act.2 迷子と葡萄



 少し強い秋風に靡くカミュの赤髪は、先程シュラの手によって背中でひとつに束ねられていた。ライラック色に光る宝石が揺れる髪留めは、いつかの誕生日にシュラが贈ったもので、カミュのお気に入りだった。

 風は冷たいが、ギリシャの秋は昼も近くなるとかなり暖かい。街に着くころには二人ともうっすらと汗ばむほどになっていた。
聖域を出るときにいささか着込みすぎたジャケットの襟をつまんでパタパタと扇ぎながら、立ち並ぶ商店を眺める。

「何を買うんだ?カミュ」

「ああ・・・わたしの買い物は最後でいい。荷物になるし」

「そうか・・・。なら何か適当に見ていくか」

「そうだな」

 昨日が雨だったせいもあるのか、街は平日だというのに意外に人が多く、どの店も活気に溢れていた。店と店の間の路地から数人の子供が甲高い笑い声をあげながら飛び出してきて、向かいの路地へ駆け込んで行く。

 微笑ましい様子にカミュが目を細めていると、くい、と袖を引かれた。

「なんだ、シュラ・・・?」

「ん?」

シュラに呼ばれたものと思い、隣を歩くシュラを見るが、シュラがいるのは左側。引かれた袖は右。

「ママ・・・」




 明るい通りを歩くシュラとカミュの間に、小さな巻き毛の頭が揺れる。
 カミュの袖を引いた迷子はマリアと名乗り、カミュが優しく歳を尋ねると小さな指で「よっつ」とやってみせた。
母親と二人で買い物に来たが、気がついたら自分一人になっていたらしい。大きなこの商店街は、小さい路地こそたくさんあるものの広い通りはひとつしかなく、店もこの大通り沿いにしかない。母親を探すのはそう難しくないはず。
はじめはシュラが抱いて歩こうとしたのだが、カミュに優しく頭を撫でられ機嫌を良くしたのか自分で歩けると言いだした。仕方がないので、シュラとカミュとで両側から手を繋いで歩くことにした。

「ママはね、マリアと同じくるくるのかみのけなの」

活発そうな彼女は、茶色の巻き毛を揺らしてママの特徴を二人に教える。巻き毛で、白いコートで、ピンクのバッグ。得意料理は白いお豆のスープで・・・と彼女が自慢げに言うと、シュラは吹き出した。

「おにいちゃん、どうしたの?」

「このお兄ちゃんも豆のスープが得意なんだ」

「おいしい?」

「ああ。とても美味しいよ」

「カミュ・・・もうやめてくれ」

「ふふ。どうして?」

「どうしてもだ」

 耐えきれない、とシュラはカミュの口を両手で塞いだ。そんなシュラと、してやったりと微笑むカミュの顔を交互に見て、小さな彼女は無垢な瞳をキラリと輝かせた。

「おにいちゃんたち、けっこんしてるの?」

「・・・は?」
「え・・・・」

 少女の屈託のない笑顔が二人に向けられる。

「だって、いっしょにお豆のスープたべるんでしょ?ママが言ってたよ。パパとママがけっこんするとき、パパがママに『きみのスープを毎日たべたい』って言ったんだって」

「ああ、いや、それは・・・」

 顔を真っ赤にさせたカミュが慌てて首を振るが、それを静止するように、シュラの手がつい、と伸ばされカミュの肩を抱いた。

「違うぞ、マリア。これからするんだ」

「シュ、シュラ!」

「へえ!いいなあ!」

「いいだろう。お前も大きくなったらきっとできるぞ」

 カミュを抱いていないほうの手が小さな頭を撫でる。カミュは回らない頭でシュラの言葉を反芻しながら、こんなによく笑うシュラは珍しいと見当違いなことを考えていた。



 それから三人で果物屋の店先で葡萄を物色していると、肩にかけたピンク色のバッグをガチャガチャと揺らしながら巻き毛の女性が駆けてきた。

 おませな彼女は、別れ際に「おしあわせに!」と大きな声で二人に言って、母親に手を引かれて帰っていった。

「・・・・とんでもなくマセた子供だったな」

 疲れたように溜め息を吐くシュラの腕には、先程物色していた葡萄が山盛り詰まった紙袋が抱えられている。少女の母親がお礼にと買って寄越したものだ。

「ふふ・・・可愛いじゃないか」

「なんだ、お前は本当に子供が好きだな。カミュ」

「妬いたか?」

「ああ、そうだな。この代償は高くつくぞ?」

「それは恐ろしいな」

 そろそろ正午になる。
のんびり買い物をする予定が大幅に狂ってしまったが、大量の葡萄と小さな祝福の言葉を貰ったので、二人は上機嫌だった。



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