◎ 55
「……え、何ここ、ホテル?」
バスに揺られること1時間。
到着した場所は緑が生い茂る森の中。
近くには川も流れているらしく、とても自然豊かなところだ。
こんなところに別荘、ましてやサッカーのフィールドなんてあるのかと疑問に思ったが、別荘に行き着くまでの間に通りかかったフィールドは、そりゃあもう立派なものだった。
本物のスタジアムにあるものと比べると少し小さいみたいだが、それでも私にとってはとても広く感じた。
そして肝心の今日から3泊4日する場所である別荘はというと……。
「すっげーだろ!?部長の親戚の別荘!!俺ら去年もここに泊まったんだ」
橘くんが私の隣で楽しそうにいう。
「じゃあ毎年ここで合宿してるの?」
「おう。まぁ毎年っつっても去年からだけどな」
こんなひろーい別荘に泊まれる上にあんな素敵なフィールドで練習できるのか。
贅沢だ。
「アホ面してる暇あるならさっさと歩いてくれませんか。置いて行きますよ」
私の横を通り過ぎるときにそういった桐原くんの顔は明らかに”お前そこに突っ立ってると邪魔なんだよ”的な顔をしている。
素敵な別荘に見惚れる時間くらいあってもいいじゃないんですかね!!
「……さっさとっていっても、荷物あるからそんなに急げないよ」
「……俺、電話で必要最低限の荷物でいいっていいませんでした?」
「いってたけどさ。3泊4日だよ?着替えとかもあるし……。女の子は荷物が多いものなんだよ」
「芹菜先輩ならむしろ手ぶらでも平気だと思いますよ」
「遠回しに私が女じゃないってことだろそれ」
大きなカバンを肩にかけなおすと、ズシッとした重みが肩に響く。
うぅ、重い。
これでも結構減らしたつもりなんだけどなぁ。
のそのそとした足取りで桐原くんを通り過ぎようとすると、呆れたようなため息が聞こえた。
「……遅すぎ。亀ですか」
「う、うるさいな!!しょうがないじゃん!!持ってみる!?私のカバン」
私がキッと睨んでカバンを差し出すと、意外にもそれを受け取ってくれた。
あれ、持ちませんよとかいわれるかと思ってたのに。
「……何入ってるんですかこの重さ」
ボソッと言われてしまった。
すみませんね、プライバシーあるから内緒だよ内緒。
「ね?結構重いでしょ?」
返してくださいの意味で私は桐原くんに手を差し出す。
それをみて桐原くんもカバンを下ろして私に渡してきた……けど。
「……あの、これ桐原くんのカバン……」
渡されたのは桐原くんのものだった。
私のはというと、そのまま桐原くんが持ってくれている。
「……俺の荷物のほうが軽いはずですよ」
「……まあ、確かに軽いけど……」
「何ですか?まさか俺に自分と貴女の荷物両方持たせる気ですか。ふざけないでください」
「いやいや私何もいってませんけど!?」
「交換に決まってるでしょう。荷物は全部男が持ってくれるなんて勘違いにも程がありますよ、何様ですか」
「だから何も言ってないって!!」
蔑むような顔で悪態をついてくる桐原くん。
私完全に被害者だよねこれ!?
重さ分からせるためにちょっと荷物持ってもらっただけで、こんなに深読みされなきゃいけないの!?
悪態つきたいのはこっちだよ!!
「とにかく、さっさと歩かないと本気で置いていきますよ。……あ、それと荷物を交換して持つのは別荘の入り口までですからね。あとは自分で持っていってください」
「え?あ、うん……。……でも、何で入り口まで?そりゃあ自分の荷物は自分で持つのは当然だけど……何か中途半端っていうか……」
「……何で芹菜先輩ってそんなに察しが悪いんですか?素なんですか、素でボケてんですか、たち悪いですよマンホールにはまれ」
「息をするかのように悪態をつくなよ!?」
「ああもうこんな人待つ必要無かったですね。俺行きますから。その荷物、地面に落としたりしたら芹菜先輩が飲むもの全てに塩投入しますからね」
「陰湿ゥゥゥ!!」
別荘に着くなり、持っていた桐原くんのカバンを引ったくられ、代わりに私のカバンを強引に持たされ、その場を去ってしまった。
まあ自分の荷物戻ってきたからいいけど……。
部員たちの部屋は全て2階にある。
私たち女子部屋はその1番奥の部屋だ。
「へー、ここがあたしらの部屋なんだ。結構広いじゃん」
恵子さんが部屋のドアを開けていう。
もともと4人部屋だったのを私たち2人だけ使うことになってるから、かなり広く感じるだろう。
私たちはそれぞれベッドの横に荷物を置いた。
「……あんたのカバン、随分重そうだね。何入ってんの?」
「あー……着替えとか、靴とか、シャンプーとか……」
「シャンプー?そのくらいこの別荘にもともとあるよ?」
私もそう思った。
でも朔名が、置いてあるシャンプーとかって合わないの多いだろ?とかいって強引に家にあったやつ入れてきたんだ。
それをいったら恵子さんに、妹思いだねとかいわれたけど、正直いらない優しさである。
朔名(お前)は女子か。
「じゃあここまで運ぶの大変だったっしょ?駐車場から結構距離あるからねー」
「あ、いえ、カバン持ってたの私じゃなくて桐原くんで……」
「え、何それ、その話もっと詳しく」
え、何か食いついてきた!?
「なーるほど?それでカバン持ってくれたんだ」
私はさっきあったことを全部話した。
だんだん恵子さんの顔がニヤついてくるから、ちょっと疑問だったけど。
「珍しいこともあるんだねー。桐原が人に……っていうか女の子に優しくしてるとこなんて全く想像できないわ。あの子超生意気だし?」
「ま、まあ否定はしませんけど……。あ、でもちょっとわからないことがあって……」
私のカバンを持ってくれたことは嬉しかった。
私も桐原くんのカバン持ってたけど、重いものを代わりに持ってくれたわけだし。
でも、何故かこの部屋までは持ってきてくれなかったんだよね。
まあ持ってくれてるのに、そんな偉そうなこと言えないけどさ。
「あぁ、それきっと恥ずかしいからじゃないの?」
私がその疑問を話すと、何てことないように恵子さんがさらりといった。
「……は、恥ずか、しい……ですか?え、どのへんが?」
「あれ、わかんない?……芹菜ちゃんてこういうの鈍いほうなんだね」
桐原くんにも似たようなこといわれたんだけど!?
一体何のこといってんの!?
「よく考えて。ここ、女子部屋だよ?気にしない奴もいるだろうけど、やっぱり男である自分が無闇に女子の泊まる部屋にいくのは抵抗があったんじゃないの?」
……な、なるほど……!!
あの桐原くんが遠慮なんてとも思うけど、でもちょっと納得できるかもしれない。
「桐原くんにも人に気を使う心があるんですね……!!」
「それ本人に言ったら殺られるからやめなね」
動きやすい服に着替えたらすぐに練習場へと向かった。
今回の合宿、もちろん引率する先生はいるけど基本的に練習に口出しはしないことになっている。
自己管理は当たり前だが、練習メニューや食事なども全て自分たちでやらなければならない。
確かにこれじゃあマネージャー1人だとなかなかハードかもしれない。
私も気を引き締めて挑まないと!!
ということで、練習の前にまずはペアを組んで柔軟体操。
いきなりハードな練習をしたら肉離れを起こす可能性があるので、柔軟はしっかりとしなければならない。
「芹菜せんぱーいっ、柔軟一緒にやりませんか?」
きゅるんとした可愛らしい笑顔で陽向くんが誘ってきた。
こんな可愛い子のお誘い、誰が断るものか!!
「……うわーっ、陽向くん身体すっごく柔らかい……」
陽向くんは座って足を開き、私は後ろからぐーっと背中を押してあげる。
すると、上半身が地面にべたーっとくっついたのだ。
「えっへへ、ありがとうございます!!柔軟は一応毎日風呂上りとかにやってるんです!!」
「えらいねー、しかも毎日だなんて」
「身体が硬いと怪我に繋がりますからね」
なるほどね。
ちゃんとそういうことも考えて自宅で柔軟やってるんだ。
ほんとにえらいなーこの子。
「さ、次は先輩の番ですよ。後ろから押してあげますから座ってくださーいっ」
「……え、私も!?」
「もちろんです!!部員の面倒みるマネージャーが柔軟しないで怪我でもしたら元も子もないですもん」
そういって強制的に座らされ、背中をぐぐーっと……、
「いだだだだだだ!!」
「……芹菜先輩、身体硬すぎです!!半分も押せてないんですけど!?」
そうだよ、私は身体硬いんですっ、悪いかコラァ!!
「いいい痛い……っ、そろそろヤメテクダサイ」
「え、えぇ……でももう少しほぐしとかないと……」
ずっと背中を押されるのは痛かったから少し抵抗を見せると、陽向くんはちょっとずつ押す方法に変えてきた。
あ、さっきよりはマシかも。
そんなことを思いながら身を任せていると、
「そんなんじゃ柔軟の意味無いだろ天城」
第3者の声がしたと思った瞬間、思いっきりグッと背中を押された。
「あぎゃふッ!!」
「うわぁっ、芹菜先輩!!」
「これぐらい強く押さなきゃ柔軟にならないだろ」
うわあああ痛い痛いめっちゃ痛い!!
背中グキッていった、グキッっていったァァァァ!!
「……どうですか、芹菜先輩。身体、柔らかくなったでしょう?」
何だよその、してやったりみたいな素晴らしい笑顔!!??
普段全く笑わないくせに何でこういうときだけ笑うんだよ!!
私に恨みでもあるのか!?
あれか、朝の荷物持ちのときのアレか?
桐原くんの心情を察することができなかった私への恨みですかァァァ!?
「……っ、き、きり、は……く……、」
あ、やばい、痛すぎてうまく喋れない。
「……はァ?何ですか?すみません、声が小さくて聞こえ…………、」
桐原くんの声が妙なところで途切れたと思ったとき、私の目尻から溢れ出たものが頬を濡らした。
ハラリと落ちた涙に私自身も驚いて慌てて手で拭った。
うわ、恥ずかしい!!
痛みで無意識のうちに泣くなんて。
「……、芹菜先輩……大丈夫、ですか?」
眉を下げながらとても心配してくれた陽向くん。
心配してくれるのは嬉しいけど、何で貴方まで泣きそうな顔してんの!?
「だ、だいじょ、ぶ……多分」
「多分!?今、多分っていいました!?大丈夫じゃないですよそれ!!ええっと……、こういうときはっ、し、消防車ですかね!?」
落ち着けよ!!
消防車呼んでどうすんの!!
せめて救急車にして!?
慌てすぎてパニックになっている陽向くんをよそに、私はちらりと桐原くんを見た。
でも、目を合わせてはくれなかった。
……とても、ばつが悪そうな顔をしている。
「ぼ、僕部長呼んできますね!!」
何とか1番最善の策を思いついたのか、陽向くんはダッシュで立ち去った。
座り込んでいる私と、立ったままの桐原くん。
相変わらず桐原くんは何も言ってくれない。
だが、そんなことよりも!!
背中が未だにズキズキしてるんだよね!!
さっきよりはだいぶマシになったけど痛いものは痛いの!!
私がキッと桐原くんを睨みつけたのと、彼が口を開きかけたのはほぼ同時だったが、私も構わず口を開いた。
「桐原くんのばかやろー!!」
「………」
「背骨が折れちゃうかと思いました」
「………」
「罰としてジュースおごってね」
「…………、すみません」
ボソりと、視線を落としたまま静かにそう返事がきた。
あ、あれ?
な、何か随分落ち込んでるように見えるけど、やっぱりこれ私が少しだけど泣いちゃったのがいけないよね!?
私もまさか泣くとは思わなかったけど何かすごい罪悪感が!!
スッと、目の前で桐原くんがしゃがみこんだのがわかった。
「……まだ、痛みますか?」
少しだけ、壊れものを扱うくらい優しく、私の背中に触れた。
「……痛いは痛いけど、さっきよりは平気、かな」
「……、そうですか」
すると、背中にある手とは逆の手が私の頭に触れる。
少しの間そのままポンポンされていたが、何を考えているのかわからず私の頭にはハテナマークしか浮かばない。
「……桐原くん?」
顔を見るために覗き込んでみると、眉を下げて、やっぱりさっきと同じ顔をしていた。
「……まだまだ子供ですね、俺は」
「え……?」
「……朝の荷物持ち、何で俺が部屋まで運ばなかったのかってこと、どうせ中里先輩に聞いたんだろうと思ったので」
バレていらっしゃる!!
「あのときの俺の心情を知られて黙ったままなのも癪だったので、やり返そうと思ったんですよ」
「思うなよ」
だからあんなしてやったりな顔してたのね!?
「……ただ、…………やり過ぎたようですね」
頭にのっていた手がするりと頬に落ち、若干赤くなっている目尻付近を親指で撫でる。
「……俺が、嫌いな顔だ」
私の目尻をなぞる手が、少しだけ震えている。
勝手に涙を流したのは私だ。
もちろんあまりの痛さに反射的に泣いてしまったから、そこに私の意思はない。
でも、確かに泣いたのは私。
その原因をつくったのは、桐原くん。
私にとってはいつもの意地悪なんだろうとそこまで重く考えてはいなかったけど、桐原くんは違うんだ。
理由はなんであれ、泣かせてしまったことは事実。
今までになかった私の反応に、謝る以外の方法が消えたんだ。
「……ごめんね?」
私は目の前にある、やや癖っ毛ぎみの頭に手をのせた。
「……何故貴女が謝るんですか」
「ん?……私が泣いたせいで桐原くんを困らせてるから」
「…………、泣かせたのは俺です」
桐原くん、いつもの生意気さが全くなくなってる。
今回は柔軟で私の背中を強く押しただけだ。
きっといつもの意地悪のつもりだったんだ。
でも実際はあまりの痛さに泣いてしまった…………反射的にだけどね。
……運が悪ければ、怪我をしたかもしれない。
きっと、桐原くんはそれを気にしている。
「んー、あんまり気にしなくていいんだよ?」
「……は、?」
「確かに痛かったけどさ、私はいつもの桐原くんの意地悪くらいにしか思ってなかったもん。泣いたのだって、あれも指にトゲ刺さったときみたいな感じで反射的に泣いちゃっただけだよ」
「それって、それだけ痛かったってことですよね。俺が力加減出来てない証拠です」
「頑固だね」
譲らないね、桐原くんは。
ほんとに変なところで律儀すぎるんだから。
「……前さ、笑うっていったよね」
「……?」
「んー、確かサッカー部の臨時マネージャーやったときかな。私が泣いたらどうする?って桐原くんに聞いたら、指差して爆笑しますっていったよね」
「………」
「……笑わないの?」
少しだけへにゃりと笑いながら私は桐原くんの頭を撫でた。
「…………芹菜先輩のそういうところ、嫌いです」
「んー?」
「俺のくだらない感情のせいで、女である先輩を泣かしたんですよ。もしかしたら本当に怪我をさせてしまったかもしれない。なのに何で許してくれるみたいな態度なんですか」
やっぱり。
怪我のこと、気にしてた。
「……許すも何も、もともと怒ってないよ。ちょっと文句もいったけど、まぁあれはいつものノリみたいなやつだし」
「……俺にはわかりませんね、怒らない理由が。”最低”って罵られてもおかしくない状況なんですよ」
「……だって別に桐原くん、私に怪我を負わせようと思ってあんなことしたわけじゃないでしょ?」
「は、?」
「いつもの生意気さからくる意地悪でやったんでしょ?なら、怒る理由なんて無いじゃん。結果的には怪我もしなかったし」
私の言葉に、目の前の桐原くんはポカンとしている。
「……何なんですか、貴女は」
「……ん?」
「明らかにこっちが悪いのに、気にしないでなんて言う。謝ってもその締まりのない顔で許してくれる。挙句の果てには俺を慰めようとしてますよね」
「………」
「……ほんとに、……ッ、何なんですか……」
そういう桐原くんの表情は、怒っているようにも泣いているようにも見える。
声も小さくて、途切れ途切れなところもある。
「何だろうね、」
「………」
「まあ確実に言えるとしたら、桐原くんより1年早く生まれた先輩、ってところかな」
「……遠回しに自分のほうが人生経験豊富だっていってますよね」
「バレたァァ!!ちょっとかっこよく決まったと思ったのに!!」
「…………、ありがとう、ございます」
聞こえるか聞こえないかの大きさでいった桐原くんの言葉は、私にしっかりと届いた。
認めてはいないけど、どこか諦めたような、呆れたような、でも確かに笑っている桐原くんがそこにいた。
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