09. キスの前にお願い一つ




 シベリアでのカミュの修行は、それはもう厳しかった。聖闘士になるためなのだから厳しいのは当然ではあるが。だが可愛い弟子たちはまだ子供だ。だから、年に一度くらいは子供らしく、楽しい夢を見させてやりたい。
 そう考えたカミュは、年に一度だけ、可愛い子供たちのために、他の人物に化けることにした。

 子供たちが寝静まると、こっそりと白い毛玉のついた赤い三角帽子を頭に乗せて。



 黒いブーツの踵を鳴らさないように、カミュは静かに天蠍宮を進む。三角帽子はシベリアの小屋に置いてきてしまったので、代わりに白いマフラーを巻いた。髪が赤くてちょうどよかったと思う。
ふと目の端に明るいものが過り顔を上げると、ヒビの入った壁に赤い電飾が無造作に引っ掛けられている。先日アイオロスが聖域中に配り歩いてたもので、同じものが宝瓶宮にもあることをカミュは思い出す。しかし、カミュはどこにも飾らず、テーブルに置いたままだ。クリスマスを楽しみにしていた子供たちは聖戦が終わるとすっかり親離れしてしまい、もう部屋中をキラキラに飾り付けたり、サンタクロースに扮することも無い。
それでもこうしてクリスマスの夜にこっそりと天蠍宮に来たのは、ほんの気まぐれだった。

 電飾の先に続く大きな扉に鍵は掛かっていない。
そっと開けて忍び込んだ部屋の隅のベッドがゆっくりと上下している。
 獰猛で奔放な金色の蠍は、二枚重ねた毛布の下で寝息をたてている。
 気配を絶ってカミュが近付いても、半開きの口から涎を垂らした無防備な蠍は気付かない。
ベッドに片手をついて体重をかけても微動だにしないことを確認して、カミュは蠍のベッドに乗り上げた。

 蠍は伏せて寝ていて、柔らかい毛布は容易く赤い指先に捲られた。暖まった空気が彼のボディソープの香りと一緒にふわりと舞ってカミュの鼻腔を擽る。心地良さそうなその空間に、カミュは躊躇わず滑り込んだ。
 すぐ目の前に、蠍のだらしない寝顔がある。掛け直した毛布はとても暖かい。
 ひとまず枕に垂れそうな涎を拭ってやって、カミュはじっとその寝顔を見つめた。
金色の睫毛が呼吸と一緒に震える。ときどき鼻の穴が広がって、ため息のような長い息を吐く。何か言いたげに唇がもごもごと動いて、カミュは誘われるようにその唇を舐めてみる。

「・・・んん」

 また鼻の穴が広がって、喉の奥からくぐもった声が漏れた。それでも蠍の瞼は開かない。カミュはゆっくりと息を吐いた。
寝ている人間の呼吸は深い。それに合わせるように吐いて、吸って、絡まる金髪に指を差し込んで、蠍の呼吸を唇ごと捕らえる。

 クリスマスの夜、修行を終えてベッドに潜り込んだ子供たちは、一日の疲れでとろりと落ちてくる瞼を必死に押し上げて、笑った。朝が来るのが楽しみだと。

 眠る蠍と呼吸を共有しながら、カミュは瞼の裏で彼らの笑顔を思い出した。
 きっと自分も今、あの頃の彼らと同じ気持ちなのだ。サンタクロースは自分だけれど。



 ミロは外出などの予定の無い日は目覚ましを鳴らさないことにしているが、寝起きは良いほうだ。
冷え込みの強い朝なら尚更、まだ外が薄暗いうちに寒さで目覚めることも多くなる。
 だが今日は、夢から覚めて瞼を開くと部屋は既に明るくなっていた。頬にあたる空気はいつものように冷たいが、毛布にくるまった身体はいつも以上に温かい。
 ミロはそこでふと違和感に気が付いた。“暖かい”ではなく“温かい”のだ。気温や毛布のせいではない。例えるならば、人肌のような。

「サンタクロース?」

 潜り込んだときよりも少し左右にずれた毛布を引き下ろして、ミロは空色の瞳を落とさんばかりに目を見開いた。
 なんとサンタクロースが添い寝しているではないか。
 そういえば今日はクリスマスだったか。しかし普通クリスマスの朝に枕元に置いてあるのはサンタクロースのプレゼントで、サンタクロース本人ではない。
しかもこのサンタクロースときたら、よく見たら手ぶらではないか。それどころかミロの脇腹を、持って帰らんばかりに両腕でがっちり掴んでいる。
ついでに、世間一般で認識されている恰幅の良い髭のおじいさんではなく、ミロのよく知る人物だった。

「おい、サンタクロース」
「んん・・・なんだ」

 呼びかけると、サンタクロースは案外あっさりと瞳を開けた。半分程だが。
震える睫毛の下から覗いたルビーがぼんやりとミロを映す。シーツに擦れて絡まった赤い頭の後ろに、白いマフラーが丸まって落ちていた。三角帽子の代わりかなにかだろうか。

「なんだはこっちのセリフだ、サンタクロース。プレゼントはどうした」

 脇腹で眠そうにぐずるサンタクロースの身体を目線が合う位置まで抱き上げて、ミロは手のひらを差し出した。
たとえ帽子の代わりがマフラーで、忍び込んだのが煙突ではなくベッドだったとしても、彼は今サンタクロースなのだ。

「そんなに欲しいか、プレゼントが」
「ああ。欲しいな。どこに隠した」

 サンタクロースは、見たところプレゼントなど持っていない。腹に乗り上げた細い身体を抱き締めて探るようにあちこちを撫で回しても、それらしいものの手応えはない。身体を捩って逃げようとするサンタクロースの瞼はいつの間にかぱちりと開いて、ルビーが楽しげに揺れた。

「ふふ。ではヒントをやろうか」
「頼む」
「物、ではない」
「ほう」
「目を開けていたら、それは貰えない」
「ああ・・・わかった」

 腹の上のサンタクロースは、折角開いた瞳を閉じた。ミロの瞼もゆっくりと下りる。嗅ぎ慣れたシャンプーの香りがふわりと近付いて、鼻の先に吐息がかかる。
触れる瞬間を待ちわびて、ミロは息を潜めた。

「ぶ、」

 やってきたのは、鼻を摘まむ長い指先だった。

「・・・カミュ。キスは」

 サンタクロース・・・もとい、カミュは、至極真剣な顔でミロを覗き込んでいる。

「ミロ。キスの前に、ひとつ頼みがある」
「なんだ」

「二度寝させてくれ。お前に夜這いをしたおかげで眠い」

 結局ミロがサンタクロースから貰ったプレゼントは、それから二時間後の甘いキスと、翌日まで続く腹筋の痛みだった。



END




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