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「えと……、どうぞあがってください」

「あ、はい、すみません」



玄関で立ち話をするわけにはいかないので、とりあえず私は翔音くんのお父さんを家の中へ案内する。



翔音くんのお父さん……名前は“陸”というらしい。



陸さんにリビングのソファーに座ってもらい、私はお茶を用意した。




……そういえば翔音くん、まだ2階から降りてきてないな。




「あ……、翔音くん今2階にいるんですけど、呼びますか?」

「……いえ、……このままで、大丈夫ですよ」




そういって寂しそうに笑った。








しばらくは会話もなく、時が過ぎるのを待っていた。




どうしよう、朔名が帰ってくるにはまだ早いし、何故か翔音くんは下りてこないし。




……朔名に電話しようかな。





「芹菜さんには、ご兄弟とかいるんですか?」




私が携帯を手にしたとき、ふと、陸さんが質問してきた。




「え、あ、はい、兄が1人……」

「お兄さん?」

「はい、5つ上の兄で朔名っていうんですけど、近くのカフェで仕事してるんです」

「カフェですか、素敵ですね」

「ありがとうございます………、あの、その兄に電話してもいいですか?」

「あ、もちろんです、どうぞ」





電話をかけるため、私は一旦リビングをでて2階へ通じる階段の途中まで上がった。



そして今はカフェで忙しいであろう兄の携帯の番号を押した。


朔名に事情を説明すると、“わかった”の一言だけが返ってきて通話を終えた。




いつもよりも低くて重い声に、私は今自分が置かれている状況を改めて痛感した。


……どうなっちゃうのかな、これから。




時計の針の音だけがこの空間に鳴り響く。


ときどきお茶をすする音も聞こえる。

その音は3人分。








朔名に電話してから約30分で兄は帰ってきた。



ちゃんと時雨さんに訳を説明したからこんなに帰宅が早かったんだろう。


時雨さんも愁さんも優しいから。




……まあその分明日の残業を増やすところは抜かりないと思う。


流石です、時雨さん。







「……すみません、突然押し掛けてしまって」

「いえ、大丈夫ですよ」

「……ありがとうございます」

「翔音君のこと、ですよね」

「……はい、近所の方に、この家に住んでると、聞いたものですから……。話した方が、いいと思いまして……」

「……お話を聞きましょう」




朔名と陸さんは向かい合って座り、私は朔名の隣に座った。



私は口出ししないで黙って聞いていた。





「翔音が生まれたのは18年前の4月、春の気候らしく、とても快適な昼間のことでした……」










『奥さん、生まれましたよ、元気な男の子です!!』



『……よかったわ、元気に生まれてくれて』

『そうだな。あ、名前……どうしようか』

『……そう、ねえ………、』








『…………“翔音”なんてどうかしら?』

『どうしてその名前にしたんだ?』

『貴方の名前が陸、私の名前が七海(ナミ)……、大地と大海原とくれば、あとは大空でしょ?』







「“この広い空の下を駆けて自分という音を奏でて欲しい”……そういった意味で、妻は翔音という名前をつけました」





陸さんの表情は、昔を思い出しているようでとても穏やかだった。



確かに私は最初、翔音くんの名前を聞いたとき、少し女の子っぽいと思った。


それと同時に綺麗だとも思った。




隣の朔名をみてみても、陸さんと同じように優しい顔をしていた。


私もつられて微笑む。





けど、次の言葉を言うとき、陸さんの顔が曇ったのを私はみた。



「……ですが、翔音はまわりの人たちに比べて少し変わっていました」




「……変わっていた?」

「えぇ……、翔音のあの髪と目の色は生まれつきなんです」




その言葉に私も朔名も目を見開いた。


目の色はともかくとして、髪は染めたのだとばかり思ってた。





「どうしてそうなったのかは私たちにもわかりません。ですが、変わっているのはそれだけで、あとは他の子供となんら変わりない元気な子だったんです」




“だったんです”


過去形な言葉に私は眉を寄せた。




「翔音にはたくさん愛情を注いで育ててきました。まわりと変わっていようが私たちの子供ですから。…………けど、まわりの反応は違っていた」










幼稚園に入ったとき、



『ねーねー、かのんくんのあたまとおめめ、ふしぎな色してるねー』

『うん、うまれたときからこうなんだよ』

『へー、すっごいね!!きれー!!』

『ほんと?ありがとー』




一緒にいた友達は笑顔で接してくれる。




だが……、





『……あの子、こんな小さいうちから髪染めてるのかしら……、しかも紫って……』

『うちの子から聞いたけど、本人は生まれつきって言ってるみたいよ?』

『えー?異常現象みたいなってこと?』

『さあ……、それか病気とか?』

『病気!?それは最悪ね、うちの子に移ったらどうするのよ!!』





人の外見で判断した親たちは、自分の子供の身の安全を第一に考えて、翔音から子供を遠ざけた。



それも親同士の勝手な勘違いによって。







「……義務教育なので、そのあとの小学校にも通わせました。もちろん、妻の七海が毎日送り向かいをしていました」





でも、幼稚園のときと比べて状況は悪化していった。







『ねーねー、かのんくんの髪ってなんで紫なの?染めたの?』

『ちがうよ、生まれつき』

『えー、嘘だー、だって他のみんなは黒いじゃん。変なのー』

『嘘なんかじゃ……』

『目の色も変だよね、赤いし。なんか血みたい』

『えー、やだそれこわーい』





幼稚園のときと違って言葉を覚えてきた子供たちは、本人たちに悪気はないにしろ、毎日のように言葉の暴力を浴びせてきた。




そしてそれはもちろん親たちの耳にもはいる。





『ああいうのって、ほんと子供の教育に悪いわよね』

『親の趣味でしょ、どーせ。他の子供が真似したらどーすんのよ』

『あんな気持ちの悪い色になんか誰も憧れないでしょ』





授業参観や、送り向かいのときのたびに言われてきた言葉。





言葉、言葉、言葉。


毎日使っているはずの言葉が凶器となり、降り注いでくる。



言葉って、こんなにも残酷なものなのか。




そして、次第に七海はやつれていき、翔音は笑わなくなってしまった。




「……なに、それ」

「……芹菜、」




黙っていると決めた私だったけど、こればかりは黙っていられなかった。




髪の色?


目の色?


たったそれだけのことなのに。




私はその顔も知らない身勝手な親たちに苛立ちを覚え、掌を強く握った。






「……そんなことが続いてから、七海は翔音を学校に通わせることを止めました」

「………」

「まだ小学校1年生だったからよかったですが、これが中学、高校と続くとなると……、今度は言葉だけではすまなくなるかもしれない……」





小学生と違って中学生にもなると体格がかなり変わってくる。



それは、つまり…………、




私は頭に浮かんだ光景を瞬時にかき消した。










「……そしてそれ以来、七海は翔音と顔を合わせなくなりました」




……え?


な、んで………、





「……翔音君を嫌ったわけでは、ないですよね?」

「ッもちろんです!!」



朔名の質問に、陸さんは弾けたように大きな声をあげた。




「っ、あ……すみませんいきなり大声を……、」

「いえ、気にしないでください」

「…………嫌いになんか、ならないですよ。むしろ今まで以上に大切になりました…………、」







「……大切だからこそ、翔音の顔が見れなくなってしまったんです」





理由は、なんとなくわかった。




多数の親たちからの蔑むような視線、言葉。


それらからくる感情は、恨み、憎しみ、悲しみ、後悔。




……そして、“トラウマ”。







「七海は、仕事に行くこともしなくなりました」




“私が仕事に行ってる間、近所の人が何かしてきたらどうしよう”


“独りにはさせたくない”


“でも、顔を合わせられない”






“ごめんなさい”





「毎日、口癖のように呟いていました」







「……私は、七海の分まで頑張って仕事をしました。生活まで苦しくなんてしたくありませんから。……それでも、残業はせずになるべく早く帰宅して、七海と翔音に会いました」





でも、2人の溝は一向に塞がってはくれなかった。






「……子供って、凄いんですよ」

「え……?」

「私たち大人よりも、子供はまわりの雰囲気を察しているんです」

「………」




「七海と顔を合わさなくなってから、気を使ったのか、翔音はほとんど自分の部屋から出てこなくなったんです」








“自分のせいで親が辛い顔をするのなら………、”




“いっそ、会わないほうが、いいよね?”




目に熱いものが込み上げてくるのが自分でもわかった。


それを堪えるように、私は更に手を強く握る。




私の頭に浮かぶのは、無愛想で好奇心旺盛な、いつもの翔音くん。


クラスの友達に囲まれて困った顔をするけど、満更でもなさそうな翔音くん。



よく私を呆れた顔で馬鹿呼ばわりするけど、最近ほんの少しだけ笑顔を見せるようになった翔音くん。





どこが、異常なの?








「……、?……芹菜、おい、……ッ芹菜!!」


「っ、あ、……なに……?」




考え込んでいた私は朔名の声にハッとした。




「……大丈夫か?お前、顔色が……」

「え?あ、うん、大丈夫大丈夫、なんでもないよ」





私の顔を見て何か思ったのか、朔名は私に向き直った。





「芹菜、ここはいいから、お前は2階いってこい」

「え……なんで……?」

「なんでも」

「……でも、」

「バッカだなあ、芹菜のことは何でもお見通しなんだよ。何年お前の兄ちゃんやってると思ってんだ?」




朔名は太陽みたいな笑顔で私の頭をくしゃりと撫でた。






「会ってこいよ、翔音に」

「!!」






友達との関係が極端に減ってしまった彼の過去。



本来なら無償で愛してくれるはずの親にさえ、会うことができない。



それは、お互いを大切に思いあってこそ生まれてしまった溝。



そして、彼は今2階に独りでいる。





やっぱり、バレちゃってたか。



敵わないなあ、朔名には。





「……じゃあ、いってくる」

「おう、いってらっしゃい」




私は一度陸さんに頭を下げてからリビングを出た。






「……良かったんですかね、翔音がこの家に来たのは」

「え?」

「彼女……、芹菜さん、とっても泣きそうな顔をしていました」

「………」

「約3ヶ月ほど前、私が仕事から帰ると、翔音はいませんでした。七海は涙も枯れてしまったようで……、私に謝り続けるんです」





「私、あんなに翔音のことを思ってくれる人に初めて会いましたよ」

「……そうですか」

「翔音は……今、幸せ……なんでしょうかね」

「……そうあってほしいですね」

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