……うわああめっちゃ怖ッ!!


想像しただけでゾクッとした私は何とか逃れようと身をよじるが、翔音くんだって男の子だ、簡単には抜け出せない。

んんんもう!!
どうしたらいいの、どうしたら離してくれるの!!




「…………、逃げないでよ」


さっきと同じ言葉。

なのに、その声は震えていて、すごく悲しい感じがした。
その声のせいで、逃げ出すのを躊躇する。

私が一瞬止まったのをいいことに、もう片方の腕も腰に回され、後ろから抱き締められている状態になった。
いよいよ完全に逃げられない。

どうしよう……っ、これ、どうしたら……!!



「……どうして、俺から逃げるの……、」


翔音くんは私の肩に顔を埋める。
さっきよりも、もっと声が小さい。
所々掠れていて、消えそうな声だ。

離してほしいけど、そんなことをいったら何かが壊れてしまいそうで、私は何も言えなかった。


「…………俺が、嫌いになった?」

「……、ち、違う」

「じゃあ、何で逃げるの……?」

「…………」

「…………」

「………………い、言わなきゃ、駄目?」

「言わないと離してあげない」


く……ッ、意外とタチが悪い……!!

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