38


2階に上がったはいいものの、いざ会うとなると足が止まってしまった。




それによく考えてみれば、今1階で話してたことや陸さんがうちに来たことを翔音くんは知らない。


つまり翔音くんにとっては、いつもと変わらない時間を過ごしているわけであって……。





なのにいきなり私が“会いたかった”とか………、おかしくないか!?









“自分の部屋から出てこなくなったんです”




ふと、陸さんの言葉が頭に浮かんだ。




今まで、ずっと独りだったんだ。



食事はちゃんととってたと思うけど、でも……それ以外はずっと部屋で……。









初めて翔音くんに会ったとき、礼儀があまりよくない人だと思ってた。


それに、常識も欠落してて……。


記憶喪失なのかなって、そう思ってた。





でも、違うってことが今やっとわかった。




翔音くんは記憶喪失なんかじゃない。


むしろその逆だ。






記憶を無くしたんじゃなくて、知識を与えてもらえなかったんだ。



七海さんとは顔を合わさなくなり、陸さんも家族のために仕事をしていて………、そして翔音くんは自ら部屋に……。





私はまた手を強く握り、唇を噛み締めた。




“酷い”なんて一言で済ますには重すぎる過去だ。



当時まだ10年も生きていない子供に対しての軽蔑。


孤独なんて、知らなくていいはずなのに。




こんなことになってしまった原因でもある大人たちはもちろん憎いが、それよりも“人の評価”のほうが憎いのかもしれない。





人は自分と違うものを異常だと思い、嫌うから。





「……ッ」




私はいろいろ込み上げてくるものをぐっと堪え、翔音くんの部屋のドアを見た。




そして、一つ深呼吸をしてからノックする、







「……入ってきていいよ」





、…………前に中から許可をもらってしまった。




何故わかった。




「し、失礼しま……す?」



どう入ればいいかわからず、とりあえず一番無難な一言で部屋に入った。



部屋を見渡すと、主である翔音くんはベッドに仰向けになっていた。




「あ、ごめん、もしかして寝てた?」

「……別に寝てない」

「……そ、っか………ごめんね、いきなり部屋に来ちゃって」

「……座れば?」




翔音くんはその場で起き上がり、自分のベッドをポンポンと叩いた。



勉強机の椅子でも良かったんだけど、せっかくなので私はベッドに腰を掛けた。





さて、どうしよう。
やっぱり何で私が部屋に来たのかを話すべき、かな。





「あ……あの、さ……」

「……知ってるよ」

「……へ?」

「……来てるんでしょ。窓から見えた」




なんだ、気づいてたのか。



でも、それはそれでとても居づらい空気に包まれる。





「……聞いたんでしょ、俺のこと」

「……ッ、!!……うん……、ご、めんね」

「……なんで謝るの」

「……、気づいてあげられなかった、私……。まだ3ヶ月くらいしか一緒にいないけど……、一番、近くにいたのに……」




翔音くんはゆっくりとベッドの縁に、つまり私の隣に座り直し、小さく溜め息をついた。





「……気づかなくて当たり前、俺はそのことについて話したことないんだから」

「……そう、だけどッ、でも……!!」

「……今更だよ、そんなこと」

「……え?」

「……まわりから何言われようが、昔のことだし、もう忘れた」





忘れた?



どうして……?







「……嘘つき」

「……は?」

「本当はしっかり覚えてるくせに」

「………」



「じゃあ何で、何でッ、家を飛び出してきたの?」

「………」

「七海さんと陸さんを思ってのことじゃないの?あんな傷だらけになるまで走り続けてたくせに」

「………」

「橘くんやクラスの友達に囲まれてたときもそうだよ。困った顔をするけど、満更でもなさそうな顔もしてた」

「………」

「嬉しかったんだよね?自分を正面から見てくれる人がたくさんいたから。……それはッ、昔のことが、あったからじゃッ、ないの……!?」










「“忘れた”とかいうなッ……、本当は忘れられないくせに!!自分が一番……ッ、辛いくせに!!……なん、で………、どうして泣かないの……ッ!!」






もう、堪えきれなかった。


次々と溢れてくる涙が私の頬を濡らしていく。



私が泣いたってどうしようもないことくらいわかってる。





でも、翔音くんが泣かないから。




“辛いことがあれば誰かに聞いてもらう”



そんなことを知らなかった彼に出来たことは、心の奥底に隠して平然としていること。




それが何よりもまわりを苦しめていることに、彼は気づいてないんだ。




「……ありがとう」

「……っ、え……?」

「アンタは、ちゃんと俺を見てくれてるから」

「……っ、うん?」




翔音くんは私の頭をくしゃりと優しく撫でた。





「……俺は、泣かないよ」

「……な、んで?」

「……男の子は泣いちゃいけないんだって」

「!!」

「……昔、教わった」





そういう翔音くんの顔は、とても穏やかだった。


きっと、七海さんや陸さんに教わったんだと思う。


まだ、幸せだったころに……。






「ほら、やっぱり」

「?」

「……今の翔音くん、すっごく優しい顔してる。……ちゃんと、家族のこと思ってるじゃん」





ほんの数年しかなかった幸せだったときの記憶。



今でも忘れずに覚えている。




その記憶でいろいろ空回りしたこともたくさんあったけど、それは親を思っての子供の行動。




頑張ったねって、思っていいんだよ。











私はひとつ深呼吸をした。



さっき思いっきり泣いていろいろぶちまけたから、なんだかすっきりしてる。





……あと一つ、翔音くんにはいわないといけない。





「ねえ、翔音くん」

「……さっきはびっくりした」




……あれ、無視!?




「まさか泣きながら怒るなんて、器用だね」

「なぁ……ッ!?う、うっさい!!しかた、ないじゃんか、勝手に涙が流れてくるんだからッ」




さっきのことを思い返して、私は顔が熱くなった。



気が動転してて、言うのが必死だったんだ。





「……それから、」

「……、え」





翔音くんにパシッと手首を握られた。



私の手のひらには、くっきりと爪の痕が赤くなって残っていた。



あ…………。




「……これ、何?」

「あぁぁ、いや……えっと……」

「何」

「うっ……、ああああえっと、お話の内容に涙を堪えたときに、手を握りしめて……」




……なんとも迫力のある声色だった。


こ、怖いです!!





「……あと、こっちも」




翔音くんは私の頬に手を添えた。



……………はァッ!!??





「……血、でてる」



そういいながら、添えたほうの手の親指で私の唇をなぞる。




「……血が出るほど噛み締めて、堪えてたの?」

「っ、う、あ……えと………」

「……俺のために?」

「……!!??その……っ、」





手を握られて、頬に手を添えられて、唇をなぞられちゃって……。


もう恥ずかしすぎてどうにかなりそうな私は、とにかくコクコクと頷くことしかできなかった。






「……人のこと言えないよ」

「……っぅえ?」

「アンタも、よく傷作って心配かけてる」

「……うっ」






「……これで、おあいこ」




翔音くんは、ほんの少しだけ、笑った。








「……顔、タコみたい」

「う、るっさい……!!」




誰のせいだ誰の!!




あ、そうだ、私まだ翔音くんに言わないといけないことがあった。




「あの、翔音くん」

「、何?」














「……七海さんたちのとこに帰ろう?」



「………どうして?」




「ちゃんと向き合って、お話するの。陸さんだって、きっとそのために来たんだから」

「………」

「さっきだって翔音くん、笑えてたよ?それを、見せてあげようよ。七海さんも陸さんも、それが一番見たいはずだから……!!」

「………」









「私には、物心ついた頃には両親がいなかったから、その大切さはよくわからないこともある……」





「でも、翔音くんにはちゃんと家族がいるでしょ?家族がいるのに、会わないなんて……そんなの寂しいよ……」

「………」

「……だから………、帰ろう?」









「……わかった」






私の言葉に翔音くんは頷く。



そしてベッドから立ち上がり、ゆっくりとドアへと向かって歩いた。





「……じゃあ、いってきます」



「……うん、ばいばい」






ドアが閉まる音が部屋中に響いた。






そしてしばらくした後、玄関のドアがガチャリと閉まる音が聞こえた。





私はさっきまで彼が座っていた場所に視線を落とす。





窓からの風がサァァッと、その場所を通り抜けた。



38.手を伸ばしてはいけないの

(…………ありがとう)


(ばいばい)



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